2021年10月21日木曜日

1丁目のバーガーキング

前回ハンバーガーを食べたのは、20192月、サンディエゴのBurger Loungeだ。滅多に食べないこと、そして滅多に行かないアメリカで食べたのでよく覚えている。彼の地に住む中学時代の同級生が連れていってくれた。アメリカーンな美味しいものだった。




最寄り駅にバーガーキングができてもう2年くらい経つだろうか。それでも今日初めて行ってみた。

ハンバーガーが嫌いなわけではない。だがハンバーガー屋へ足を運ぶことはない。理由はもう見たくないほど、一生分くらい食べたからだ。

地球の歩き方「アメリカ」編をバイブルに、ニューヨーク~ロサンゼルスをグレイハウンドで横断旅行を試みたのは1984年、ロサンゼルスオリンピックの年だった。初海外旅行、初ひとり旅。帰りはホノルルへ寄るというおまけつき(寄っても航空運賃が同額だった)で、夏休み2カ月ほとんどを使った。格安航空券という言葉が出始めた頃だろうか。成田ニューヨーク(この間はバス)ロサンゼルスホノルル成田で198000円だったことを覚えている。

当時最も安いものを選んだつもりだ。よって、大韓航空。もちろん直行便ではない。金は無いが時間はあった当時の正しすぎる選択だ。世界地図を見れば、成田からは東に向けて飛んでいくはずだったが、格安便はまずソウルへ向かった。ああ、逆走・・・。

そしてソウルで乗り換えのため数時間を過ごし、一路ニューヨーク!へ向かう前には当時アンカレッジ経由だった。日本を出る前、もうしばらく食べられないだろうと思って成田で蕎麦屋に寄ったが、アンカレッジ駐機中、出迎えてくれたのは「うどん」の暖簾だった。

「ググる」が存在しない当時、地球の歩き方はバックパッカーにとっておそらく唯一の情報源だった。都市や名所や交通の紹介記事の合間を埋めるように、「旅した先輩」の体験談が載っている。どこの店が美味しかった、景色は最高だったというハナシからきわどい武勇伝的なものまでさまざまだ。「生の声」は貴重だったが、今思えばN=1の情報が全てというのは恐ろしくもあった。

まあその辺は後日として、ニューヨークからロサンゼルスまで2カ月弱、グレイハウンドという長距離バスで移動した。「アメリパス」という一定期間有効のパスを買い、行先を自分で決めて自由に乗れるものだった。都市から都市へ移動するのだが何しろ広大なアメリカ。途中で何度もトイレだ食事だと休憩が入る。その停車地点がほぼ例外なくバーガーキングやマクドナルドだったのだ。(やっと出てきたバーガーキングのハナシ)



金はないが時間はある学生にとって出費が抑えられるのは助かることだった。宿泊費を浮かそうと思えば夜行バスに乗ったし、ハンバーガーはバカみたいに安かった。たしかマクドナルドだったと思うが、買うたびにスクラッチカードをくれた。カードにはオリンピック種目が書いてあり、アメリカがその種目で金メダルをとるとビッグマックがひとつ無料でもらえるのだった。アメリカ強いよね。しかも自国開催。果たして明けても暮れてもハンバーガーだったというわけ。

旅の後半では、休憩地点のMの看板を見るだけで胃もたれがしたほど。バーガーキングも同じくらい食べた。みな「ワーパー、ウィ、チーっ」って何を言っているのかわからなかったが、ワッパーチーズ(Whopper® with Cheese)だった。日本での1号店が1993年というから知らないわけだ。

https://news.nissyoku.co.jp/news/nss-7599-0019

バーガーキング、1号店、西武入間「ペペ」にオープン(日本食糧新聞 1993927日)


2年半ぶりくらいで食べたハンバーガー。

包み紙はこんな色だったっけ。やけに地味な感じがする。ロゴも見当たらない。それはさておき、直火焼きっぽいにおいが感じられ、胃もたれ、いや、当時を少し思い出してバスに揺られた気分になった。

なんだか、地味に。

1丁目のバーガーキング

前回ハンバーガーを食べたのは、 2019 年 2 月、サンディエゴの Burger Lounge だ。滅多に食べないこと、そして滅多に行かないアメリカで食べたのでよく覚えている。彼の地に住む中学時代の同級生が連れていってくれた。アメリカーンな美味しいものだった。 最寄り駅にバーガ...