2019年11月24日日曜日

限りない癒し・その3



一人飲み。

それは暗い、みじめだ、いけない、という人もいるが実に心地よい。
五年くらい前までは友人と飲みに行く機会が多かったので、一人で飲んでいる五六十代の人を見ると、なんだか寂しそうに見えた。

一人で食事をする人は鬱になりやすいといった統計もあるようだ。だがちょっと待ってほしい。高齢者が爆発的に増え、単身世帯も増え続け、2040年には単身世帯が40%を占めるという予測がある。何ということはない、みな「孤食」なのだ。

それなら、みじめなどと言わず、孤食も一人飲みも楽しみたい。
今や居酒屋に一人で入るのに何の躊躇いもない。一人客は案外多いものだ。(たまに常連客で埋め尽くされた店に入った時は若干構えるが)

何度か通うと店の特徴がわかってくる。
「あ、あの人この前もいたな」「みんな串モノから先に頼んでいる」「ハイボールと言っているのはこの店では焼酎だな」などいろいろ分かってくる。〇〇建設の服をきた鳶は色っぽい女性をいつも連れてくるし、飲みものと肴が決まっていて何も言わずに勘定をぴったり払う人もいる。厚揚げをいつも二人前頼む人には「厚揚げ先輩」と勝手にあだ名をつけた。

居酒屋だからと、無理やり店の人と話す必要もなければ、まして見知らぬ客同士で盛り上がる必要もない。(そうしたければもちろんそうすることもできる)

ちなみに、自分が思う居酒屋三要素は、①たたずまい、②客、③次にまた来られる価格だ。古びた店構えが良いとは限らないし、自分自身も「客」の構成要素となる。そして背伸びした金額だと気に入っても二度と来られない。これでは意味がない。お気に入りを少しずつ増やし、手持ちカードが増えていくのは大層愉快だ。

一人飲みは、自分の満足のためにある。


2019年11月17日日曜日

アドラーは言うけれど・・・


アルフレット・アドラー、「人生に革命が起きる100の言葉」(小倉広著)を読むと、いくつか気づかされることがある。「自己啓発の父」と言われるアドラー。今やコンサルから一般人までが書く「自己啓発本」には「成功するためのたったこれだけの習慣」といった類が多い。いとも簡単に見えることを皆が実践できれば成功者は世界中に溢れるはずだ。結局、ほとんど誰にも成し得ない「習慣」が書いてあるのだ、というのは読書嫌いでひねくれ者の考えだろうか。


最初にこうある。

人生が困難なのではない。あなたが人生を困難にしているのだ。人生は極めてシンプルである。

そうかもしれない。
現在の人生を決めているのは運命や過去のトラウマではなく、自分自身の考えだという。そう思えれば人生は極めてシンプルだ。
「あなたが人生を困難にしているのだ」。
悪いのは本当に自分なのだろうか。運命、過去のトラウマなどに振り回されることなく、生きていけるだろうか。

自分の意思とは関係なくこの世に生まれ、たった一人で死んでいくというシンプルな人生。
あれこれ考え、思い悩むのが普通だと思う。気持ちだけではない。人間は、一枚皮のその中に60兆個の細胞が働き、肉体を支える。仏教では人は四百四病を生まれながらに抱えているという。体の中のちょっとしたバランスの崩れで内在していた様々な病がその芽を出す。そしてそれこそ運が悪ければ平均寿命よりも早く死を迎える。生まれた瞬間から死に向かって歩き続けることを止めないのはなぜだろう。何よりも確実なゴールが見えているのに。

ラグビーでボールを受け取ったら、何度タックルされてももう一度立ち上がったり、ずるずる這いずって少しでも前に必死に進んだりする。きっと生きていくには「困ったこと」にぶち当たるようにできているのだ。もしそれらが無いとすると、一直線にゴール(=死)にたどり着いてしまう。そう思えば、「あなたが人生を困難にしているのだ」と言われても、「いやいや、これもまたいいもんですよ」などと余裕綽々、泰然自若でいられるし、むしろ困難にwelcomeと言えるかもしれない。

にんまりと笑って受け止めてみたい。


2019年11月14日木曜日

限りない癒しその2


限りない癒しその2

癒されるというか、忘れられる「スロージョギング」。
スロージョギングとは(日本スロージョギング協会)

月並みだがほどよい運動は確実に心身に良い結果をもたらす。
走っている間は何も考えずに済む、確実なダイエット、健康診断血液検査各種に有効というのが自分の感じたメリットだ。ビールもとんかつも我慢しないでOK。それと、走るだけなので一人で可能だし時間も問わず金もかからない。

こんなにかっこよくはない
スロージョギングを言葉で説明するのは難しい。
走らないジョギング、とでも言おうか。
     ニコニコペースで走る
     着地はフォアフットで
という二つが「お約束」。

ニコニコペースとは隣の人と話ができる程度、息が上がらない程度のこと。前を散歩する人を追い抜かない速さ(遅さ?)から始めるとわかりやすい。どれほどゆっくりかがわかると思う。

着地はフォアフットで、というのは、「その場ジャンプしたときに着地する部分」のことだ。普通のジョギングでは蹴りだして踵で着地するが、見た目はピョコピョコ上下運動しながら進む感じだ。若干、挙動不審な感じは否めない。

息が上がらない、上がらないから疲れない、疲れないから続けられる、そして基礎体力がつくという、いいことだらけ。始めた当初はついつい「ジョギング」してしまい、1キロでもゼーハーしていた。体力がつくので普通のジョギングも苦にならなくなる。今では週末5キロ程度は走らずにいられない。始めてから五年経った昨年、ハーフマラソンに挑戦するまでになった。(でもハーフはきつかった)

この時ばかりは、「黒い犬」はおとなしくどこかに隠れて待っているようだ。

2019年11月10日日曜日

言いにくいことを告げてくれた上司


言いにくいことを告げてくれた上司

「年齢的には昇格試験を受けられるタイミングだけど、他の(若い)人を優先させるよ。一二年変わったところでたいしたことないよ」

文字で書くとぶっきらぼうに見えるかもしれないが、上司はその時納得のいくように告げてくれた。こういう件は最も話しにくい内容のひとつだろう。嫌味なく、大げさでもなく、それでいて軽視することなくきちんと伝えてくれた。
後に別の上司は面接時に、「鬱だったから昇格が遅かったんだね、みんな(他の管理職)が言ってたよ」と今なら「危険球」のようなことを平気で言った。

入社後数年で希望していた部署に就き、多い時には月に三度も海外出張したこともあった。今のような「働き方改革」ではありえない深夜残業もあったが、全く苦にならなかった。(働き方改革=残業削減ではないのだが)
終電近くなってせっかく会社を出たのにそのまま飲みに行ったことも一度や二度ではない。それでも翌朝8時半には元気に出社していた。

うれしいはずだったし、頑張れるはずだった。だがいつしかぎくしゃくしてしまった。
うつ病社員は通常「腫れ物に触る」ような要らぬ気づかいを受けるか、さもなくば前述の「危険球」を投げつけられるかという頃、当時の上司の配慮と対応には今でも感謝している。

もし今、自分に部下がいたとして、同じような境遇になったら、本人の意思を尊重しつつも、職場の規則や厳しい現実や処遇を説明することができるだろうか。

危険球?


2019年11月3日日曜日

衝撃的な仏教


衝撃的な仏教

知らない、あるいは思い込みというのは恐ろしい。

別段何の宗教にも興味はないが、自分の中で身近だと勝手に思いこんでいた仏教。寺社仏閣何でもかんでもとりあえず「南無阿弥陀仏」と拝んでいれば心の平静は保たれ、「何かor誰か」が困った状況にある自分を救ってくれるあるいは救われるものだと思っていた。

一切皆苦、この世はすべて苦であり、自分を自分で変えられると思うのは勘違いであると、「禅僧が教える心がラクになる生き方」(南直哉著、アスコム)では、仏教を「ヤバい宗教」だとしている。なかなか衝撃的だ。

祖父母が「ナンマンダブ、ナンマンダブ」と、仏壇や近所の寺で祈っていた姿を思い出すが、仏教をそんなふうに「救いようのない」ものと分かっていたのだろうか。
実体がない自分なのに生きていかなければならないのが自分であり、悩みという諸問題に対しては対峙する以外解決の道はない、と断じている。(アドラー心理学的?)

押し寄せる憂いに対して敢然と立ち向かう力があればあまり困らないのだが。そう、少なくとも今は足りないから困っている。

この本を読むと、巷に言う「本当の自分」とか、いわゆる「自分探し」が馬鹿げて見える。自分を決めるのは他人。そうかもしれない。特に会社員の場合、自分の評価や給料を決めるのは他人だからな。

一方、何に苦しんでいるのかを、書き出して説明してみろと言われると「うっ」と詰まることがある。モヤモヤは続くのだ。
太古の時代も人間の苦しみの総量は現代に生きる我々と同じだと聞いたことがあるが、人間(の心)はかくも面倒なものだ。

ゴクラク行けるかね・・・


1丁目のバーガーキング

前回ハンバーガーを食べたのは、 2019 年 2 月、サンディエゴの Burger Lounge だ。滅多に食べないこと、そして滅多に行かないアメリカで食べたのでよく覚えている。彼の地に住む中学時代の同級生が連れていってくれた。アメリカーンな美味しいものだった。 最寄り駅にバーガ...