2020年9月26日土曜日

喜怒哀楽、その総量の絶対値が豊かな人生

喜ばしいこと

怒れること

哀しきこと

楽しいこと

 

嬉しいことや楽しいことが多いほうがいいと今でも思っている。だが実際にはそうではないことも知っている。だから等分であればそれでいいではないか、と五木寛之サンのエッセイを読んでそう思っていた。

 

還暦からの底力(出口治明著、講談社現代新書)で紹介されている、小田島雄志サンの考えは「人生の楽しみは喜怒哀楽の総量である」というものだ。喜んだり怒ったり、哀しんだり楽しんだりがたくさんある方が面白いし、人生は豊かになるはず、だからプラス・マイナスの計算ではなくその総量の絶対値で捉えたほうがいいと出口サンは言っている。

それでも右肩少し上がりならいい


そうなると、これまで散々味わってきた「哀」の部分が多い---すなわちマイナスの大きな絶対値を持つ---我が身としては、ぐっと「豊かな人生」に転じることとなる。

だがそれは振り返れば言えることだと思う。その深い霧の中にいるときは辛いのだ。出口も見えなければそのまま一生涯晴れることもないだろうと悲観することもしばしばだ。ブッダも究極のマイナス思考からスタートしたことを考えれば、そう気軽にプラス・マイナス関係なく絶対値が大きければよいという考えには至ることができない。

 

それこそ、マイナス思考なのかもしれない。

だがそう思ってしまうものはしかたがないのだ。皆が出口サンのように、或いは小田島サンのように考えることはできない。しかしながら、一縷の望みというか、新たな視点を持つことができるのは「嬉しい」。

 

流行りの本は図書館で

心の持ちようで鬱が晴れることは実感としてわかっている。それがコントロールできない状態が病であることもハッキリしている。よく研修などで見かける、喜怒哀楽の感情を表す曲線を手書きで示すグラフを書くとするならば、やはり、ジグザグしながらも緩やかに右肩上がりになっていればそれで良しとする他はない。

流行りの書籍を読んで、それでも素直にハイハイとは聞けないけれど、それが自分でもある。

 

2020年9月25日金曜日

車が車でなくなる日

カリフォルニア州で2035年までにガソリン車の新車販売が禁止されるという。所有することや中古車を排除するものではないというが、かなりショックを受けるニュースだ。

環境問題待ったなしの状況においては、むしろ遅いということかもしれない。

https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20200924&ng=DGKKZO64175400U0A920C2MM0000

924日日経夕刊 米カリフォルニア州、ガソリン車の新車販売禁止へ

 

ガソリンエンジンの原型は、1860年にフランスのエティエンヌ・ルノワールが「ガスエンジン」の特許を取ったことにあり、これが初めての実用的な内燃機関といえるそうだ。

https://www.webcg.net/articles/-/36567

 

中学校の「技術」の科目でも内燃機関は学習した。技術科教室の外には廃車となったトヨタ・コロナが置かれていて、ボンネットを開けてエンジンをのぞいたりした。高校ではさっそく「原付」免許をとり、50CCのシリンダーを唸らせた。車体重量と自分の体重を合わせたものがたった50CCのシリンダー内部での燃焼により走る力に変わるのだからそのパワーは強大だ。箱根の坂を走ったときなど、悲鳴と煙が上がっていた。

技術科教室の外にあったトヨタ・コロナ


オカシイ!と言われそうだが、排ガスの匂いは嫌いではなかった。モクモクは困るが車もバイクもほどよいノイズやスモークはエンジンの鼓動だと思えばむしろ応援したい気持ちになった。

YAMAHA MR50

また、好きだったわけではないが、大型バスのディーゼルエンジンの音と排ガスは、スキーバスの思い出でもある。(さすがに当時の車内のたばこの煙には閉口した)

新宿から夜行バスでスキー場へ


そのガソリンエンジン(ディーゼルも)が禁止され、なくなっていく。代替として電気、水素は定着するのか、はたまた何か画期的なクリーン動力が発明されるだろうか。それとも車に乗らないという発想の転換が起きるのか。

地球上ありとあらゆる場所で排ガス出せばそれは天候も変わるだろう。期待されるイノベーションは滅ぶ日をどれだけ伸ばせるかというあがきでもある。

 

「地球上の生物の歴史は約40億年あり、その悠久の歴史のなかで私たちの直接の祖先であるホモ・サピエンスが生まれたのがわずか20万年ほど前であって、あと10億年で地球上の生物の歴史が終わることもわかっています。太陽が膨張して地球上の水が失われるからで、フランスの社会人類学者クロード・レヴィ=ストロースが人間なくして地球は始まり、人間なくして地球は終わると述べた通りです。」(還暦からの底力、出口治明著P77

 

人間は勝手に湧き出て、自然を謳歌し、破壊してもろとも滅びていくということか。20万年前に生まれ、残りがあと10億年ならまだ「未来」はありそうだが。

 

先は長いのか短いのか?

 

2020年9月22日火曜日

コロナ前には戻れない病

リモートワークも完全に定着したが、そんななか、オフィスの改装は続いている。もちろんコロナなどみじんも存在していなかった頃からスタートした改装は途中でやめられるはずもなく、「新しい働き方」を目指す理想の場として整えられている。

 

もう二度と乗ることもない?

皮肉にも、リモートワークが新しい働き方の大きな選択肢の一つとなっていて、口の悪い者は、「会社へ行く意味がわからない」とさえ言う。コストをかけて改装してしまったカイシャは「生産性を高めよ。そのためにはどこで働いていてもかまわない」と半ば投げやりな感じが漂っている。

 

「世界のオフィス一変」という記事では、金融やIT企業を中心にオフィス面積を縮小していると伝えている。一方で郊外にサテライトオフィスを構えるといった動きもみられる。拡張の代表例として米アマゾンが挙げられているものの、代表例の次が記事には見つからない。また、コスト削減の視点で見られるようになったフリーアドレスも感染防止の観点から禁止の動きが出ている。

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO64037880Y0A910C2SHA000/

世界のオフィス一変 / 日本経済新聞電子版9/20

 

やはりトレンドとして都市部のオフィスから、在宅や郊外型となっていくのだろう。ワーケーションも取りざたされているが、例えば避暑地や温泉地へ行ったら仕事などする気にはなれない。

 

いまや「コロナ前に戻る」ことは罪悪とさえする論調が目立つ。すなわちオフィスに出社して顔を突き合わせていた「あの頃」の働き方だ。苦痛を伴う通勤時間や、長いミーティングは確かに困ると思う一方で、そうした従来の「ワイガヤ」から生まれるものがなくなることへの懸念もある。

双方が納得するようなデータはあるのだろうか。

確かに満員電車通勤は苦痛でしかなかった。だが、ずっと自宅にこもっての仕事はオンオフの切り替えが難しいという実感がある。通勤がないということは帰り道がない。すなわち寄り道もできない。またダラダラミーティングは願い下げだが、近所の席の人に声掛けすることでスムーズに仕事が進むことも多々あった。

では、ワイガヤから生まれていたものは何か。あるだろうと思いつつ、とてつもないイノベーションが生まれたという記憶はない。

 

「もうもとには戻れない病」に感染した経営者は拡大の一途だ。

2020年9月21日月曜日

両刀使いで健康を維持すべし

土曜、日曜、敬老の日、秋分の日という豪華四連休。

本来なら実家へでかけたり、墓参りしたりしたいがままならない。先月から出戻り長男が加わり、図らずも家族での夕食の機会が増えた。なんと贅沢で貴重なひとときだろうか。ひと頃、不健康に太り始めた長男は自力で復活。今はジムに通い節制しながら健康的な姿に戻った。長男も次男もどうやら酒は嫌いではないようだ。

住宅街にひっそり


辛党の反対は甘党。

妻が先日、近くのモールで大福を買ってきた。甘いものを食べる、それはそれで美味しいのだが食欲がなくなるため、夕食前には決して食べないようにしている。そして夕食後に一口食べてみると思ったほど甘くはなかった。悪くない。

 

そして昨日、ビールが切れたのでモールへ行こうとすると、妻が例の大福を買ってきてほしいという。特設売場に並んでいたのはあんの種類が豊富なイマドキの大福だった。こしあん、ごまあん、よもぎあたりはよいとして、みかん、いちご、ピーナツクリーム、カスタード・・・。10種類以上はあっただろうか。

 

そしてそして本日、散歩に出た先は区内で評判のケーキの工場直売所だった。なぜそこになったのかは分からない。駅からも遠く、住宅街にひっそりと看板を出している。ほとんど全品がホール売りだ。これまで近所のケーキ屋で買う時は、家族の誕生日でもカットしか買わなかったのに。我が家は一時的に人口も一人増えたし、ホールケーキでもダイジョブだと根拠のない確固たる信念のもと、ティラミスを購入。自宅から片道30分強、それだけ歩くのだから食べてもよかろうという正当な言い訳が加わる。5号(約15センチ)1900円。

家に戻るなり、スプーンで少しすくってみる。濃厚な美味しさ。これ以上食べると夕食のビールが飲めなくなるのでストップ。ちょっとうまくて困っている。

 

長男が最近夕食の際、米を食べない。アルコールを飲む時はカロリー総量など何となく計算していると見える。甘辛攻撃で誘惑してはならないが、そもそも自分が危うくなってきた。甘くても辛くても美味しいモノはやはり罪作りだ。

2020年9月13日日曜日

【書籍】こころの相続 五木寛之著SB新書

もちろん不動産、株など金融資産相続のハナシではない。

自分は親からどんなしぐさを、考えを、姿を、あるいは味覚を受け継いだだろうか。

また、暮らした土地、地域から沁みついたものは何だろう。

 

何を残せる?

昭和七年生まれの五木サンは、筆舌に尽くしがたい朝鮮半島からの引き上げの経験をしている。それはエッセイの中でも、以前より少しずつだが頻繁に書き記されている印象を持つ。14人の作家による文庫オリジナル戦争小説集、「永遠の夏」(末國善己編、実業之日本社文庫)にも「私刑の夏」を寄せている。

若くして両親を亡くし、親から受け継いだものは何一つないと思いきや、実は学びがしっかりあったという。

 

翻って自分はどうだろう。

額の禿げ方、やせ型体型、使いづらい万年筆。

実家でももうどこかに仕舞われた父の遺影のイメージは、自分で今鏡を見るとなんだか似ていると思う。小さいころに海に連れて行ってもらったとか、休日にはチャーハンを作ってくれたなど、些末なことは覚えているが、父は入退院を繰り返し、自分の高校入学式当日に亡くなったので、あまり多く対話をした記憶がない。声は覚えていても、話し方の特徴やくせまではたどれない。

 

では、母からはどうだろう。

洋裁で身を立てるという道もあったようだが、結婚して家庭を守るという道を「選んだ」と以前聞いたことがある。昭和30年、40年代といえば高度成長まっただなか、ほとんどの女性は同じ道を「選んだ」ことだろう。

月並みだが、家庭の味、家庭での調理やスタイルを目の当たりにできたのは有難かったと思っている。食べ物を粗末にしない、しっかりだしをとる、献立は大人と子供をきちんと分けて父の酒の肴を準備する。

 

そんなスタイルを見たおかげで、今でも子供たち---といっても今はほとんど家にはいない---に食事を用意するのは苦ではないし、たとえインスタントが混ざったとしても何かしらひと手間加えることは必ずするようにしている。これは素晴らしい「相続」だと自画自賛している。いや、自画自賛ではなく親に感謝だった。

 

一生懸命に何かを残そうなどとは思わないが、「人の手本にはなれないが、見本くらいにはなれるだろう」と密かに思っている。

 

2020年9月12日土曜日

セミをとってはいけません

セミ幼虫捕獲禁止 / 不要捕蝉的幼虫

 

三日前、朝のジョギングでいつもと違う方向へ走った。そちらには大きな公園があり11キロ強のジョギングコースがある。緑が多く、広い園内にはテニスコートが4面ある。朝の散歩に、ジョギングに、たまのサボりにうってつけだ。

 

走り始めようと思った時、今まで気づかなかったが貼り紙が。

 

遠目に見ると中国語しか見えない

不要捕蝉的幼虫

在公园中的动植物的采用被禁止

セミ幼虫捕獲禁止

公園内での動植物の採取は禁止

 

中国語の文字級数のほうが大きい。一行だけ、文字の線は細いがハングル文字も書かれている。中国語としては何かしっくりこない。取ってはいけないということはイラストもあるのでわかるだろう。どう直せと言われても分からないが語順も異なる気がする。

 

セミの幼虫の捕獲目的はわからない。わからないが羽化するのを近くで見届けたいという子供心の好奇心とは明らかに異なりそうだ。役所に尋ねた人のブログもある。

https://semitama.jp/report/1899/

食用でセミを捕らないでという看板の真相。役所に聞いてみた

 

食用として紹介しているページもあるが、これは見るにとどめておこう。たんぱく源として昆虫食が世界的に注目を集め始めているがまだ自分には厳しい。だが、見る人から見れば、我々が美味しいと言っている中トロなど、「生で赤い魚の切り身など誰が食うか」という人がいてもおかしくない。(人口としてはそっちの方が多いか)

 

1990年、北京のスーパーでは蟻の瓶詰を売っていたし、レストランで蠍の素揚げもあった。蠍はトライしてみた。素揚げなのですなわち姿揚げなのだがさすがに口にするには時間を要した。が、目をつぶってカリッといけば、完全に食べなれた「かっぱえびせん」なのだった。見た目と味のギャップが忘れられない。

ビールのつまみに・・・とまではまだいかない。

 

2020年9月10日木曜日

かぐわしき、沈香

カンラン樹ジンチョウゲ科ジンコウ(アキラリア)属。

ベトナム、タイ、インドネシア、マレーシアなど東南アジアの国々で産出。

水沈香樹の樹脂分だけが残ったものを総称し沈香という。原木は比重が軽く、樹脂が含まれることで比重が増し、水に沈むことから、正しくは沈水香木という。

http://www.kyukyodo.co.jp/product/incense/materials.html

鳩居堂HPより

ひたすら落ち着く深い香り


お寺の匂い、葬儀の際の焼香の匂いを想像するが、全く異なる高貴な香りがする。20本入り、6㌢で1300円(税抜)は感覚的にとてつもなく高いが、比べるものがない。1本あたり71.5円。家で薫り高い落ち着きのひとときが過ごせると思えば安いのか。この香りで落ち着くと感じるのはシニアの域に達したか。

 

「沈香の中でも特に樹脂分に富み、最高級の香りとされる。玄妙な香りが特長」とあるのが、沈香の倍以上の値が付く「伽羅」だ。「玄妙」という進出単語は、goo国語辞典によれば「道理や技芸などが、奥深く微妙なこと。趣が深くすぐれていること。また、そのさま」。要は奥深くすばらしいということだろう。

 

香り、薫り、匂い、におい、臭い。

欧州では化粧品市場の売上の半数がフレグランスだ。体臭と混ざり合い、その人の個性になるという。それは香しいのか、ビミョーなのか。臭いのか。翻って日本では「無臭」癖というか、強い香りは敬遠されるし、漂白剤の強いにおいなどは「香害」とまで言われる昨今。

 

腋臭も臭いというが、人によっては魅力と感じる人もいる。食べ物の匂いもその土地の文化に深く根差している。事程左様に人によって感じ方は千差万別。

加齢臭の正体はノネナールという物質だが、これとて、人によっては祖父、祖母宅で嗅いだような「懐かしい匂い」というひとも存外多い。一律に目の敵にするのはいかがなものだろう。

 

香炉はちょっと今風

特にお香に興味があったわけではないが、香炉まで買ってしまった。そうなると、種類の異なる香を、同じ香炉に入れる気にはならない。沈香ひと筋でいくか、普通の皿の上で別のを焚くか。残り一本になった沈香を見つめて、次を思案している。

2020年9月6日日曜日

秘儀、ワルツ走法

 ゆっくりという概念を超えたスロージョギング

「減量やメタボ対策、生活習慣病の予防や治療、サルコペニア*や脳機能の改善に効果的である事がわかっています」とある。

*サルコペニア(sarcopenia)とは、加齢によって骨格筋の量や機能が低下している状態のこと。

http://slowjogging.org/about

スロージョギングとは 同協会ホームページより

 


これに出会って早6年くらいか。完全に習慣となった数少ないものの一つだ。メタボ予備軍からも完全に卒業でき、体重もキープ。ハーフマラソンにチャレンジするまでになったのは、自分でも驚きだ。しかもビールもとんかつも我慢する必要がないのはありがたいことだ。


スロージョギングの考案者、故田中宏曉先生(福岡大学名誉教授)の指導を受けた時に、呼吸も腕の振りも自動(考えなくていい)、とのことだった。

 

考えなくていいとは言っても呼吸は気になるものだ。たいがいは「吸って、吸って、吐いて、吐いて」の四拍子だと習う。ランニングに効果的な呼吸法では四拍子か三拍子だが後者は少ないと記してある。

https://runnet.jp/smp/community/beginners/training/1188090_1647.html

ランニングに効果的な呼吸法 RUNNETホームページより

 

そう、自分にはその少ない三拍子がピタリとあっている。スロージョギングを習い始めた時の練習が三拍子の音楽を使っていたため、しみついてしまった。苦しくないし長続きする。「吸う、吸う、吸う、吐く、吐く、吐く」が「タンタンタン・タンタンタン」と小刻みなリズムとなり、スムーズに進む。これを勝手に「ワルツ走法」と呼んでいる。

 

ワルツ走法は、ジョギングになっても変わらない。10キロ、ハーフマラソンにチャレンジした時も三拍子で走り続けた。最後の方できつくなれば四拍子にする。するとラクになる。



ボルトなら100メートル10秒として1Km 140秒、1人約20キロ走る箱根駅伝なら1Km 3分、スロージョギングは人によるが、1Km 8-9分ほどだ。ウォーキングしているひとを追い越さない練習もあった。

 

これだけは続けて、健康寿命を延ばしたいものだ。

2020年9月3日木曜日

CD5枚は果たして大人買いか


在宅勤務をきっちり終え、散歩がてら隣駅の居酒屋まで歩く。スタートの早いその店はすでにカウンターが9割埋まっていた。
「シュッシュしてね」
という入口での手指消毒の声掛けが挨拶代わりだ。大瓶に野菜三点盛りでスタート。ひとしきり飲って店を出て、川沿いを歩いて帰る。

トイレいっとくか。で、シマホ(と呼ぶにはどうも無理がある島忠ホームセンター)で用を足す。するとワゴンセールのCDが目に入った。オールディーズ、ジャズなどがメインだった。1300円。「オリジナルアーティストCD」と強調してあるところが、怪しい。30年前の中国の海賊版CD屋の様相だ。

激安CD オリジナルアーティスト


1981年にはドイツでテストCD(カラヤン指揮によるリヒャルト・シュトラウスのアルプス交響曲)が製造され、当初の予定通り1982年にはCDの生産が開始されました」
オーディオ買取屋 「世界初のCDは」より抜粋

そう、大学に通っていた1983年から1986年頃は、まさに過渡期で大学生協のレコード売場がCDに徐々に浸食され、プレイヤーも売り出されその後急速に広まった。音質は「半永久的」だと説明されていた。劣化しないという意味だろうね。だが聞くためのハードは劣化どころかもう姿を消して久しい。パソコンにCDドライブがついているとすればそれはもはや骨董品級だ。

そして今はデータ。少し寂しいのは「影も形もないこと」だ。レコードは小脇に抱えて大事に扱った。針を落とす瞬間はドキドキした。凝ったジャケットも大きな楽しみのひとつで、音楽を所有することができた時代だ。CDは半永久的という高音質を12センチの円盤に閉じ込めた。ポータブルCDプレイヤーが登場し、高音質を「WALKMAN」した。出張時に必ず持っていくCDもあった。

懐かしんでいるだけではただの愚痴だし、新しい物事への適応も必要だ。そこで昨年グーグルミュージックを半年くらい聞いていた。リストも作れるし気に入った曲もたくさん見つかり重宝していた。
この手のサービスは各社が展開しているが、何百万曲、何千万曲聞き放題と言われたところで好きなアーティストが入っていなければ意味がない。それにいくら音楽好きとはいえ一生かかっても聞き終わることはない。

そんなわけで結局、飽きが来て聞かなくなってしまった。きっと情報が多すぎたのだ。

ホームセンターで割と好きなジャンルの安いCD5枚まとめて大人買いしたのは、案外いい出会いだったのかもしれない。(1500円で大人買いと言っているところが寂しい)

2020年9月2日水曜日

罪なジャズ・ギター教則本


7月は本当にずっと雨だった。8月は本当に猛暑日が続いた。そして9月になって一気に涼しくなった。季節は順にやってくると知りつつも梅雨時に雨が続けば晴れを求め、猛暑が続けば凉を乞う。だが気温や雨の降り方のひどさや35度を超える高温など、これまでの天候と程度が異なるのは明らかだ。

当然体調も優れない。気分も優れない。知人から「いいことない?」とメールが来る。いいことなどそう転がってはいないのだ。そんな中、「音の鳴らないギター」を買って三週間。適当にぼろぼろ弾きながらYouTubeを見ていたらジャズギター入門の動画に出会った。
宇田大志サン ジャズギター入門

これが懇切丁寧。入門とあるがジャズギターというだけあって、さすがにチューニング方法から始まるわけではないが、実にゆっくり進む。これならついて行けそうだ。(やる気が続けばのハナシ)

つい…買ってしまった

偉そうでないのがいい。カッコつけてないのがいい。他の動画だと、「俺はこれだけ弾けるんだぜ」というのを最初に見せておいて「こんなの弾いてみたかったらまあ見てくれよ」という感じのものが多い。自分から壁を作る(もちろん故意に)動画だ。

その点、宇田サンのジャズギター入門は急がず、こちらがじれるほど丁寧だ。30分かけて4コードを習得なのだが、無駄感がない。最後にはギター練習カラオケもついている。このサイトだけでも十分だと思いつつ、つい、買ってしまった。彼の教則本を…。

一世を風靡した…(写真はよそ様より)

これで思い出すのが、「成毛茂のロックギターレッスン」だ。ネットで調べると1973年に作られたものらしい。その4年後に初めてエレキギターを買って、当然のように成毛サンの教本も買った。だが当時は熱にうなされたように一時的な盛り上がりでもあり、買うことで燃焼しきってしまい、手を付けた記憶が全くない。この教本とカセット、メルカリなどを見ると1000円台もあるが9800円という値付けをしている「悪い奴」もいる。需給関係が一致すれば買うやつもいるかもしれない。

さて、宇田サンの素朴さにほだされ、まんまと教本を買ってしまったが、今のところ順調に序盤を進めている。が、タイトルを見間違えていた。

「3年後、確実にジャズ・ギタリストになれる」ではなかった!

1丁目のバーガーキング

前回ハンバーガーを食べたのは、 2019 年 2 月、サンディエゴの Burger Lounge だ。滅多に食べないこと、そして滅多に行かないアメリカで食べたのでよく覚えている。彼の地に住む中学時代の同級生が連れていってくれた。アメリカーンな美味しいものだった。 最寄り駅にバーガ...