2021年3月27日土曜日

美しい旋律に抱かれるとき

外付けハードディスクに溜めにためた音楽ファイルがいったい何曲あるだろう。

持っているCDや、何年も前に借りてきたものを、iPodやストリーミングサービスがある前からファイル化してきた。一生かかっても全曲を聞くことは無いだろうと思うほど。

丸っこい形がユニークなCDラジオ


今それを、KENWOODAP-300というCDラジオ(古い?!)の「ランダム再生」機能で一日中流している。本当はじっくり聴きたい。だが在宅「勤務」でそれをしたら、仕事にならない。中高生の頃、机の上にドンとラジカセを置いて、ただひたすらに好きな音楽を聴いていた時とは残念ながらわけが違う。

 

そんな膨大なファイルを流していると、自分で保存したものなのに知らない曲に出会う。

「マスカーニ「カヴァレリア・ルスティカーナ」より間奏曲」という短く美しい曲に惑う。

 

心動かされるような、とまでいかなくても「いいな」とか、強い印象を与えてくれた旋律はいくらでもある。月並みだが初めてレコードを買ったチャイコフスキーのくるみ割り人形。曲のタイトルがそれぞれの曲とイメージがあって、なるほどと思った。岩崎宏美の伸びやかで透明感のある声。1977年に初来日、武道館でコンサートを行ったKISSには度肝を抜かれた(当時、中学生なのに見に行った)。スティーリーダンの複雑なコード進行もたまらないし、パットメセニーも没頭できる。ビルエバンスのThe Melody At Night, With You は安眠CDぶっちぎりの一位と言える。

 

我ながら雑食だと思う。ジャズ、フュージョン、クラシックロック、フォーク、歌謡曲、落語もある。(CDを集め始めた頃はJpopと言う言葉はなかった)

どれが好きかと言われても困る。雑食だからだ。福山雅治サンが作って前川清サンが歌っている「ひまわり」もいいし、1970年代から活動しているKISSもいまだに聞く。ミシェルペテルチアーニのピアノもいいし、志の輔らくごもBOXで持っている。

 

ランダム再生ゆえ、突然流れてきた曲に合わせ、サイレントギターにむんずと手を伸ばし、下手ながらかき鳴らしてみる。コロナを言い訳に買ってしまった大人のおもちゃだ。そんなことをやっていて気が付けば午前零時が近い。最近こんな時間の過ごし方をしたことはない。ある意味贅沢なひとときをかみしめる。

 

苦しい一週間だったし、対応を迷うメールも残るが、とりあえず週末を迎える。

 

2021年3月21日日曜日

「みんな! ニューヨークへ行きたいかーっ!!」「おぉー‼」

「地球の歩き方 東京 202122」が出ることを、昨年秋に知った。そのあと図書館で予約したものが届いた。

https://www.sankeibiz.jp/econome/news/201003/ece2010030900001-n1.htm

2020103SankeiBiz 話題の本『地球の歩き方 東京 2021~22』

海外版はバックパッカーのバイブルだった


一口に東京と言っても場所も切り口も多すぎる。都内に住んでいると「東京へのアクセス」と言う頁が新鮮でもある。このガイドブックの国内版は初。「J01」とあり、Japanの一冊目ということだろう。

 

「地球の歩き方」は1979年創刊、「ヨーロッパ」編と「アメリカ」編の2冊により創刊されたと、wikiに載っている。正に「欧米」。相当ざっくりした括りでどこの国、都市が掲載されていたのか創刊号を見てみたい。

 

その5年後、「アメリカ」編1984年をバイブルにニューヨーク~ロサンゼルスをグレイハウンドで横断旅行を試みた。初海外旅行、初ひとり旅だった。帰りはホノルルへ寄るというおまけつき(寄っても航空運賃が同額だったため)で、夏休み2カ月ほとんどを使った。格安航空券という言葉は出始めた頃だろうか。成田→ニューヨーク/ロサンゼルス→ホノルル→成田で198000円だったことを覚えている。当時最も安いものを選んだつもりだ。よって、大韓航空。もちろん直行便ではない。金は無いが時間はあった当時の正しい選択だ。世界地図を見れば、成田からは東に向けて飛んでいくはずだったが、格安便はまずソウルへ向かった。

そしてソウルで乗り換えのため数時間を過ごし、一路ニューヨーク!へ向かう前には当時アンカレッジ経由だった。日本を出る前、もうしばらく食べられないだろうと思って成田で蕎麦屋に寄ったが、アンカレッジ駐機中、出迎えてくれたのは「うどん」の暖簾だった。

 

「ググる」が存在しない当時、地球の歩き方はバックパッカーにとっておそらく唯一の情報源だった。都市や交通の紹介記事の合間を埋めるように、「旅した先輩」の体験談が載っている。どこの店が美味しかった、景色は最高だったというハナシからきわどい武勇伝的なものまでさまざまだ。「生の声」は貴重だったが、今思えばN=1の情報が全てというのは恐ろしくもあった。

 

当時あれほど盲目的に憧れたアメリカ。今グレイハウンドに乗れと言われても遠慮するが、「地球の歩き方 東京」の表紙を見て少し冒険したくなった。

2021年3月20日土曜日

似た曲探し② 日本のフォークとアメリカンポップス

古今東西、似た曲というのはあるものだ。

名曲と誉れの高い楽曲が、盗作疑惑があったというのは「天国への階段」が裁判沙汰にもなったことで分かる。ちなみにこれは盗作に当たらないという判決が下っている。

盗作? 似た曲探し 日本のフォークとアメリカンポップス

 

先日、「一家に一枚 The Nightfly / Donald Fagen」の際に購入したうちの一枚、「THE ROYAL SCAM」の二曲目、「THE CAVES OF ALTAMIRA」を聴いていたらまた思い浮かんでしまった。「風」というグループの三枚目のアルバム、Windless Blueの二曲目の「夜の国道」と酷似しているということに。

世界史の教科書でおなじみ


THE CAVES OF ALTAMIRA」(アルタミラ洞窟)といえば、それにピンとこなくても、世界史の教科書に出ていたあの赤茶けた洞窟壁画を覚えていることだろう。例によって、スティーリーダンのこの楽曲の歌詞の意味まで拾っていないのでどんなことが歌われているかはわからない。まさかアルタミラ洞窟へ向かうために「夜の国道」を走ったではなかろう。

 

そしてさらなる驚愕。

THE ROYAL SCAM」の三曲目「DON’T TAKE ME ALIVE」のイントロになったところで、これも風の「Windless Blue」の一曲目「ほおづえをつく女」のイントロにしか聞こえない。あれれ?

名盤のひとつに間違いない


これはもう確信犯ですな。盗作なんて言わない。「インスパイア」されたのだろう。共に1976年のアルバムと表記がある。当時一般にインターネットはもちろん存在していないので、今ほど情報入手の即時性は無い。ここはひとつ、先入観を捨てるとどちらがインスパイアされたのかもわからない。

 

ひとつ言えることは、風の三枚目のアルバムは、二枚目までのいわゆる「日本のフォーク」からいわゆる洋楽系にがらりと作風が変わっていることだ。

 

別にどっちがどうでもいいのだ。今言えるのは、現在この二枚のアルバム「THE ROYAL SCAM」「Windless Blue」どちらも心地よく聞けるということだ。

 


2021年3月17日水曜日

本日の、収穫。

用事があってオフィスに行った。勤め人であるのに、「用事があって」とはひどい表現だが、緊急事態宣言下の在宅勤務が続く中で、それほどオフィスは「遠い」ものになった。通勤がある時はあえて時差出勤をしていたが、今日はずっと以前に通常だった朝の時間帯に地下鉄に乗った。満員ぎゅうぎゅうではないにしろ、けっこうな混雑ぶりだ。


そんなオフィスで、休務から元気に戻ってきた同僚と少し話をすることができた。実に嬉しいハナシだ。月並みな表現だが、改めて彼女の繊細さを感じるとともに、やはり筆舌に尽くしがたい苦しみがあったことを知る。話を聞いていると、大いに共感する事もありながら、誰一人同じケースなどなく、ひとくくりには語れないものだということを改めて思い知る。自分のケースとも明らかに異なる。

 

医者でもなければカウンセラーでもないので、彼女の経験を聞いてアドバイスをすることなど愚の骨頂だ。ただ「自分はこういう状況だった」「そのときこう感じた」というN=1の体験、実感、経験をシェアするのが精いっぱいだ。それとて、何の役にも立つことはないだろう。それでいいのだ。

 

ずいぶん長く苦しかった(今も時折感じる)経験を何とか生かせないものかと思ったことはあるが、それは友人の忠告に従いすぐにやめた(カウンセラー?無理無理)。そんなに甘いものではない。医者もカウンセラーも、「相性」があるというのは悲しいかな現実だ。骨折治療や病気の手術にも相性はあるのだろうか。「いやー、今回の白内障手術、ちょっとウチだと治らなかったねー」なんていう医者はいるのだろうか。即訴えてやりたい気がする。

 

横浜で、メンタルクリニックに通っていた頃、医者は「いい感じ」だったが、薬を飲んでも一向に回復した感じがない時期が長かった。自分の「早く治りたい」という気持ちに対して、医者は「今より悪くしない」という治療方針だった。そのギャップはもっと早くに埋めておきたかった。

きょうの嬉しい「収穫」


人間は、一枚皮(皮膚)で被われているが、そのどこかが傷つけば気持ちも含めて体内の平衡は崩れ健康な状態が少なからず阻害される。たとえ傷つかなくとも、生まれながらに体の内に四百四病を持つ我々は実に危うい状態で難しいバランスを保ちながら生きているのだ。

 

同僚の笑顔に会えた、いい一日だった。

2021年3月15日月曜日

カナダに漂着したハーレーダビッドソンのハナシ

録画しておいた「世界にいいね!つぶやき英語」という、ツイッターで発信された内容を紹介する番組をみた。ここで、3/11Three eleven, March eleven)に関する投稿が取り上げられていた。

津波に流されカナダに着いた(イメージ)


東北のどこかの県から津波で流されたハーレーダビッドソンがカナダに漂着した。持ち主が特定され、その人は津波を逃れて生きていた。そのバイクをハーレーが無償でオーバーホールし、持ち主に返却するという提案があったそうだが、彼(彼女?)はそれを断ったということが紹介されていた。被災地で大変な思いをしている人が多い中、そのオファーを受けるわけにはいかないという判断をその人は下した。

 

二つの考えがあると思う。

一つはこの話の通りで、道楽で乗っていたバイクを直してもらっても被災地で乗るには忍びないというものだ。蕎麦屋や新聞配達でハーレーを使っているというハナシは聞いたことがないし、見たこともない。趣味道楽と考えるのが普通だ。自分一人が趣味のバイクを直してもらうのは肩身が狭いと感じたのだろう。

 

もう一つは、そのオーバーホールのオファーを受け、困難な中においてもバイクという趣味を失うことなく生き生きと活躍する道だ。普通の心の持ち主であればそんなオファーをしてくれたハーレー社を激賞することだろう。本人は心の張りを持って生活再建に取り組む。ハーレー社は間違いなく称賛される企業となるだろうし、ステークホルダーの「信頼」も大きく勝ちうるだろう。

 

自分なら間違いなく後者を選んでしまいそうだ。

だがそれは震度5弱の東京にいたからそういう判断になるのだ。もしこのハーレーの持ち主が家族を亡くし、原発事故の影響による帰宅困難地区に住んでいて、職を失い、失意のどん底にあればピカピカのハーレーが戻ったところで何の意味もない。

 

結局、当事者にならないと何もわからないのだ。同情することはできる。いつからはやり始めた日本語か、「寄り添う」ことはできる。だがその人の気持ちを理解することなど絶対にできない。土足で入り込むことなど許されないのだ。

 

バイクの持ち主が本当にまた乗りたいと思った時に、ハーレー社が応えてくれたらそれぞれの思いはどれほど大きく増幅することだろうか。

 

 

 

 

2021年3月13日土曜日

【書籍】うつな気持ちが軽くなる本 / 大野裕著

不安を感じる自分のことを情けなく感じるかもしれません。

しかし不安になるのはあたりまえ。自然な心の反応です。

ですから不安を感じることに不安になり過ぎないでください。

新しいことが起きている時に何も心配せずにいたら、思いがけない失敗をする可能性があります。きちんとできるかどうか心配な気持ちになるからこそ、私たちは事前に丁寧に準備をすることができます。

(うつな気持ちが軽くなる本 大野裕著)



心配になるというのは、準備した方がいいという心のメッセージ。優しく響く。こういう本やこうしたメッセージにもっと早く出会っておけば「どん底具合」の程度ももう少し浅かったかもしれない。著者は日経で連載もしている認知行動療法の第一人者とのこと。

 

「うつや不安症は、体験したことのない人には想像できないほど、とてもつらく苦しい体験です」

ともある。本当にそう思う。落ち込みや不安とは明らかに異なる病的な症状に陥ることがある。より深い落ち込みや不安なのだが、その状況をいまだにうまく説明できないので困る。「正常な(或いは通常の)思考や判断ができなくなる状態」

といったところだろうか。「うつ病とうつの決定的な違い」で記したが、正常な判断ができなくなる最たる状況が「自死を考えるかどうか」であると思う。選んではいけないものを身近に考えてしまう。究極の選択に自らにじり寄るように動いてしまうエネルギーはいったいどこから湧き出てくるのだろうか。

 

「人間はだれでも本当は死と隣りあわせで生きている。自殺、などというものも、特別に異常なことではなく、手をのばせばすぐに届くくらいのところにある世界なのではあるまいか」(大河の一滴 五木寛之著)

 

何もかも投げ出したくなる時はあるだろう。だがその原因には、対峙するしかないというブッダやアドラーやマルクス・アウレリウスの教えは数千年前から変わっていない。エネルギーが著しく減少している時に対峙するパワーは弱ってはいるが、そうする以外にないのだ。

 

時間をかけて向き合えばいい。

2021年3月4日木曜日

ATMに通帳やカードが吸い込まれても・・・

228日、みずほ銀行のATMが全国でシステム障害を起こした。金の引き出しができないだけでなく、カードや通帳が機会に吸い込まれたまま戻ってこず、何時間も待たされた人も出た。さぞかしイラついたことだろう。インフラの中でも最重要である個人の資産が一時的にせよ「凍結」されるのは信頼を損ねるに十分だ。

怒っちゃ やーよ(2007年撮影)


だがこんなことは今後も起こるだろう。システム障害などという高度なトラブルでなくとも大規模停電となればカードも通帳も機械に入りさえしない。どう自衛したものか。

 

その点、31年前の中国北京の銀行では通帳への記載が手書きだった。停電でも全く問題ないぞ。達筆だったのを覚えている。おそらく数字の書き方も決まりがあっただろう。今となっては保管しておかなかったのが悔やまれる。当時の銀行窓口業務はなかなか鮮やかな手さばきだった。

 

例えば現金を引き出そうとする。まずは「填表」(書類を記入)し、窓口の人に渡すと、何やら「さささ」と書いたり印を押したりして、次のチェック係にパスするのだが、この時放り投げて渡すのだ。複写式のペラペラ紙だけでは「飛んでいかない」ため、大きめクリップに挟んでパスするのだ。これが隣や、はす向かいの席にいる次の担当の机中央の絶妙な位置に着地する。そのたびにクリップが机の上に敷いたガラスに当たりカチ、カチと音を立てる。

これを、重しにして書類を飛ばす


書類は何か所か、カチカチ旅をしてクリップに紙幣が挟まって、もとの窓口に「飛んで」くる。最後は自分の前に紙幣が「放り出される」。なかなかの衝撃だった。銀行勤めの人は、金をモノと思わないとやっていけないと聞くが、それは大金を扱う時のハナシであって、そういうのともちょっと違う。

 

もちろん、今はそんな光景はどこにも見られない。あくまでも31年前のハナシ。立派なATMがそこかしこにある、と言う時代もさらに飛び越え、今やキャッシュレス。進化のスピードは日本の何倍も速い。

 

 

 

 


2021年3月3日水曜日

【CD】Gaucho / Steely dan 1980

ちょっとした部屋の模様替え---配置を変えただけなのだが---をして小さなスピーカーの位置を変えスティーリーダンのガウチョを聞いてみる。

「漂う」感じがたまらない


レコードで持っていたが実はCDでは持っていなかったアルバムだ。

Babylon sisters

Hey nineteen

Glamour profession

Gaucho

Time out of mind

My rival

Third world man

ドラムスがスティーブガッドだったり、パティオースティンやマイケルマクドナルドがバックアップボーカルだったり。全体的に「漂う」雰囲気のアルバムだと思っている。今もほとんどBGMとして聞いているので歌詞をきちんと読んだこともないし、ギターでなぞってみることもない。そもそもコード進行が「耳コピ」では全く歯が立たない。

 

アルバムが発売された1980年は、全く空っぽの高2だ。K又君と気が合ったのは覚えているが、それ以外本当に記憶が欠落している期間と言える。高1の時、3階教室からよく見えた相模湾と大島・利島は、階がひとつ低くなり眺めが悪くなった。さびれた観光ホテルの跡地に建てられた県立高校はそれでも海沿いを江ノ電が走り、暴走族も走る一等地だった。

 

「高校時代は1年休んで留学する」と勝手に描いていたプランが、父の死でいとも簡単に崩れたあとは、自分の中に何も残っていなかった。リカバリープランを考えられず、そもそも親頼みだったところが、今思えば幼稚としか言いようがない。結局そのまま高3を経て浪人へ突入していくだけだった。

 

それでも3年次に、後にプロギタリストになったS崎がうちに遊びに来てギターを弾いてくれたり、セッションの真似事をさせてもらったりしたのは本当に嬉しかった。一昨年、英会話学校のおばちゃん先生に「灰色でスタートした高校時代の黄金の思い出」の話をしたとき、「たとえひとつでもそんなに楽しかった瞬間を、今話せるのはすばらしいこと」と英語で言ってくれた(たぶん)。

 

そうかもしれない。

ガウチョを聞いて、そんなことを感じた。

1丁目のバーガーキング

前回ハンバーガーを食べたのは、 2019 年 2 月、サンディエゴの Burger Lounge だ。滅多に食べないこと、そして滅多に行かないアメリカで食べたのでよく覚えている。彼の地に住む中学時代の同級生が連れていってくれた。アメリカーンな美味しいものだった。 最寄り駅にバーガ...