用事があってオフィスに行った。勤め人であるのに、「用事があって」とはひどい表現だが、緊急事態宣言下の在宅勤務が続く中で、それほどオフィスは「遠い」ものになった。通勤がある時はあえて時差出勤をしていたが、今日はずっと以前に通常だった朝の時間帯に地下鉄に乗った。満員ぎゅうぎゅうではないにしろ、けっこうな混雑ぶりだ。
そんなオフィスで、休務から元気に戻ってきた同僚と少し話をすることができた。実に嬉しいハナシだ。月並みな表現だが、改めて彼女の繊細さを感じるとともに、やはり筆舌に尽くしがたい苦しみがあったことを知る。話を聞いていると、大いに共感する事もありながら、誰一人同じケースなどなく、ひとくくりには語れないものだということを改めて思い知る。自分のケースとも明らかに異なる。
医者でもなければカウンセラーでもないので、彼女の経験を聞いてアドバイスをすることなど愚の骨頂だ。ただ「自分はこういう状況だった」「そのときこう感じた」というN=1の体験、実感、経験をシェアするのが精いっぱいだ。それとて、何の役にも立つことはないだろう。それでいいのだ。
ずいぶん長く苦しかった(今も時折感じる)経験を何とか生かせないものかと思ったことはあるが、それは友人の忠告に従いすぐにやめた(カウンセラー?無理無理)。そんなに甘いものではない。医者もカウンセラーも、「相性」があるというのは悲しいかな現実だ。骨折治療や病気の手術にも相性はあるのだろうか。「いやー、今回の白内障手術、ちょっとウチだと治らなかったねー」なんていう医者はいるのだろうか。即訴えてやりたい気がする。
横浜で、メンタルクリニックに通っていた頃、医者は「いい感じ」だったが、薬を飲んでも一向に回復した感じがない時期が長かった。自分の「早く治りたい」という気持ちに対して、医者は「今より悪くしない」という治療方針だった。そのギャップはもっと早くに埋めておきたかった。
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| きょうの嬉しい「収穫」 |
人間は、一枚皮(皮膚)で被われているが、そのどこかが傷つけば気持ちも含めて体内の平衡は崩れ健康な状態が少なからず阻害される。たとえ傷つかなくとも、生まれながらに体の内に四百四病を持つ我々は実に危うい状態で難しいバランスを保ちながら生きているのだ。
同僚の笑顔に会えた、いい一日だった。

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