2019年10月27日日曜日

今日できることは明日に伸ばそう!


今日できることは明日に伸ばそう!

普通は逆で、「今日できることを明日に伸ばすな」という戒めだ。
Never put off till tomorrow what you can do today.
というらしい。

高校の頃、偶然聞いたラジオの深夜放送で「五木寛之の夜」という番組があった。これ以上暗い曲はないのではと思うほど物悲しい感じのテーマ曲が流れていた。女性アシスタントのトークはボソボソ声で、番組全体はかなり地味な印象だったがなぜかひかれるものがあった。その始まりのナレーションで、「今日できることは明日に伸ばして・・・」
というセリフがあったことを記憶している。(正確ではないかもしれないが)

もちろん当時は、なんてこと言っているんだ、早く片付けたほうがラクに決まっているじゃないか、と思っていた。

今はどうだろう。

明日どころのハナシではない。伸ばしまくっている。週単位はおろか、年単位で伸ばしているものもある。こういう時、人はその能力をいかんなく発揮し、後付けの理由を鮮やかに並べ立てることができる。

「今それに取り掛かるのは得策ではありません、なぜなら・・・」といったようにだ。特に仕事においてはこの時ばかりは明快な優先順位付けができる。(手を付けない、やらない、という順位)

Let me sleep it over.ちょっと(寝かして)考えさせて。

少なくとも一晩は放っておいても良さそうだ。

2019年10月25日金曜日

恐怖心と、すくむ感覚


勝手にやってくる「恐怖心」と「すくむ感覚」

自分の場合最も困るのは、まだ遭遇してもいない物事に対して勝手に生じる「恐怖心」とそれからくる「すくむ感覚」だ。何かをきっかけにして突如訪れ、まとわりついて離れない。

バカじゃないか?
そう思う。馬鹿げている。まだ当の心配の種(実体)はやってきていないのだから。まだ生じてもいないのに先回りしてこれという理由もなく一人沈んでいく。厄介だ。

どんな状況かと例えて言うなら、それは蟻地獄の罠(巣?)の壁面にへばりつく自分が、外へ逃れようとしてバタつくことで壁面が崩れてしまう感じでもあり、身長の何倍も深く、サイドが見えないほど巨大なプールのど真ん中にいて、どのサイドへ向かっても泳ぐ気力がなく、浮いて待つのも困難なほど呼吸が苦しくなってくる感じでもある。

また、水よりも若干粘土のある液体が入った大きなメスシリンダーにすっぽり入っていて、浮かび上がれない感じ(この場合なぜか呼吸はできる)でもあり、決して洗い落とすことのできないタールにまみれている感じでもある。絶望的だな。

ある時あっちから押しかけてきて、しばらく居続ける。時として豪雨、時として浸水。
時期も期間も程度も都度異なる。避難指示は自分で出すしかなく、タイミングもまた難しい。共通するのは「恐怖心」と「すくむ感覚」なのだ。
ただひたすら疲れる。

この壁面にいて、ずるずる落ちる感じ

2019年10月20日日曜日

限りない癒し・自分の場合その1


限りない癒しその1

癒されるというと、少し安っぽいか。

Keith Jarrett, The Melody at night with you

そこらの睡眠導入剤より確実に効果はあると断言しよう。自分の「ジャズの師匠」が教えてくれたアルバムだ。この師匠、小・中学校が一緒だったがその後は別々に。長じて後、何度もあったり飲みに行ったりしたが、いつしかジャズの師匠になっていた。

聞くべき名盤はもちろん、「聞いてはいけない」(自分にはまだ早い)アルバムまで教えてくれた。こんな雰囲気の曲はないか、とか、ピアノソロが美しいやつ、というぼやっとしたリクエストにもたちどころに回答してくれた。
20年近く前、香港駐在時には国際電話をかけてそうした掴みどころのない要求を投げかけた。必ず毎回軽快にそして的確にアーティスト、アルバム名を教えてくれた。オフィスからの帰りにはHMVへ直行し、すぐさまCDを仕入れた。

youtubeによくある、眠れる系、リラックス系は電子音音楽が多い気がする。そして、5分で眠れると書いてある割には2時間、3時間モノだったりする。
その点、このアルバムはピアノ(とキースジャレットの多少の唸り声)だ。どこまでも優しく安堵できる。

癒しからは少しそれるが、楽曲と風景が強い印象と共に完全にくっついて離れないものがいくつかある。
EaglesNew Kid in Town(アルバムホテルカリフォルニア全曲)と志賀高原スキー場。
Steely DanPegとアメリカ、フロリダ州の南端、キーウエスト。
Huey Lewis & The NewsThe Heart Of Rock & Rollと長距離バスのグレイハウンド。
Every Little ThingFor the momentと駐在時の香港オフィスから自宅までの車の中。
QueenBohemian Rhapsodyと中学校の音楽室。(これはそこで聞いたのではなく、イントロコーラスの練習をした)

それぞれの曲が、その場所にいたときにかかっていた、或いは練習していたと言えばそれまでなのだが、とりわけ印象が深い。キーウエストでその時あったベトナム人の顔も名前も覚えているし、香港の帰り道はカーブの順番まで頭に残っている。

「癒し」とは少し異なるが、音楽がもたらす心地よい思いに変わりはない。

2019年10月14日月曜日

吹っ切れるきっかけをくれた恩人



「もう、いいんじゃないですか?」

何度も何度もお世話になったカウンセラーの方がある時そう言ってくれた。

常に眠たそうな表情で、柳に風といった印象(スミマセン)のその方は、
「もうそんなに自分を責めたり、一生懸命やろうとしたり、積極的とか、キャリアがどうしたとか、そんなことは考えなくて、もういいんじゃないですか。好きなように生きていきましょうよ」

泰然自若とした感で、そんなふうに、ゆったり、じっくり、そして染み入るように話してくれた。

認知行動療法という言葉にも方法にも初めて出会った。匙を投げずに根気よく教えてくださった。今はその方のカウンセリングは卒業したが、個人的に「緩いおつきあい」をさせていただいていると勝手に思っている。

自分では気にしていないと言いながら、周りの評価に(一喜)一憂してみたり、まだ取り掛かってもいない仕事に過度な心配をしてみたり。いろんな懸念を自ら探しだし、小さなことでクヨクヨする。自分ではそんなに小さいとは思っていないのだけれど。他人から見たら「?」のようなことばかりなのだろう。
そんな自分の性格や考え方を理解してくださったうえで、投げかけてくれたアドバイス。

知らない間にがんじがらめに固く絡まった結び目の一番上がひとつ解け、
長年落ちることのなかったシミのようなものが、少し滲んでいった瞬間だった。

「ふぅーーーーーーーーーーーーー」と深呼吸をしてみた。
後から分かったことだったが、自分が飼っていた「黒い犬」はその時少し、だが確実に小さくなった。

2019年10月9日水曜日

X軸より上へ這い上がれ。


X軸より上へ這い上がれ。

キャリア開発講座や、書店にあふれるキャリア開発本などで、これまでの自分の来し方を振り返る、というのは必ず行われる項目だ。以前ある研修で学生時代(小学生時代含む!)からこれまでの歩みについて、気持ちの変化を示す曲線を描くというものがあった。
「部活の県大会に出場できた!」
「念願の海外駐在になった!」

そんな場面では曲線がグッと右肩上がりになる。完全な自己基準であまり悩まずに感覚的に描く線だ。

鬱屈した気分になって以降、実際に描いたわけではないがこの曲線がグラフのX軸の上をいったことがない。すなわち、ゼロ未満ということだ。

何がキャリアだ、と思う。

会社勤めを始めた1980年代後半。当時は少なくとも「ゼネラリスト養成」だった。おそらくほとんどの企業はそうだった。大学で何を学んだかは関係なく、入社後10年で数か所の部門、勤務地を経験すると人事部の説明があったことを覚えている。

時代は変わり、「スペシャリスト」がグローバル化対応の常識となっている。
Change or die!
それなら、自分は即死だ。
グローバルカンパニーで活躍するスペシャリスト人材は、dieする前に上手に、軽やかに他へ動いてく。die寸前だったなどとはおくびにも出さずに。大したもんだ。
ゼネラリストとして育ったつもりの、自身のフィールドは何だったのかと思う。
変われない者のひがみ?
そうだな。プロパーは全員死亡だ。

そんな中でも少しだけギラっと生きていたい。

2019年10月4日金曜日

線路が間近に見えた頃に出会った本

線路が間近に見えた頃に出会った本

ずっと浮かないどころか、絶望的なハナシをしていると、そんな自分にも疲れてくる。

どのように出会ったのかもはや全く記憶にないのだが、「大河の一滴」(五木寛之著、幻冬舎文庫)を手にした。ベストセラーだったから書店で目に入ったのだろう。買い求めたのは2000127日(木)午後三時過ぎだ。茶色に変色した書店のレシートが挟まっていた。平日じゃないか。きっと会社を午後半休でも取って、ほっつき歩いていたのだろう。読書嫌いの自分が何度も読み返した数少ない本だ。
何度も読み返した「大河の一滴」

「私はこれまでに二度、自殺を考えたことがある。最初は中学二年生のときで、二度目は作家としてはたらきはじめたあとのことだった」

と最初に目に飛び込んでくる。200012月は、「祝!大江戸線全線開通」した時で、線路わきのその看板が間近に見え、吸い込まれそうになったことを覚えている。

「人生は苦しみと絶望の連続」であり、「なにも期待しないという覚悟で生きる」というこのエッセイはその時の自分をしっかりと支えてくれた。

「人間はだれでも本当は死と隣りあわせで生きている」
「そう考えてみると、この<生きている>ということもまた、なかなかたいへんなことなのだなあ、と感じられてくる」
「物事をすべてプラス思考に、さっと切り替えることのできる器用な人間ばかりならいいだろうが、実際にはなかなかうまくいかない」
など、序盤から何の遠慮なく、死や孤独や生きづらさ、萎える心に触れられている。

「人生の苦しみの総量は文明の進歩と関係なく一定なのだ」
実感はできないが、そうだろうなという想像はつく。

今でも、そしてこれからも幾度となく読み返す本であることに間違いはなく、ベタな言い方だが、自分はこの本に救われた。

1丁目のバーガーキング

前回ハンバーガーを食べたのは、 2019 年 2 月、サンディエゴの Burger Lounge だ。滅多に食べないこと、そして滅多に行かないアメリカで食べたのでよく覚えている。彼の地に住む中学時代の同級生が連れていってくれた。アメリカーンな美味しいものだった。 最寄り駅にバーガ...