2020年3月31日火曜日

新橋で道を尋ねられて


3月半ば、新橋で道を尋ねられた。60代くらいの女性だった。

全日空ホテルの隣のアークヒルズへ行きたい、とおっしゃる。全日空ホテルは現ANAインターコンチネンタルホテル東京だとわかるし、確かにアークヒルズはその隣だが、六本木だ。そういう「おしゃれな街」には縁遠いが少なくともそれらが新橋にないことはわかる。しかも、友達と日本テレビの地下駐車場で待ち合わせなのだという。

おや?
日本テレビは新橋(汐留)だ。
そして次が決定打だった。



「六本木を歩いていたら迷ってここまで来てしまったんです」

ホテルとアークヒルズの場所は六本木であっている。日本テレビは新橋だが地下駐車場には自分も行ったことがあるし、情景が浮かんだだけに、気づくのが遅れた。六本木から新橋まで三キロ弱。タクシーなら10分で行けるが徒歩ではちょっと迷っている間にしては長すぎる。

最終的にどこまで行きたいのかをもう一度尋ね、アークヒルズだというので、汐留駅を案内し、そこから六本木まで一本で行けることを伝えた。

終始、きょとんとしておられた。
それはこちらとて同じことなのだが。

そういうときが自分にも訪れるのだろうか。映画や書籍、他人ごとでしかなかったが、ご婦人を見送ったあと考えてしまった。
自分の高齢の母は元気で認知症の疑いはまだなく、食事も自分で作って食べている。だが覚悟はしておくべきだろう。そして自分にも・・・。

その後地下鉄で六本木まで行ったのだろうか。
どう対応するのが正解だったのか。

2020年3月29日日曜日

成すべきを放り出すのは大人の流儀か


放り出すのは結局大人の流儀か

伊集院静著「ひとりで生きる」を図書館で借りてきた。「大人の流儀9」とある。もう9冊も出ていたとは知らなかった。たまたま広告でみたこともあり、買ってすぐに読みたい気もする一方、慌てることもないかと思い、予約からずいぶん日が経ったが順番が回ってきた。


読書嫌いの自分がすぐに読み終わるのだから、平易な部類だし、作家の武骨さを押し出したようなカラーを楽しみながら読める。その中で、不安への対処に関する記述があった。

「不安好き」な自分のセンサーが動く。何か新しいことを始めようとしたときに不安を感じるものだがこれには年齢に関係がないこと、そして、「少しだけ先のほうにある時間の中にあるもので考えてもしかたがないことなのだ」とある。

その不安を解消するために最もよくないのは、「やろうとしていることを放り出すこと」だそうだ。放り出すことで不安よりもさらに辛いことに追い込まれる、と容赦ない。自己嫌悪を感じるとまで言っている。

またか。「やはり困難には対峙するしかない」ということなのか。
マルクス・アウレリウス著、自省録で読んだばかりだ。ブッダもアドラーも似たようなことを言っている。

だが一転、「それもあり」だと記している。どっちだよ。
逃げる、放り出す。そうすることができたら以前より少し進むし、少し自分が強くなれるのではないか、そういうことも生きていく中で必要なのではないかというのだ。
 
傷口から泡が出るのが痛気持ちよかった
子供の頃は、擦り傷にはオキシフルをかけて赤チンというのが定番だった。だが今どちらも見ない。オキシフルは悪い菌と同時に皮膚に常在するよい菌も殺菌してしまうというのだ。皆殺ししていたわけだ。
こっちが「赤チン」

酒は百薬の長、体に悪い、コーヒーはがん予防だ、いや反対だ。早寝早起き、規則正しい生活が必要だという人もいれば、作家の五木寛之サンのように、長い間昼夜逆転の生活を送りながらも間もなく90歳になろうかという健康な方もいる。こうした「良し悪し」の類はいくらでもある。

結局バランスだということになる。
ブッダによれば人間は四百四病を生まれながらに持っているという。一枚皮膚で覆われた身体の内外のバランス、そして精神のバランスをいかに保っていくか。常に平均台の上を歩いているようなものだが、10センチよりは幅がありそうだ。
少し安心する。

2020年3月27日金曜日

西暦121年と2020年の悩み


西暦121年と2020年の悩み

「変化しないものは役に立たない」
「思い込みを放り出せ」

イノベーションを語らない経営者はいないし、その文字を見ない日もない。
現状や過去の成功体験に縛られていてはダメだ、変化を恐れるな。

マネジメント何とかセミナーで聞くようなハナシがてんこ盛りに綴られている。
16代ローマ皇帝、マルクス・アウレリウス(121- 180)が自身の内面に向かいながらその折々の思索や内省の言葉を日記のように書きとめたものが「自省録」だという。


皇帝なのだから公務に忙殺されていたはずだ。その自省も生々しい。そして、その「お悩み」は実に人間くさい。自分自身を鼓舞したり、自らとの対話を通じてセルフカウンセリングをしたりしている。

「しっかりするんだ、自分!」と自分を奮い立たせながらも、自らの中にあった「思い込みを放り出す」ことでトラブルから解放されたとしている。皇帝として責務を果たすために、「避けなければならないこと」として、「不注意な行動、混乱した会話、ふらついた考え、内にこもった魂、感情むき出しの魂、余裕がないほど多忙な生活」を挙げている。ブレたらいかんということだ。Big Tomorrowを読みすぎた青年のような印象さえする。職務を誠実にこなしていたに違いない。

マルクス・アウレリウス


どの言葉をとっても2020年の今、全く違和感がない。2000年近く前から人間の思考、営みは同じだということがわかる。ゴータマ・シッダールタやアルフレッド・アドラーの悟りや心理学もみんなマルクス・アウレリウスのパクリだ。
ではアウレリウスは誰をパクったのだろう。ソクラテスか、プラトンか。

「本人に気づかせてあげればいい」という項では、腋臭と口臭に触れられていて、笑える。今のような「みだしなみ」という概念もあったのだろうか。それらがひどい人には「理性を使ってその人に気づかせてあげたらいい」という優しいアドバイスを皇帝はしている。

2020年3月22日日曜日

さえない第1四半期


昨年、二〇一九年一月と二月は仕事を全休した。三月はほぼ一カ月「試し出社」。ようは三カ月欠勤したことになる。何ともさえない「第1四半期」だった。

あれから一年、コロナによる在宅勤務ローテーションというイレギュラーはあるものの、今は普通に勤務している。働く、そして生きるモチベーションが強く戻ったわけではないが、食事も美味しく感じることが多くなった。
 
あんまり上がったことはない
これまで二十五年間、行った戻った、上がった下がった、また落ちたを繰り返してきた。あまり「上がった」記憶はない。「平ら」ならある。

だがこうして生きている。悪くない。悪くないぞ。
完治することもないのだからまあ、付き合っていこうという気にはなっている。たった三カ月休んだところで二十六年前に戻ることはないのだ。

ずっと落ち込んでいると、そのこと自体に疲れてくる。そのうちなぜ落ち込んでいたのか、なぜ疲れているのかさえ、わからなくなる時もある。

「うつ本」には「悩みを具体的に書き出してみよ」というのがよくある。確かにペンは思うように走らない。もともと明晰ではない頭脳の働きが、病のおかげでさらに落ち込むのだから、いくら考えても解が出ようはずはない。それらしいものが考えられたとしても堂々巡りしてまた落ち込むのがいいところだ。
 
毎回、もらうのが本当に嫌だった

そんな状態に陥ったなかで、昨年の「第1四半期」はここ近年ひときわ重い気分だった。不在(欠勤)だった期間を考えれば、会社が自分に下す評定は「最低」もしくは欠勤期間による「査定対象外」だと思っていた。ところが五段階で二がついた。

何がやるせない気持ちかって、その前年、欠勤する前、年間フルで働いていた二〇一八年の勤務評価が五段階評価の一、赤点だった。さえない第1四半期どころか、遡って二年、全くさえてなかった。トホホ。


2020年3月14日土曜日

【書籍】呑めば、都 居酒屋の東京 マイク・モラスキー著


マイク・モラスキー著、「呑めば、都 居酒屋の東京」を読んだ。
日本に長く住む、ガイジン目線のトーキョー居酒屋探検記と思ったらはるかに奥が深かった。


「町」「店」「人」を一方的に消費する「観光客」=Touristの域を脱し、出会いの喜びを味わいながら他者にも喜びを与える、れっきとした「旅人」=traveler目指すべきだという。(吉田類と双璧?)
これに沿って考えるなら、自分はTouristTravelerの中間といったところか。呑んで歩いて立派な書籍に仕上げる術を自分は持ちあわせていない。

一方、自分の呑みかたというものがある。何人も連れだって飲みに行くのは疲れたし、一人で好きなものをのんびりつまむのがいい。バイトの中国人店員と、たまにひと言ふたこと何ということもない会話をすることで、ふだんぶっきらぼうな表情が一瞬笑顔になるのを見るのもいい。「小町」だった女将のぼやきを聞くのもいい。無理やり隣の常連とも話す必要はない。


一人はつまらないという人もいるがむしろ満足度は高い。常連客の中には、ひたすら店員に自慢話をする者もいれば、つるんで騒ぐ者もいる。それらも含めたすべてが店のカラーだ。寛容の心というか、その雰囲気でもOKでなければ通うことはできない。それを押してでも通いたくなる店は本当に気に入った店ということになる。

そして、そういう名店は人には教えないものだ。

2020年3月13日金曜日

いま、心の備えはあるか


東日本大震災から9年。

発生から一カ月少し経った頃、会社の東北支社盛岡支店へ支援として赴いた。
418日(月)から週末まで、小学校や公民館、神社や老人ホーム、集会所などに化粧品のトラベルサイズやサンプル、顔や体用シートなどを届けて回った。車にできるだけ積み込み、とにかく回った。

まだまだ道路の両サイドはがれきが山積みになっていた。がれきというけれど、それは大きな家電類だけでなく、座布団や小さな靴や洗濯かご、こたつやら書籍だったりした。山林での家電の不法投棄ではなく、使っていた人がつい最近まで確実にいたモノたちばかりだった。
避難所が書かれた地図を頼りに


釜石、大槌の避難所を二人一組で回る。初めて訪れる町なのでカーナビで場所を登録するも、想像とは異なる状態になっていた。途中、トイレに寄ろうと、カーナビ画面にコンビニを見つけたが、「枠」しか残っていなかった。船がビルの屋上に陣取り、色のない信号機が宙を向いている。かろうじて車両一台分幅の道を縫って避難所を訪問した。

化粧品など生死には全く無関係な品物だ。届け先の反応はさまざまだった。泣いて喜ばれたり、「そんなもの、いらん、持って帰れ」と叱られたり。眉を書くのにマッチの燃えカスを使っていたということは後になってから知った。

一週間の最後の最後に届けたのは、児童公園に数人が避難しているという場所だった。憔悴しきったお父さんを見るのがつらかったが、場違いのような子供の笑顔に救われた。惨状の中を、それでも桜は咲いていた。

9年経ったいま、心の備えはあるか。

2020年3月7日土曜日

心よりお詫びするのはどんな時か


「本日京浜東北線内で起きました人身事故の影響で、浅草線は10分遅れての運行となっています。列車遅れましたこと、心よりお詫びいたします」
というある日の車内アナウンス。


本当に申し訳ない、謝らないといけないと思ったのはいつ、どんな時だっただろうか。

幼稚園の頃、近所の守君のミニカーを黙って持って帰ってきてしまった時、小学生の頃、江ノ電の線路に十円玉を置いてぺちゃんこにしたこと(これは江ノ電に対して?お金に対して?)、中学で部活の後輩を怖がらせたこと、高校の頃に友人から借りたベースギターを二十歳過ぎても使っていたこと、大学生の時に夜中に車移動の道すがら、三浦の畑で球体の果実をせしめたこと、社会人になって、帰省途中に渋滞中の首都高で前の車に追突したこと。

この中で実際に相手に謝ったのは交通事故の時だけだった。(守君のミニカーは母が謝っているかもしれない)

電車内アナウンスはもちろん心から詫びているわけではない。しかも自分のところ(浅草線)ではなく、他社(京浜東北線)のとばっちりによる遅れだ。都心であれば5分遅れようが、10分ダイヤが乱れようが、電車は次々やってくる。アプリで調べ、一分の遅れでも出たら新幹線に乗れなかった、飛行機に乗れなかったという路線でもない。

そうなると、分刻み、秒単位の正確さ(速さではない)が求められるのはどういうときだろう。時間外労働(残業)は1分単位で計算されなければならないそうだ。
知らなかった。

それに、例えばロケット発射のカウントダウンも一分違いというわけにはいかない。金融取引の世界もシステムのことを考えれば秒単位だろう(もっと細かいか)。電車が多少遅れても気にしないがもし自分の電波時計が狂っていたら気になる。鉄道事業者も「しみついた習性」みたいなものがあるのだろうか。新幹線の時刻も一分の中で00秒、15秒、30秒、45秒があるという。変態的なダイヤとしか言いようがない。

型と割り切っての「心よりのお詫び」などこの際やめて、軽めの提案。
「ただいま京浜東北線人身事故の影響で3分遅れで運行しています。ご了承ください」
で十二分ではないか。

2020年3月6日金曜日

空飛ぶマスク


マスクが空を行き交っている。

コロナウイルス感染を予防するひとつとして、マスクがある。専門家はマスクで感染は防げないという。ウイルス対策にならないことくらい、素人でも聞けばそうだろうなと想像できる。一方、咳やくしゃみの飛沫をまき散らさないということで言えば、一定の役割は果たすであろうことは、これも素人でも理解できる。おまけに日本は花粉シーズン。いずれにしてもマスクは必需品。


日本政府は33日、予備費から4000万枚分にあたる228500万円の支出を決めたという報道をみて計算してみる。一枚当たり57円。一月下旬、花粉対策として楽天市場で購入した60枚入りマスクは500円。一枚当たり8円ちょっとだ。もちろん比較の仕方は正しくないだろうが、それでも税金はこんな時さえ食われている。商機を逃さないプロが日中双方で確実に暗躍している。

あちこちで不足しているのだが、篤志家というのはいるもので、日本に住む中国人が、「武漢にたくさんマスクを送ってくれたのでそのお礼に、ここ(駅)で日本人にマスクを配っている」という。日本の中国語試験団体が中国にマスクを送ったと思えば、中国のネット通販最大手のアリババグループは日本にマスク100万枚を寄付すると発表した。
アリババグループが日本にマスク100万枚寄付 3日に到着

表示は今も変わらない
自分が買った60枚入りは中国製造。日本で売っているほとんどは中国の工場で作られている。運ばれた日本市場から中国へ送る。中国は感謝だと言って日本に送る。物資は常に上空にあって、なかなか行き渡らない。滑稽だ。

無事入手できた翌日から、ほぼ全ての市場でずっと品切れている。

2020年3月5日木曜日

Y字路の言い訳


息子の大学受験が終わった。

これまでのことは言ってくれるな、という。
彼の進路は自分が思っていたものとは異なっていた。

地元の中学から、私立大学の附属高校を受験、進学した。そのまま大学へ行くものだと思い込んでいた。だが大学へは行かず、専門学校を選んだ。

これまで自分の歩んできた道が正しいとか、そうあるべきなのだ、などとは思わない。だからこそ、その専門分野へ行きたい理由を幾度となく訊ねた。彼は言葉を尽くしたのだろうが、自分にはその道を理解する力がなかった。その後頑なな意思が翻ることはなかった。

 
Y字路は言い訳ができるが

ひょっとすると自分はある時点から、彼が「自分の意思を貫こうとしていること」に嫉妬を覚え、理解しようとする脳の働きを止めてしまったのかもしれない。彼は我を通した。望み通りの専門学校へ行き、二年を経て就職した。

その仕事は彼のやりたい仕事だったはずだ。結果、半年で辞めることとなった。
「それみたことか」
と、親として言いたかった。
だが、その道を説かれた時、自分の既成概念---すなわちフツーに四大へ行き、どこぞの企業に就職する---を打破してくれたのだ、と思い込むようにしていた。自分が「変革」を遂げないといけないのだと思っていた。彼の意を翻すのは良くないことだと感じた。

こんな話に結論など出ないし、持とうとも思わない。どちらも正しいと思え、どちらも間違っていると思えるからだ。
T字路は言い訳ができない・・・感じがする


幸福な道を歩むか、病に倒れるか、倒れないまでも正気でいられるか、楽しく過ごせるか。悲しい日々を送るか、ぼーっと過ごすのか。希望した仕事に就けるのか、就けたとしてやりがいを感じながら続けられるのか。

自分は今、いい感じか?
ああ、いい感じさ。

彼は夜の散歩に出ている。
強い夜風も今日は心地よかろう。

1丁目のバーガーキング

前回ハンバーガーを食べたのは、 2019 年 2 月、サンディエゴの Burger Lounge だ。滅多に食べないこと、そして滅多に行かないアメリカで食べたのでよく覚えている。彼の地に住む中学時代の同級生が連れていってくれた。アメリカーンな美味しいものだった。 最寄り駅にバーガ...