東日本大震災から9年。
発生から一カ月少し経った頃、会社の東北支社盛岡支店へ支援として赴いた。
4月18日(月)から週末まで、小学校や公民館、神社や老人ホーム、集会所などに化粧品のトラベルサイズやサンプル、顔や体用シートなどを届けて回った。車にできるだけ積み込み、とにかく回った。
まだまだ道路の両サイドはがれきが山積みになっていた。がれきというけれど、それは大きな家電類だけでなく、座布団や小さな靴や洗濯かご、こたつやら書籍だったりした。山林での家電の不法投棄ではなく、使っていた人がつい最近まで確実にいたモノたちばかりだった。
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| 避難所が書かれた地図を頼りに |
釜石、大槌の避難所を二人一組で回る。初めて訪れる町なのでカーナビで場所を登録するも、想像とは異なる状態になっていた。途中、トイレに寄ろうと、カーナビ画面にコンビニを見つけたが、「枠」しか残っていなかった。船がビルの屋上に陣取り、色のない信号機が宙を向いている。かろうじて車両一台分幅の道を縫って避難所を訪問した。
化粧品など生死には全く無関係な品物だ。届け先の反応はさまざまだった。泣いて喜ばれたり、「そんなもの、いらん、持って帰れ」と叱られたり。眉を書くのにマッチの燃えカスを使っていたということは後になってから知った。
一週間の最後の最後に届けたのは、児童公園に数人が避難しているという場所だった。憔悴しきったお父さんを見るのがつらかったが、場違いのような子供の笑顔に救われた。惨状の中を、それでも桜は咲いていた。
9年経ったいま、心の備えはあるか。

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