2020年6月29日月曜日

【書籍】残念な名言集


【書籍】残念な名言集 真山知幸著

ゲーテ:わたしはもう何の役にも立ちません

劇作家、小説家、科学者、哲学者、政治家としても活躍。34歳の時に夫人にあてた手紙で「わたしはもう何の役にも立ちません」と書いたという。書籍によれば、いろいろな「偉人」たちが「残念な」言葉を残しているが圧倒的に家族や知人にあてた手紙が多い。手紙は心情吐露の場だったのだろう。作品には表現しづらいから当然と言えば当然か。

残念感満載

石川啄木が仮病を使って会社を休んでいたとか、ナイチンゲールに自殺願望があったとか、ゴッホは、「今日もまた、仕事でつらい一日だった」などと、山谷ブルースの様な事を言っているとか。

明治大正あたりの人物ならまだしも、紀元前552年頃~紀元前479年の孔子も登場している。「もう筏にのって海外にでも行こうか」と、論語に書いてあるらしい。論語といえば「少年老い易く学成り難し」だが本当だろうか。

著者、真山知幸サンがラジオ番組FUTURESCAPEFM Yokohama)に出ていて、それぞれ偉人の言葉を拾うのに苦労したハナシをしていた。書籍として出版する以上、いい加減では困る。でもそんな本があるおかげで、偉人が少し身近に感じられる。

「何もする気がない」
石川啄木(18861912)は会社員としてはダメダメだったそうで、親近感を覚える。そのあたりだけは、自分にも「偉人要素」は確実にある。


2020年6月28日日曜日

くよくよ思考からの脱却


できない。

だからこの二十数年困っている。ただ、人から「いつまでもくよくよするな」などと言われたことはない。多分一度もない。
自分の内部でグルグル回っているのだ。これが実に厄介だ。

スキっとは晴れない

「くよくよ」は身をよじりそうなイメージだが、それは「くねくね」。
「笑える国語辞典」によれば、その語源は後悔する「悔い」と関係があり、さらにたばこの煙などを「燻(くゆ)らす」ことからきているという。
https://www.fleapedia.com/ 笑える国語辞典より、「くよくよ」参照

火が消えた後の煙のゆらぎは確かに不安定で、頼りなさげに立ちのぼる。そして薄くなり、消え入りそうになりながらもたなびき、且つ、そこに火があったのだということを残り香で鮮烈に示す。それはたばこでも、マッチでも焚火でも、それぞれの匂いがする。(最近は焚火もできないが)

悩み始めるとなかなかスッキリ消えない「くよくよ思考」。
白いハンカチについたシミが洗濯しても落ちないような、洗った食器に若干の油膜が残るような、ガムを踏んでしまいこすっても取れないような。
「で、何に困っているの?」
と言われると、説明しにくい。これがまた困る。

言語化、定量化できないことは、特に近年仕事の世界ではアウトだ。そう、アウト人間なのだ。長いこと悩んでいる自分に疲れるというのも一つある。じゃあ考えなければいいじゃないか。その通りなのだが。

自分自身に対しても言語化すなわち説明できないからモヤっと悩む。
だが、そろそろ自分を理解、支援、応援してやらないと、他は誰もしてくれない。それは当然のことだ。
困っている自分に手を差し伸べてみよう。

この項を書いていたら、翌日に日経plus oneでマインドフルネスを、プレジデントで「悩まない練習」号が出た。そういう時流には乗っているようだ。

2020年6月24日水曜日

誰が呼んだか三大煮込み


居酒屋探訪家の太田和彦さんの著書『居酒屋大全』によると、東京三大モツ煮込みは、森下「山利喜」、千住「大はし」、月島「岸田屋」。さらに東京五大モツ煮込みとなると、これに立石「宇ち多゛」と門前仲町「大坂屋」が加わる、と言う。
「東京五大煮込み 個性が炸裂する煮込みの名店はしご!」より

太田サンの著書は自分では確認していないが上記のような掲載が複数あるのできっとそうなのだろう。昨日その一角、岸田屋にお邪魔した。コロナ在宅勤務中、珍しく出社日で、早めに上がることもできたし、同僚の転職壮行もしたかった。彼はこのコロナさなかに社を移った。決して若くはないが天職を求めての果敢なアクションに感嘆する。
さんざん現職にモンクを垂れている自分にはとてもできそうもない。

その岸田屋は二回目の訪問だ。夏至を迎えたばかりで日は長く、午後六時から店前の椅子にかけて入店を待つ。暑くなく夕方の心地よい風と、向かいの店の焼鳥屋の煙が混ざり、それだけで幸せな気分になれる。前述の「五大」の中では、山利喜、大坂屋に行ったことがあるので五分の三、60%は制覇したことになる。「宇ち多゛」はあまりの列に断念した経緯がある。

そう、岸田屋には一つだけ難がある。店自体の問題ではないのだが、大衆酒場でありながら客の回転が悪い。二度の訪店で、「次」というところで三十分以上待つことになった。オープン時刻に客が入り、満席になった直後、というわけではない。

みなそれぞれ好きな店の定義はあろう。
     「看板メニュー」がある
     たたずまい
    
この三つを挙げたい。①はその店で必ず食べたいと思う一品があるかどうか。値段は関係ない。②はファサードすなわち店構え。古ければ良いというわけでもなくポイントは清潔感か。③も店全体を構成する重要なファクターだ。岸田屋の難は、発注無しの長居客が多いように見える。魚三酒場のように勘定による「強制終了」もどうかとは思うが、一通り飲んで食べ終えればそこはすっと自分で勘定をすませて立ち上がるのが「大人の流儀」だ。伊集院サンにも書いてもらいたい。

煮込みのイチオシ

訪店三店における煮込みの好みの順位は①大坂屋、②岸田屋、③山利喜。
人の好みなど聞いても仕方がない?

2020年6月21日日曜日

在宅と定年と有給休暇と


もう何日会社に行っていないだろう。
325日の株主総会は自宅から出て自宅に戻ったからその週はすでに在宅だった。それまでは隔週出勤。少なくとも丸々三カ月以上は家にいる。
 
在宅勤務三カ月以上

昨年の一月と二月は欠勤した。調子が悪かった。
その時家人には「定年で家にいるならいいが、病気で家にいるのは耐えられない」と泣きながら言われた。これはこたえる。自分だって出勤できないから休んでいるのだ。結局家にも居づらくなり恢復しないまま三月に出勤をはじめた。薬の量は変わらないまま、一年以上過ぎたところでこのコロナ在宅勤務が始まった。

仕事はしているが、通勤というオンオフ切り替えの儀式がないので気分はシャキッとしない。会社に行っても精彩に欠けるのだが家にいると本当に気分の起伏がない。
家人は在宅勤務を限りなく有給休暇に近い感覚で見ているようだ。

昨年の欠勤期間を優に超えた在宅勤務は定年生活の疑似体験もさせてくれた。三年遅れで大学生になった次男がいなければ本当に夫婦二人になるところだった。家人は仕事をしているので自分だけが家に取り残されることになる。小説に出てくるような「終わった人」の気分まで味わえた。

テレワークは全国で約3割、東京23区では55%が経験したという。この間会社のパソコンは利用状況が分析され、仕事ができない社員があぶり出されている。監視されこれから選別が始まるということだ。翻ってどの程度の人たちが理想的なアウトプットを出しているのか知りたいところだ。評価する側が出来ていないしわかっていないのだから、何か機械的な尺度が取り入れられることだろう。

それを無視するもよし、心を入れ替えて尺度に合わせて理想の働き方をするもよし。
どんな働き方であっても、何かにおびえながら、というのだけは避けたい。


2020年6月19日金曜日

My「東京百景」


又吉サンの「東京百景」(又吉直樹著、角川文庫)で、「東京は果てしなく残酷で時折楽しく稀に優しい。ただその気まぐれな優しさが途方もなく深いから嫌いになれない」と言っている。著書では「あくまでも自分の生活に附随した風景だから場所が随分偏った」とある通り、確かに吉祥寺、三鷹、高円寺など「西側」が多い。東京より「東側」は勝鬨橋、隅田川、舞浜、富岡八幡の4か所しかない。

又吉サンの東京は西が多い

香港から戻って江東区に住んだのは偶然だった。当時社宅が横浜、戸塚にもあり、そちらのほうが実家に近かったこともあり、気分は完全に「神奈川」だった。だが候補の三つ目に上がったのが江東区の社宅だった。少しひっかかったが、通勤時間の短さを優先した。

今でこそマンションが立ち並び、場所によっては「住みたいエリア」と言われているようだが、四十数年前は海抜ゼロメートル地帯ゆえの水害イメージと「夢の島」というテーマパークかと錯覚するごみ処理場をかかえ、杉並区と「ゴミ戦争」を繰り広げていた。治安も良いとは言えない地区だった。

自分にとっての東京は、どんなところだろう。東京と言えば人が多くて何でもある印象を持つが、自分が接する「東京」はその極めて限られた側面でしかない。面どころか点かもしれない。都会に巻き込まれて苦しむような思いはしていないし、又吉サンのように「気まぐれな優しさ」に出会ったこともない。

「東京百景風」に情景をちりばめるなら、こんなのはどうだろう。

【澱む小名木川】
隅田川につながる支流、小名木川の両サイドには整備された遊歩道がある。散歩やジョギングには絶好のコースだ。そこに一昼夜は越したと思われる、ドライな犬の糞が白い丸印で囲われている。たまに黄色やブルーの印の時もある。チョークで描かれたようでもあり、スプレーのようでもある。片づけない飼い主も飼い主だが、点在するドライ糞に印をつける人もつける人だ。だが糞を片付けない飼い主に注意をできない自分にも責任の一端はある。しばらく経つと糞も白い丸印も掃除されている。清掃員に対する業務指示に違いない。その指示を出すのは区役所職員だ。糞をする犬と片づけない飼い主を見たことがあるが、印をつける人と清掃員には遭遇したことがない。印は早朝に見かけることが多いので、早朝残業がついているはずだ。住民税の使われ方として適切かどうか考えてしまう。もし自分がその係だとしたら「ラクでラッキー」と思うか、「こんな仕事辞めてやる」と妙なキャリア意識を持つか、などと考えながら今週末も小名木川沿いをジョギングしている。水面は無意味に暗く、黒い。

     区に怒られそう(但し飼い主にはモンクをいいたい)
     作家にはなれそうにない

都民になって22年。自分の「百景」を描けるだろうか。

2020年6月12日金曜日

「たった本」の功罪


新聞の書籍紹介欄に、ロバート・アイガー著「ディズニーCEOが実践する10の原則」があった。「自分を見失わず革新に挑む」という見出しがついている。

書評では、

「タイトルの「10の原則」は決して目新しさを感じさせるものではないが、本文と付録の教訓に目を通せば、いかにその原則が成功を導くカギであり、決して容易なものではないことが鮮烈に伝わってくる」
本書は「本当の自分を見失わないことが、リーダーの本質だ」と締めくくる。

とある。

世にあふれる「たった本」
そう、誰もが実践できないから氏は米ABCテレビでも、ウォルト・ディズニー・カンパニーでも成功者となったのだ。「アドラーは言うけれど」でも記したが一般人、凡人にはできない習慣なのだ。(と思い込ませるのだ)

「7つの習慣―成功には原則があった」「ダイエットを成功させる たった5つの習慣」「代謝を良くするたった5つの習慣」「リーダーになる人のたった1つのこと」など世界中に限りなく「たった本」がある。N=1結果のオンパレードだ。待てよ。そうだとすれば、「たった本」を何百も寄せ集めて分析すれば「それなりの習慣」は煎じ詰められるかもしれない。成功者をたくさん集めての分析ならたった一人のたった本よりは信ぴょう性が高い。

さてそんな理想には程遠く、五里霧中、暗中模索、呉牛喘月、前途多難な日を送る自分の習慣は何だろう。

・朝のコーヒー
・体幹トレーニング
・週末ジョギング

ここまでは悪くない。

・仕事帰りの居酒屋通い

これも考えようによっては一日のリセット、明日への動機付けともとれる。

・悲観癖

これは・・・。これが抜けないから負のサイクルを巡ることになるのだ。鬱々たる自縛呪縛。たった1つの苦しい習慣だ。何度味わってきたことか、この苦境。脱出する術をいまだに持てない。

成功習慣で全員がリーダーだらけになったらいったい誰が働くのだ。だからもう次は会社員はやめておこう。

2020年6月10日水曜日

FM Yokohamaが開局する前


19851220日、FM Yokohamaが放送開始。今年35周年を迎える。


大学三年の時だった。金は無いが時間は余るほどあった。(だから今、賢くないのだが)
パソコンもスマホも無い当時、通学時はもちろん、夜中もラジオはかけっぱなしだった。気に入った曲があれば、聞き漏らすまいと全身耳にして曲名、アーティスト名をメモった。貴重な情報源だった。気に入った曲があれば、小遣いためてタワレコに走った。
渋谷の店舗でレコード漁った

そのFMヨコハマの放送開始前(開局前)に、ほぼノンストップで音楽と渋い声の曲紹介が流れていた。それを録音したカセットがある。90分テープのAB面ともフルで入っている。
試験放送の位置づけであろうから、ナレーションは曲紹介以外にほとんどない。
今思うと、FMは、NHKFM東京・・・しかなかったのか?
J-WAVEの放送開始は1988101日)

局の名前を「Y84eighty four)」とカッコよく言っているのだが、これが聞き取れない。Patti Austin, Baby Come To Meはわかるのに、Y84が、why beforeに聞こえた。悔しい!リスニングの限界か。発音が違うのは分かっているのだが、どうしてもY84とは結び付かなかった。

Number one and still working hard for you this is FM Yokohama”
軽快なピアノのジングルの後で、
You are listening to FM Yokohama 84.7 on your radio dial”
Y84 port Yokohama Hit Pocket Produced by Teruo Nakamura, this is Genesis”
とか言っている。(今のリスニングが正しければ、だ)

スティービーワンダーのクリスマスソングがかかっているところを見ると、開局(1220日)近い時期だったのだろう。

放送が始まり、平日の午後1時から、帆足由美サンがDJを務めていた「ココナッツ・パラダイス」という番組があった。オープニングにSteely DanPegをリクエストしてかけてもらったのを覚えている。ハガキだよ。ハガキ。
ラジオもスマホでクリアに聞ける。タイムフリーで後からでも聞くことができる。「聞き逃した悔しさ」を味わえないともいえる。

残念だね。


2020年6月3日水曜日

プラ無しの生活をできるか?


65日は国際環境デー。

会社のソーシャルアカウントの投稿ネタ探しで血眼になって世界で通じる「国際〇〇デー」を探すまで恥ずかしながら知らなかった。ミレニアルやジェネレーションZと呼ばれる若い層ほど今や環境問題に敏感で、しっかり対応していない企業のものは買わないというはっきりとした意思表示をする傾向があるという。立派な考えだ。

もうすぐ使えなくなるレジ袋

地球で人間だけが利便性を追求し、愚かに発展を遂げたため結局は自らの首を絞めることになり始めている。いや、手遅れなのかもしれない。手遅れだから敢えて見ないようにしているのかもしれない。「不都合な現実」は山ほどあるのだ。

声高に環境問題を語ることは誰にでもできる。気にくわない企業があればソーシャルメディアでやりようによっては個人でも大きなアンチキャンペーンを張ることもできる。翻って個人でどれだけの具体的なアクションを取れるだろうか。

自分の家を見てみると、ごみで圧倒的に多いのはやはりプラごみだ。可燃(紙類、生ごみなど)より、ビン・カンよりよほど多い。ある新聞記者がプラごみを出さぬよう買い物に注意して過ごしたところ、スーパーではほとんど買える物がなかったという記事が出ていた。
ちょっと自慢。甘いか?

あまりにプラが生活に浸透しているため、高潔に考えると物事は進まない。そこで、昨年春以降オフィスのそばのコンビニで毎朝買っていたペットボトルの緑茶をやめてみた。月20日出勤として年間240本にもなる。プラごみ問題を直視すれば全くの焼け石に水だろうが、個人で240本というと、少し貢献した気になれる。こんなことからのスタートでもいいのではないか。

やはり多いのは食品の包装だ。スーパーでは発泡トレイを使用していない肉や魚を選びたいがまだ少数。魚寅の魚のパックはラップがほぼ全品二重になっている。水分が漏れると客からモンクがでるためだろう。

レジ袋(ポリ袋)が使われ始めたのは1970年頃からだという。セブンイレブン一号店は1974年。その後のCMでポリ袋を持った夫婦が「夜買い物をするのはヘンじゃない」というすりこみがなされ、それはコンビニによる「新しい生活様式」を定着させるものだった。

時は流れて来月(20207月)からは全ての小売店でポリレジ袋が有料化される。世界的な流れからは遅れているが日本における歓迎すべきアクションだ。
マイバックはすでに定着しているからレジ袋はもうもらわないが、ふと買い物をしたくなった時に無いのは困る。そういう時は買わないという選択をする必要があるのかもしれない。店から見れば売上機会損失、買う側から見れば欲しいのに変えない、でも環境にはよい。

人間は買い物欲をがまんできるか、どうか。試される7月だ。

2020年6月2日火曜日

老若己の知を知れ


リチウムイオン電池を実用化した功績が認められ、ノーベル化学賞を受賞した、旭化成名誉フェロー吉野彰サンが、若者に向けて「どんな35歳になりたいかということを意識して今から自分自身に投資していく意識を持つといいと思います」と紙面で語っている。「2030年の社会を支える君たちへ」と題した経済紙では「10年後の日本と世界」も示されている。
10年後、行ける?

l  日本人宇宙飛行士による月面探査が実現する
l  人工知能が人間と自然な会話ができるようになる
l  ロボット潜水艦が集めたデータを編集し、世界の海(36000万平方キロ)の海底地形図が完成する
l  2030年の実質国内総生産(GDP)は、AIIoTの活用が進展する場合132兆円押し上がる
l  訪日外国人旅行者の数が6000万人(消費額15兆円)に達する
l  就業者数は2017年の6530万人から6124万人に減少する(ベースラインでの試算)
l  国内のバイオ産業市場が、現状の年間約3兆円から約20兆円の規模に成長する
l  都市への人口集中が世界規模で進行し、都市人口が世界人口の6割(49億人)を占める

例えば最初の月面探査は、宇宙航空研究開発機構の出典とあり、それぞれ記されているので、「荒唐無稽な絵空事」ではなさそうだ。それに10年先というのは見えないほど遠い将来でもない。今回のウイルスから逃れたという心理的な安心感を再び得るまで時間がかかることを考えるとインバウンドの6000万人達成は遅れるかもしれない。

このように何となく想像できる範囲というところがいい。そりゃそうだ。高校生向けの記事で100年の大計を語ったところで現実味は無くそっぽ向かれるだけだ。

イノベーションは既存知の掛け合わせからのみ生まれることを考えるとその「種」はいたるところに存在しているはずだ。既存知は、経験知ともいえる。すると若者には見えない「知」を持っているのは、若くはない我々ということになる。自身の持っている(かもしれない)それに気づけないこともあるだろう。
若くも、老いても自分の目にはこれがなかなか見えないのかもしれない。だからこそ、多様な目が必要なのだ。(ダイバーシティの作文みたいになってきた・・・)

ノーベル賞受賞者が研究をスタートさせた平均年齢が30代半ば(同紙)だという。35歳。香港駐在から帰ってきた1998年だ。何も考えていなかったなー。


2020年6月1日月曜日

うつで会社を休んだ人はなぜ喫茶店のマスターにでもなろうと思うのか


だいたい、喫茶店のマスターに失礼である。「にでも」はないだろう。だがなぜかそう思う人は多い。

落ち着く香り

楽そうだから?
ひとりでもできそうだから?
複雑なことはなさそうだから?
好きな音楽を流しておけば良さそうだから?
ぼっとする時間が取れそうだから?
無口でもやっていけそうだから?
何となくやれそうだから?
あくせく感がないから?

全国の喫茶店店主に叱られそうだが、「なんとなくやれそう感」はずっとある。今の目の前のコトから逃れたいときに、想像するんだな、香りのよいコーヒー、好きな音楽、そんなに混雑しない店内、うるさい客はいないなどと勝手に。駅前ではなく、住宅街でも海に近い路地でも、山あいでもいい。自分の「小さな陣地」で空想の域内でどんどんイメージが広がる。そしてそれは大ごとには全く感じられない。ふわふわしながら希望が持てる感覚だ。

だがまたしても喫茶店に失礼である。「でもいい」とは何事だ。第一、自分の好きな場所に店を設けるなど、良い物件や資金がなければそもそも無理なハナシだ。それに客は選べないし、やることは(きっと)山ほどあるし、(きっと)想像とは違うだろう。

小さな陣地

客商売なのに、客を意識するところまで至らず、単なる「憧れ」のままだから「なんとなくやれそう感」が抜けないのだ。景色、香り、音など、もやっとした状況をイメージして悦に入っているだけなのだ。

「いらっしゃいませ」と声をかけないといけないとか、雨の日はびしょ濡れの傘で床が水浸しになるとか、禁煙だと言っているのにたばこを吸うやつとか、WiFi無いのかというやつがいるとか、会計の時に一万円札しかないというやつとか、カップを洗わないといけないとか、コーヒー豆の営業が気にくわないヤツだとか、テーブルに傷がつくとか、掃除とか。
そういうのは空想「外」。だから行けそうな気がするのだ。それもひどいね。

喫茶店はとても開けそうにはない。
でもなぜか魅力的だ。

1丁目のバーガーキング

前回ハンバーガーを食べたのは、 2019 年 2 月、サンディエゴの Burger Lounge だ。滅多に食べないこと、そして滅多に行かないアメリカで食べたのでよく覚えている。彼の地に住む中学時代の同級生が連れていってくれた。アメリカーンな美味しいものだった。 最寄り駅にバーガ...