2021年5月25日火曜日

Moonlight Feels Right by Starbuck

明日は皆既日食というニュース→月夜→満月→深夜放送→ムーンライト→たぶん70年代というフローで、40年以上前に聞いた曲を思い出し、探しあたる。恐るべしインターネット、恐るべしYouTube、そして記憶力。メロディとサビの「moonlight」というひとつの単語だけが頼り。曲のタイトルでも歌詞の中にあってもありふれた単語なだけに、これまで検索しようとも思わなかった。70’sをつけたのが勝因か。

深夜放送で初めて聞いた


1975年にリリースされたスターバックのデビューシングル。400のラジオ局に自らレコードを届けに行ったがどこも流してくれなかったらしい。アラバマのWERC以外は。だがそのWERCも当初は「この曲は春っぽいからその頃になったらかける」との返事。あきらめてバンドは次のレコーディングに入ったが、局は約束通り春にオンエア。するとすぐさまヒットし、USチャートには19764月に登場、以降5カ月にわたりチャートインした。

(Moonlight Feels Right  https://en.wikipedia.org/wiki/Moonlight_Feels_Right )

 

昔っぽい、いいハナシだ。

今のように瞬時に情報が来る時代ではないから、タイムラグはあっただろう。これを聞いたのはオールナイトニッポンだった。誰の番組だったかは、もう忘れてしまった。

More, More, Moreと言われても・・・


スージークアトロの恋するヤングガール(I May Be Too Young 1976)や、Andrea True ConnectionMore, More, More1976)、SweetAction1975)など、皆オールナイトニッポンで聞いたものだった。Actionが「あのねのね」のオールナイトだったことは覚えている。小学校から中学校の頃だ。深夜放送聞いて学校いくのだから、眠いに決まっている。そしてもちろん、成績も良いわけがない。

 

その時聞いた多くの楽曲が、今の音楽活動の糧になっている・・・ということもなく、ただ懐かしいと聞いているだけだ。だがたくさんの曲を聴いたことは間違いなく、そして生活を彩ってくれたこともまた、確かだ。バンドの真似事もやった。そんな納得できるひとときを持てたという自覚があるだけで、十分ではないか。

 

月食は勝手に深夜だと思い込んでいたが、2021526日(水)の皆既月食は午後645分に欠け始め、約1時間30分後の811分に月全体が地球の影に入り、皆既食の状態となる。https://weathernews.jp/s/topics/202105/200195/ ウェザーニュースより

 

どうして分単位でわかるのだろう。それは深夜放送を聞きながら調べてみよう。またいい曲に出会うかもしれない。

2021年5月23日日曜日

才媛Shalala

香港に駐在していた頃、毎週日曜朝、つけっぱなしのテレビからノー天気な軽く明るい曲が流れていた。最初は気にも留めなかったが、毎週のことなので目に(耳に)こびりついた。二階建てバスの上で踊りながら歌っているビデオだった記憶がある。

https://www.youtube.com/watch?v=teMD0yJbKzg

Dreahouse / Shalala

Shalala lala


香港は日本人一人駐在で他のオフィス社員は全て香港ローカル。月から土曜午前(当時はなんと「半ドン」だった)まで働いて午後からつかの間の週末を迎える。その週末とて、日本から出張者があれば一緒に打ち合わせをしたりメシに付き合ったりした。偉い人が来ると空港まで送っていくというのも、当時の駐在員としては当たり前の仕事だった。

 

そんな香港オフィスのマネジメント層は英語が上手だが彼ら同士で話すときは広東語だ。北京で習った「漢語」とはまるで別の言語と言っていいだろう。日本語の促音、すなわち「っ」のように詰まる音というか跳ねる音が入るのが特徴的だ。例えば「日本人」は「やっぷんやん」。北京で習った漢語では、「りーべんれん」。これでは歯が立たない。

 

ところが、香港ではなんと自分に「秘書」がいた。今では考えられない「贅沢」な立場だった。Jenさんというその才媛は、マレーシア出身で、日本への留学経験があり、美容学校で学んだという。その後香港人と結婚。だからマレーシア語、広東語、日本語、英語に堪能なのだった。そしてなぜかインドネシア語も。バイリンガルどころではない。トリリンガルの次はなんというのかさえわからない。ローカル社員との打ち合わせ時には、日本語で話せば、瞬時に広東語になっていった。

多言語を駆使するだけでも舌を巻くが、仕事ができる。しかも早い。笑顔、いばらない、非の打ち所がない。天は二物どころか七、八物くらい彼女にもたらせた。いるんだな、こういう人って。

 

彼女がいたおかげで、香港での仕事は楽ちんだった。安心して任せられた。ちょっと任せすぎたかもしれない。香港返還前、そしてオフィスも平和な「駐在員事務所」から忙しい「合弁会社」に移行する直前ということもあり、もっともいい時期を過ごした。

 

Dreamhouseのその名も「Shalala」という曲は、アジアから売り出したと書いてあった。デビュー時のヘビープロモーションで毎週テレビで流していたのかもしれない。ポップというには軽々し過ぎるほどの「Shalala」は空っぽな日曜朝の脳に刻まれた。バスの上で歌っているお姉さんも、世の中に一抹の不安もない笑顔でフリフリ踊りながら歌っていた。

2021年5月20日木曜日

最強布団乾燥機「ダニパンチ」

三菱布団乾燥機AD-X80を購入。

ダークブラウンで思ったより小型で音も静か。

布団乾燥機の購入は初めてで、これまで冬場に暖めるイメージしかなかった。夏場に(乾燥のためとはいえ)暖めるという発想はなかったからだ。

「ダニパンチ」コース


この時期に買い込んだのはこれから迎える梅雨&夏の汗対策。というとオブラートに包んだようだがようはダニ対策だ。そこでダニ退治に効果がありそうなものを探してみた。まず布団乾燥機は大別して「ノズル式」と「マット式」があることが分かった。ノズルを伸ばしてそのまま布団に突っ込むタイプと、温風を吹き込んで膨らむマットを挟むタイプだ。前者はとにかくお手軽で後者はマットを出し入れするのが少々面倒。

https://osusume.mynavi.jp/articles/2159/#outline72637

2021年版 布団乾燥機おすすめ16選|家電のプロと504名に聞く|花粉症対策に部屋干し

 

だが今回の目的は「ダニ退治」。

迷わずマット式から効き目のありそうなものを選んだ。ダニ退治したい布団を、ダブルまで行けるという大きなマットで包みこむようにセット。そのマット(布団)が完全に隠れるように上から敷布団を2枚使って覆うという徹底的な高温退治。しかも片面90分なのでさらに倍。90分のカセットテープを2回聞き終わるまで眠れない。

 

布団がこんもり、盛り上がっていて手を入れると熱いほどに。「働いている感」を目視でき、期待感が高まる。

ダニがいない家はない、というが肉眼で容易くはみることができないゆえ、本当にいるのかどうかはわからない。わからないが、痒い。見えたら見えたで大量のダニの死骸を目の当たりにするのも困る。布団乾燥機のさらなる進化版には、ダニの死骸の回収までをセットにしてもらいたい。

 

そう思っていま一度、取扱説明書を読んでみたが、「ダニパンチ」「ダニ対策」とは書いてあるが、殺傷するとはどこにも書いていない。

 

そして、痒いのは背中なので見えないが、ダニではなく老人性乾皮症かもしれない。

2021年5月19日水曜日

暴走族は絶滅危惧種か。

土曜の深夜、バリバリと爆音を轟かせたバイクが数台通過する音が聞こえた。騒々しいが懐かしい。自分もかつて・・・ではない。とてもそんな勇気はなかった。

 

実家にいた頃、爆音は毎週聞いた。1970年代中頃から80年頃が全盛だっただろうか。東京・横浜方面から国道1号を南下、藤沢橋を左折し江ノ島へ向かう集団が実家の前を通過する。正確には一本内側に入っていたのでダイレクトな道沿いではない。だがその爆音たるやすさまじかった。バイクと車の集団は車道一杯に広がり(もちろん反対車線まで)、ゆっくり走行するため、嵐の通過には5分くらい要した。100台以上はいたのではないか。

 

夏のイメージがあるかもしれないが、奴らは気合も入っていたので季節を問わずやってきた。冬は北風の影響で、かなり遠くのうちから聞こえてくる。実家は藤沢と江ノ島の中間点くらいだが、藤沢橋あたり(2キロは離れている)から、風に乗って音が聞こえた。そんなバカな? いや、静かな時は列車(当時国鉄)の音が聞こえたくらいだ。

 

統計は見ていないが、そんな族の数も明らかに減少しているはずだ。音もしなけりゃ、姿も見ない。静かでいい。最も激しい時期、小田急江ノ島駅前ロータリーで族の騒音に業を煮やした住民が立ち向かったところ不幸にして事件が起きた。やはり、族はいらない。

 

ただ、「中免」(普通自動二輪免許)を持っているので、400㏄まで運転する資格はあり、「原付」ではないバイクでゆったり走りたいという気はある。その昔、兄がYAMAHA DT 125に、弟がHONDA GB250に乗っていた。YAMAHA MR50しか乗ったことがなかったので、原付とは比べ物にならない力強い走りにワクワクした。

 

今は原付といえばスクーターだ。MRのような原付なのに重々しいバイクはもう見ない。最近は郵便局の配達バイクは電動で、音もなく疾走している。ガソリンエンジンが無くなる日もそう遠くはないだろう。お化けのような高性能を誇ったスーパーカブ(新聞配達とか出前でよくあるヤツ)でさえ、取って代わられる。車が車でなくなる日(=ガソリンエンジンを持たない車になる)をおそらくこの目で確かめる日は来るだろう。

 

暴走族も、スーパーカブも等しく絶滅する。

HONDA CB400


なんて思ったら、新車も新色もガンガン発売されていた。風圧を受けて走ってみたい。

https://www.honda.co.jp/pressroom/motor/#02001

2021年5月9日日曜日

5720曲聞くのに要する時間は?

美しい旋律に抱かれるとき」を書いた時に疑問に思った、外付けハードディスクのMy Musicにいったい何曲くらい入っているのだろうかという問題。右クリックしてファイル数を調べてみると5720だった。

たからもの


単純に14分とすると、22880分。約381時間だ。ん?たった丸15日分ちょいか。一生かかっても聞ききることはない、と書こうとしたが聞けそうだ。もっとも、1ファイル2分台の洋楽や歌謡曲から1時間くらいの交響曲まで幅広い。現実的には毎日1時間聞いたとして、1年と16日。来年死ぬ予定はないのでどう考えても聞き終わりそうだ。

 

自分の持っているCDを全てデータ化したわけではない。主には図書館で借りてきたCD、そして古くはレコードやカセットをファイルにした。1981年、高校の文化祭で演奏したテープもある。音質はひどいが、自分のアタマの中では極めてクリアだ。弾き間違えた個所も鮮明に覚えている。「灰色でスタートした高校時代の黄金色の思い出」だからだ。

 

5720曲もあるのだから順に聞いていけばよいのだが、それでもえり好みしてしまう。「プレイリスト」なる言葉がいつからあったか知らないが、カセットに録音して楽しんでいた時代には①曲を選び、②時間を計算し、③カセットの時間に合わせ録音し、④そのカセットをどこでスタートさせればドライブコースにぴったりとなるかまで考えた。

 

バカだね。でも当時の集中力を超えるものは多くない。(どんな時間の使い方なんだ・・・)

 

1丁目のバーガーキング

前回ハンバーガーを食べたのは、 2019 年 2 月、サンディエゴの Burger Lounge だ。滅多に食べないこと、そして滅多に行かないアメリカで食べたのでよく覚えている。彼の地に住む中学時代の同級生が連れていってくれた。アメリカーンな美味しいものだった。 最寄り駅にバーガ...