2020年12月26日土曜日

駕籠に乗る人担ぐ人 そのまた草鞋を作る人

これを聞いたのは、高校の同級生の親からだった。

入学式の日に父が他界し、灰色で始まった高校生活だった。父は厳しかったわけではないが何となく家庭内の重石がなくなり、母も張り合いを無くすなか、俺としてはぐれる要素はいくらでもあった。遅く帰っても叱られることはなかったし、場所柄、暴走族も多かった。だが、いわゆる「不良」にはならなかった。なれなかったのかも。

 

それでも原付免許はすぐに取った。中古バイクに乗って134号線をあてもなく何往復もした。高校では学校にプールもないのに水泳部で運動していた。その女子部員の家が何となくたまり場になっていった。お父さんはあまり記憶にないが、お母さんが肝っ玉系でいろんな話をしてくれた。どういう流れだったのかは覚えていない。だが「駕籠に乗る人担ぐ人 そのまた草鞋を作る人」という言葉に出会った。

作れないですけど


こういう話の時、駕籠に乗る人の立場の話になることは100%無い。担ぐか草鞋を作るのどちらかの話で、世の中いろいろな職業で成り立っている、その立場を受け入れるのは悪いことじゃない、というのがこの話を納得する(させる)肝だ。

 

高校生当時、将来どんな仕事に就きたいかというようなハナシだったのかもしれない。自分はアホだから、金がないから、コネもないしといった未来の展望のないハナシの時に諭してくれたのかもしれない。

 

「職業に貴賎なし」というのは誰の言葉か知らないが、思い切り貴賎があるからこそ、差別を戒める言葉が存在するのだ。「自由の国」アメリカの意味するところは広いが、残念ながら差別する自由があることも2020年の現在でも思い知らされる。

 

さて、駕籠に乗る立場にはなれず、担ぐ若い体力がもはやなく、草鞋を作る技術を持たない俺ははて、どんな仕事をしていこうか。

2020年12月24日木曜日

大江戸線に罪はない

平成121212日、12号線と呼ばれていた大江戸線が全線開通した。その20周年を祝うポスターが都営線のあちこちの駅に貼られている。20周年記念はめでたい出来事だ。だがこの路線は地下深く掘られたため、軌道は他と同じでも車両が小さい。天井が低く圧迫感があり、車輪と線路の軋む音がひときわ大きく耳障りだ。

周年記念と思えない地味な色


そんな、大きな節目を迎えた大江戸線には何の罪もないが、俺は嫌いだ。

通勤に使っていて、最も鬱が激しい頃だったからだ。線路が本当に間近に見え、白線をふとまたげば、全線開通後の最初の不幸になっていたかもしれない。苦しかった。本当に苦しかった。だが不思議なことになぜそんなにまで思いつめたのかが、わからない。病ゆえ、考えが及ばなかったのだろう。

レシート証拠つき


当時昼間に会社を抜け出し本屋へ行った。もちろんそんなことは覚えていないのだが、事実本を購入している。色褪せたレシートには時間まで入っている。平成12年(2000年)127日(木)の午後35分。重たい気持ちだったのだろう。でもそこで「幸いにも」五木寛之サンの「大河の一滴」に出会ったのだった。ベストセラーだったから平積みになっていたのか、どのように手に取ったのかはまるで記憶にない。(線路が間近に見えた時に出会った本

幻冬舎文庫の初版が平成11325日、翌年320日に10版とあるのできっと嫌でも目に入ったのだろう。

 

ところで開通の周年を告知するポスターにしては何とも地味だ。大江戸線カラーである赤、えんじ、茶色、レンガ色のような、いずれにしてもクリアではないその色使いも当時のどん底と共鳴していて萎える。

 

大江戸線にはよく乗る。関係者には申し訳ないが、やはりいまだに好きになれない。

2020年12月19日土曜日

厳冬の屋外診療

えらい目にあった。

今週水曜夜中に近年最大の腹痛と脂汗を伴う下痢でその日は終日続いた。気が付けば便が赤い。近所のかかりつけ医は木曜休診。そこでやむなく受診歴がある別の病院へ行ってみた。

 

午前850分。待合室にまだ人は多くない。のぞき込めばすぐに体温がわかる機器に間抜け面をさらし、平熱を確認。

「今日はどのような症状ですか?」と問われたので

「赤い下痢です。熱はありません」

甘かった。熱が無ければ下痢など薬をもらって終わると思っていた。コロナの疑い満々。

「消化器系の先生が午後からなので、予約を取って後で来てください。こういう時期なので、着いたら中に入らずに外から電話をしてください」


幸い昼の12時に予約ができた。5分前に到着し、電話をかけた。するとスタッフ入口(病院の裏側)の外に置いてあるパイプ椅子で待たされることとなった。15分後、完全武装の若い男性医師がやってきた。なんとそのまま「屋外診療」だった。日は差しているが木曜はとりわけ寒い日だった。スマホで撮った赤い便を見せると「赤いね」と言って、少しお待ち下さい、と院内に戻ってしまった。

パイプ椅子、寒い

 

さらに10分後、こんどは院長と名札に書いてある消化器系の医師が出てきた。

平熱、咳や息苦しさ無し、味覚あり、会食無しを確認し、やっと病院内に入ることができた。

「赤いですね。色だけ見て内蔵からの出血なのかどうかはわかりません。例えば下痢で長時間座っていて切れ痔などで出血する場合もあります」

切れ痔ではないが、多少の「地主」ではある。結果、整腸剤と痔の薬をもらうことに。後日大腸がん検診もやってみることにした。

 

確かにこの時期なので疑いは仕方がないし、医療従事者が罹患してしまっては、助かる命が本当に助からなくなる恐れがある。それを思えばがまんか。

 

えらい目にあったといえば、北京語言学院の留学生楼で過ごしていた当時、カビの生えたパンを知らずに食べて日中友好病院のお世話になった。その時の激しい腹痛も相当厳しかった。それに留学生楼のトイレは「和式」。あまりに頻繁に行くので足腰まで痛くなった。水には十分注意していたのだが、あまりの乾燥した気候に、加湿器をがんがんつけて、そこに3,4日フランスパンをつるして置いたらカビが生えたというわけだった。

北京の中日友好病院


中日友好病院は1978年の大平正芳総理(当時)の訪問時の合意に基づき、日本からの無償資金協力により1984年に建設されたという。

https://www.cn.emb-japan.go.jp/itpr_ja/00_000535.html


豪雪地帯の方から見れば、寒いとはいえ晴天のパイプ椅子にモンクをいっているとお叱りを受けそうではある。

 

2020年12月14日月曜日

Love is blind.

六年前に中古マンションを買った。小さいが南向きでよく日が入り気に入っている。一軒家に比べて気密性が高く、上下階があるので冬でも暖房を使わない日もある。中古ゆえ、間取りをどうこうする選択肢はなかったが、申し訳程度の変形六畳間がある。そこの障子紙を張り替えたら紙が足りず無残な窓になった。(やらかしちまった

 

その変形六畳間に布団を敷いて寝ているのだが、あんなに薄い障子紙でも一枚無いと寒いということがよく分かった。当然紙を張ろうとホームセンターへ出向こうとしたら、妻からブラインドにしてはどうかという提案があった。しかも和室のみならず、リビングもこの際、という大胆な提案だった。

ブラインドといえばこのイメージ


せっかくだが提案を一蹴しようとした。ハッキリ言っていい印象はないからだ。ペラペラ金属のブラインドだ。よく会社事務所などで見かけるのは、風が吹けばビラビラと音を立て、埃がたまった、端が折れ曲がった、紐が絡んだ、誰も操作しないブラインドだ。

だがカーテンを見ると何とも分厚くやぼったい。そして驚いたことに厚手の方は裾が少しかびていた。冬は結露が激しく、知らぬ間に水分をたっぷり吸っていたのだろう。普段は結んであるとはいえ、窓の両サイドに陣取っている布の塊は視界を多少だが重たく遮る。

 

いちおう、木目調

ホームセンターへ出向いたが、障子紙ではなくカーテン、ブラインド売場でパンフレットを見た。和室の小さな窓なら自分でも取り付けられそうだったが、リビングの窓は天高も幅もある。素人では結局匙を投げそうだったため、採寸と取り付けを依頼。注文から二週間弱で出来上がり、取り付けはものの一時間だった。

 

明るい。窓が広く感じる。動きも想像より軽快だ。

障子紙なら大きさによるが安いもので数百円、まあ数千円だ。そういう意味では出費はかなりの痛手だったが、部屋の見た目も気分も変わり、少し明るい気持ちになった。

 

埃はたまらないか

端は折れないか

絡んだ紐を放置しないか

 

Love is blind」はジャニスイアンの名曲だね。

https://www.youtube.com/watch?v=naGt-FFL7Ww

 

2020年12月7日月曜日

在宅勤務は北欧流が快適なのか

何でも欧米が優れているという幻想に陥りたくはないものだ。

「オンラインで同僚とのコーヒーを楽しみ、同僚の気配を感じる適度な雑音の中で作業に集中」

日本経済新聞127日付夕刊にはそんな書き出しで、在宅勤務率が高くても一人当たりのGDPが高水準で維持している北欧の様子が紹介されている。スウェーデンの広告代理店は電話やプリンター、キーボードを打つ音など「同僚の音」を配信しているとのこと。「生産性も高い。世界銀行がまとめた2019年の一人当たりGDPでデンマークは日本の1.5倍」とも。

https://www.youtube.com/watch?v=I1gF6HQ1FlA

Office Sound 4 Hours』会社の音240分【作業用環境音】STAY HOME

こういう音が配信されている


こういう記事を見るたびに、日本がいかに効率が悪いのかを思い知らされるのだが、本当にそうなのだろうか。いますぐにこれに反論する資料を持ち合わせていない。デンマークの人口581万人、日本は12600万人という2けた違いの分母だけの問題なのか。年間総労働時間も韓国と日本はワーストを競ってきた。2000時間を超える労働をしているのは世界でもこの2か国だけだった。

 

一方、例えば経営者は昼夜を問わず働いている。24時間とは言わないが大手、中小に関わらず経営者とは時間の概念ではなく企業存続、いかに稼ぎ出し存在し続けるかに心血を注いでいるはずだ。もちろん私利私欲に走る者もいるだろう。それはそれでブランドを守る必要もなければ、社会の公器といった考えもいらない。ただ短命に終わるだけだ。一代ならそれもよかろう。

 

さてさて、2020年はとにかく何でもいきなりだった。自分の「三年日記」にコロナが登場したのは126日でそれまでは海外からの出張者も通常だった。在宅勤務の制度はあったが半ば強制的に始まったのだった。何事も意識改革にはトップダウンが必要だというが、今回はコロナがもたらした「神風」だ。

 

モンダイは、企業が売上も利益もしっかり出せるかどうか、ということに尽きる。それらが出ていればハッキリ言ってオフィスに居るかいないか、定時で帰るか残業するか、週三で休もうが何だろうが、副業でどれだけ稼ごうが何ら関係ないのだ。

 

まあそれでも、比較的伝統的な企業に、新卒で就職して三十余年。アタマで分かっていても転職や副業はなかなかどころか、たじろいでいるのが本当のところだ。

2020年12月6日日曜日

居酒屋メニューの難読漢字

先日立ち寄った居酒屋の飲み物メニューで、「麦酒」(ビール)とあった。

客層がそういう表記を望んでいるような店でもないと感じた。産地が全国にわたる日本酒の銘柄で読めない名称があるのは仕方がない。

 

フランス料理(だけではないかもしれないが)によくある「~の~風~、~を添えて」はどうも馴染まないが、食文化とはそういうものかもしれない。

翻って大衆酒場の肴はわかりやすい。どこでもあるようなメニューがあると安心するが、やはりその店のイチオシを知りたいと思う。

 

会社帰りに月二回くらい立ち寄る店の肴はそれほど目新しいものがあるわけではない。だがある時「自家製」メニューがあるのに気付いた。そこでさっそく、お世辞にも愛想がいいとは言えない店員に聞いてみると、春巻きもシュウマイも休み(日曜)に作って月曜に備えるのだという。そう聞けば発注せざるを得ない。イマドキの冷凍食品はうまいが、そんな事前仕込みのハナシを聞けば冷凍に勝ち目はない。月曜中、残っていても火曜には「自家製」は完売する。

全部は読めない


居酒屋では、季節の魚があればそれも必須だ。

魚の名前も鮪、鰯、鯛、鮭、鯵、鮎、鯖、秋刀魚、鯨、鮑くらいは馴染みがある(発注しないものもある)が、鰆(さわら)、鰤(ぶり)鰊(にしん)あたりはどうだろう。もっとも、店もオーダーしてもらえないと困るので平仮名や片仮名表記が多い。

 

で、先週末門前仲町にある煮込みの名店「大坂屋」で一杯やっていると、職場の先輩後輩と思しき男女が入ってきた。

「いやー、(店に)入れたね」(注:人気店かつ席数が極めて少ない)と言いながら荷物を置いた。

「飲み物はどうされます?」

「えーっと、ダイビンで」

 

ん?

それはもちろん、大瓶のことだった。その若者を責める気はない。せめて「大」(ダイ)で寸止めしておけば怪我しないで済んだというわけだ。何事もなかったかのように男性が職場でのアドバイス的な話題を始めたため、女性が読み方を知っていたかどうかはわからない。

かくいう自分も、佐賀の日本酒「天吹」(あまぶき)を、「てんぶきお願いします~」と大声で発注したのだった。

1丁目のバーガーキング

前回ハンバーガーを食べたのは、 2019 年 2 月、サンディエゴの Burger Lounge だ。滅多に食べないこと、そして滅多に行かないアメリカで食べたのでよく覚えている。彼の地に住む中学時代の同級生が連れていってくれた。アメリカーンな美味しいものだった。 最寄り駅にバーガ...