2020年5月31日日曜日

ホルモン焼き屋のニィさん


昨夜は魚屋で刺身をしこたま買い込み、久々に豪勢な夕食となった。出勤しないため、もうなじみの蕎麦屋へもホルモン焼きへも丸三カ月以上行っていないが、それぞれ元気だとメールに返信があった。さすが。


コロナの影響で漁にも大きな影響が出ているという。
遠洋マグロはえ縄漁船の日本有数の基地、気仙沼港(宮城県気仙沼市)では乗組員のインドネシア人が入国できず、春に出港予定だった船が停泊したままだ。(中略)操業は2カ月以上遅れる見通しだ。通常の漁期で操業できれば1隻あたり1日平均約70万円相当の利益となるが、操業遅れでそれが失われる計算になる。静岡県の焼津港(焼津市)では乗組員のキリバス人が来日できず、カツオ漁に支障が出ている。全国遠洋かつお・まぐろ漁業者協会は「全国的に乗組員不足は深刻。海外の感染が収束しなければ乗組員の来日も見通せない」という。(2020531日日本経済新聞)

キリバスがどこだか地図を見ると、太平洋上の島々が示された。キリスィマスィ島の各都市名が、「バナナ」「ロンドン」「パリ」「ポーランド」とついていて、イギリス連邦加盟国だそうだ。

マグロはインドネシア人に、カツオはキリバス人にお世話になっていたわけだ。それぞれの人たちは、マグロやカツオの刺身を食べるのだろうか。昨夜食べたインド洋マグロはトロっと美味だったが、赤ピンクの切り身の生魚を食すというのはかなり勇気がいる行為にも思える。

漁業だけでなく、「レタスなどの産地である群馬県昭和村、沼田市でも技能実習生120名が来日できておらず」、作付面積の縮小を余儀なくされているという。魚も野菜も彼らに大きく助けられていることがわかる。

技能実習生に対する「ピンハネ」問題に焦点が当たって久しいが、何も解決していない。解決していないどころか、このコロナ禍で大きな苦境にある。
2020515日(金)行き場失う 外国人技能実習生(NHK

41万人もが、実質的に安価なアルバイトとして雇われ働いている。人権侵害も視野に入る。彼らにこそ、「日本ファン」になってもらわないと、こき使うだけでは国そのものが立ち行かなくなる。

ところで、なじみのホルモン焼き屋のミャンマー人「ニィさん」は店主によると金持ちなのだそうだ。もう何年も働いているところをみると不法滞在ではなさそうだ。
「シャチョウ、ワカラナイヨ」とか言いながらのんびりペースで働いている。いちばんハッピーかもしれない。

2020年5月23日土曜日

ラジオを聞きながら眠りにつく

テレビとラジオ。
圧倒的にラジオ派だ。テレビも悪くないが見ていないといけない。座ってないといけない。
ラジオは布団の中でも、ジョギング中でも、(最近は乗らないが)電車の中でも、トイレでも、食事の支度中でも、洗濯物を干していても、カメの水槽の水を取り替えていても、飲んでいる最中でもいける。しかもイヤホンをつければ周囲を気にすることもない。

ラジカセですが

ラジコはさらに衝撃的だ。聞き逃した番組を、一週間以内なら時間を問わず聞ける。これはもう「反則技」としか言いようがない。

反則技のラジコ

テレビもそうだったが、かつては見逃し、聞き逃したら残念がるしかなかったのだ。小学校四年生くらいの時に、深夜放送、オールナイトニッポン水曜日夜、午前1時の「あのねのね」を聞き逃すと二度と聞けなかったのだ。当時、夜10時からヨーロッパのサッカーが見られる「三菱ダイヤモンドサッカー」を見て、11時半から午前1時まで眠気を耐えに耐え、オールナイトを聞くのが楽しみだった。小学生にしては生意気だ。もちろんその朝はボケボケだった。

本当は「ラジオで」聞きたい。
だが都内のマンションでは家の中ではAMがほとんど雑音で聞こえない。スカイツリーの姿が見えるにもかかわらずだ。実家では深夜になると、中国語や韓国語が聞こえた。特に韓国語は三秒くらい聞かないと、日本語に聞こえてしまう。

昨夜は、したたかな酔いの後、久しぶりにジェットストリームを聞くつもりだった。だがその前に案の定寝てしまい、気づいたらエンディングで福山雅治サンが話していた。以前音楽を聴くときは大きなスピーカーだったことを考えると、安っちいイヤホン、しかも片方壊れているからモノラル、そう、ようはギャンブルおじさんのラジオ聴取と何ら変わりないのだ。

深夜放送のコマーシャルも耳に残っているのは、「旅のレストラン日本食堂」。旅心を刺激されたことを覚えている。

2020年5月14日木曜日

苦しみと絶望の連続にあるとき


今週はじめ、「ずっと起きている夢」なのか「ずっと眠れなかった」のかわからない状態が二日続いた。早めに横になったが理由もなく自分を問いただすように思い詰める。自分で蟻地獄の穴に落ちていく必要などないのに。

起きているのか眠っているのか

作家の五木寛之サンも「わたしはこれまでに二度、自殺を考えたことがある」と、大河の一滴(幻冬舎文庫)の冒頭で触れている。心萎えた状態が元に戻るのは時間だけが解決してくれるという。

こんな考えをして自分の中でぐるぐる回り始めてからずいぶん経った。こういうことは何度もある。ある時はこれに加速度がつき、コントロール不能になる。そうなると戻るまでにまた長い時間を費やすことになる。アスリートが一日練習を休むと取り戻すのに二日かかるというが、それのロングバージョンだ。そんな自分がほとほと嫌になる。好きになれない。

だが、だ。
自分を助けるのは自分と体得したはずだ。地獄の池に糸を垂らすのも(カンダタか)、課題に対峙するしかないのも(アドラー読みすぎか)、自分でしかできない。ようは心神耗弱にある自分を、自分が見捨ててしまったら救われることはないということだ。

参っている時でも、なぜか他人のことは多少思いやる気持ちが残っている時がある。だったら迷わず、他人へ向ける心の余裕を自分に向けられないものだろうか。あまり実行できたことはないが、できるはずだ。

前述の書籍で、五木サンを自殺から救ったのは「人生は苦しみと絶望の連続である」という感覚を持ったこと、しかしながらその地獄のような中にさえある人の善意や正直さ、親切、助け合い、笑い、幸福な瞬間、自由、感動の記憶だという。

少しくらい自分を助けてやってもよさそうだ。


2020年5月8日金曜日

目がゴロゴロする、このCDは。


目がゴロゴロする。

2014年に涙腺偽腫瘍を患った時は知らず知らずのうちに目が腫れてきた。最初はものもらいと思っていたがどうも違う。腫れが引かず視野がどうにも狭くなってきたところで眼科にいったら「大きな病院に行って」と言われた。

SUPER TAKANAKA LIVE!

今日のゴロゴロはそうではなくて、在宅大型連休明け、木曜、金曜の仕事を終え、さらに夕食を済ませた後にしたたかに酔ってから聞いたCDで「ゴロゴロ」した。正確にはゴロゴロではなく「うるうる」。少し恥ずかしいけれども、ぼろぼろきた。
なぜ?
それはグレーだった高校生活に彩をくれたCDを聴いたからだ。CDそのものと言うよりは、収められているREADY FLYという曲を仲間と演奏した時のことが思い出されたからだ。

同級生でプロ級のギター少年、シノザキクンがいた。近所に住んでいたので彼は週末ギターを抱えて遊びに来た。嬉しかった珠玉のひとときだ。この話は、久々にスティービー・ワンダーを聞いてみるに記した。

そう、目がゴロゴロするハナシだ。
高校と言えば文化祭、文化祭と言えばバンド、バンドと言えば当時はタカナカが流行っていた。ただし、フュージョンという分野はテクニックがいる。歌謡曲(当時はJpopなどというしゃれた言葉はなかった)バンドや、がなっているロックバンドとは一線を画し、ある種大人の、聴かせるプレイが必須だ。彼はそんな欲求に答えるには十分余りある技を持っていた。後から聞いた話だが中学時代から「鳴らしていた」らしい。

文化祭で一つのバンドが20分の持ち時間、130秒のイントロ~Cherry BlossomDISCO”B”READY TO FLYを緊張しながらも楽しんだ。ステージ直前にシノザキクンが、途中でギターを演奏しながらいろいろなポーズをとる提案をしてくれたが、こちらにその余裕は全くなく、断ってしまったことが悔やまれる。

ギター演奏がメインのバンドなのでヴォーカルはいない。松田聖子のチェリーブラッサムもインストルメンタル版だ。READY TO FLYという9分近くある曲の最後のほうでは俺の高校生活も終わったと思いながら、「この瞬間が終わらないでくれ!」と切に、祈るような気持ちでベースを弾いていた。

「思い出は美しすぎて」という八神純子の曲がある。歌詞は忘れたがそんな感じだ。実は、カセットテープに録音した当時の音源をデータにして持っている。彼のギター以外は今聞けば「ガタガタ」だ。その後プロになった彼は当時、がっかりしていたに違いない。

でもしかし、だ。
人間の脳は、そんなボロボロ演奏を聴いていても原曲のパーフェクトなプロの演奏や当時はひどいとは思っていなかった「サイコー」な気分まで見事に補正し、鮮やかに蘇らせてくれる。

2020年5月6日水曜日

ボーっとするのも悪くない


在宅ゴールデンウィークも今日で終了。
明日からまた仕事が始まる。在宅の仕事にも慣れた。もちろん勝手は異なるが苦手な人やコトとダイレクトに接しなくてよいのはワンクッションあって助かる。

フェイスブックでは好きな本や子供の頃の写真、影響を受けた音楽などを挙げるのがチェーンメールのように回っている。誰からも「バトン」は渡されていないが、気づけば自分も毎晩聴くCDのジャケットを何気なくアップしていた。

レコードしか持っていなかったのでCD購入

4月からジェットストリームの「機長」が福山雅治サンになっていたことをたまたま知り、旅先(とは限らない)の写真に#myjetstreamとハッシュタグをつけてインスタグラムへ投稿してください、という知らせに乗り、418日からスタート。428日には、それまでのカメオとカメコだらけだったところにその晩に聞いているCDジャケットもアップし始めた。自分の投稿欄の写真の並び(カメ→myjetstreamCDジャケット)の意味がやっと理解できた。
やはり自分のためにやらないと流れも何も覚えない。明日から仕事のインスタグラムを少しは考えてみようと思うようになれたのはゴールデンウィークの収穫か。

429日から55日までで36.63キロジョギング&ウォーキング。料理も三食あるから何かしら考えるし、美味しいものを食べたいと思うからこそ、時間もかけられる。ギリギリで図書館から借りていた本が5冊。

いろんなことをしていたわけではなく、むしろボッとしていた。今も、ボーっとしているのはマズいと思わないわけではない。じゃあ普段効率よく何かをしているかと問われれば何もない。何も。

所蔵CDをじっくり聴くことができたのは珠玉の時間だったが、六年前の引っ越しの際、家人に迫られ半数くらい処分してしまったことが悔やまれてならない。やはり意味のある所有はたとえなじられようとも妥協してはならならず、貫くべきだった。
捨てたのとは別だが、レコードのみで持っていたFUSEONEFUSEは今さらながらCDを購入。楽しめた。

じっくり、ボーっとできたゴールデンウィーク。いいね。

日本経済を支えていた居酒屋通い

どこにも出かけないゴールデンウィーク最終日。
昼前から雨が降り出し、近所に出てみようという気さえ失せてくる。でもだからといって出かけたくてうずうずするわけでもない。

在宅慣れしたおかげで、定年後やフリーランスの疑似体験(気分)ができた気がする。仕事のプランがしっかり立てられれば、集中する環境は確保できているので良いと思う一方、「キョウイク」(今日やること、今日行くところ)がないと、年齢や在宅かどうかに関係なく気分は荒む。

通勤電車、会議や打ち合わせ、買い物、スポーツ観戦、食事や飲み会などあらゆる場面が変化するかもしれない。通勤電車の混雑が避けられればこれはありがたいし、スカイプミーティングも初対面だと少しぎこちないが定例のものならいける。買い物も小池都知事が言う「三日に一度」でもかまわないし、そこまで計画を立てなくてもコンビニもスーパーも徒歩ですぐに行ける。だがスポーツ観戦やコンサート会場はそもそも集まることによる熱気を楽しむモノだけに、球場やライブ会場に観客がいない場を想像しにくい。

もう野球は見られない?
プロ野球無観客試合がスタート…中日VS広島ではいきなり「センターゴロ」珍プレー
2020229日スポニチ)

自分にもっとも身近なところで居酒屋はどうなるだろう。「新しい生活様式」の実践例(54日付朝日新聞)によれば食事も「大皿は避けて、料理は個々に 対面ではなく横並びで座ろう」とある。二人でカウンターならあるかもしれないが、今後はひとり飲みが増えるか。宴会はもちろん、「相席」もなくなるだろう。
新しい生活様式
食事は横並び・毎朝体温測定 「新しい生活様式」提示(202055日朝日新聞)

この時期のニュースといえば本来なら帰省やUターンラッシュだが駅も列車も高速道路も閑散としている。実家の母との面会が「いつでも手軽なオンライン」となるのだろうか。双方命がけとなるならそれもやむなしか。

経済がもとどおりになるには時間を要することは容易に想像できる。出かけない、動かないと電車やバスなどに乗らない、買い物にも出かけない、もちろん飲みにも出かけない。

ようするに金が動かない。自分の居酒屋通いが、一回二千二百円として週三回、週六千六百円、月二万六千四百円、すでに三カ月で七万九千二百円。日本経済の発展に寄与してきた微々たる(いや、けっこうな額の)消費が途絶えている。交通機関も人が乗って移動してこそ意味がある。こういう毛細血管の隅にまで血が通うような「金の動き」が欠かせないと実感する。

コロナが私たちに変容を迫るこれからの「新しい生活様式」で日本経済はどうなるのか。(=自分の居酒屋通いはどう変化をするのか)

2020年5月4日月曜日

久々にスティービー・ワンダーを聞いてみる


20年くらい前に買った、BALLAD COLLECTIONというCDをプレイヤー、ではなくパソコンのCDドライブ(これももう少数派)に入れて聞いてみる。
生まれてすぐほとんど視力を失ったとwikiには書いてある。どのバラードも美しく、音楽を楽しめる環境にあることに感謝の念を抱く。


高校時代にギターのすこぶる上手な友人がいた。週末にはギターを持ってウチに遊びに来て飲みながらセッションした。(飲んでいたのは高校時代ではありません、いちおう)

もっとも、彼の音楽センスとテクニックはプロ級でこっちはただただ、邪魔にならないよう、指定されたコード進行を奏でるので精一杯だった。上手な人はこちらの技量を分かっていて、自分の拙い演奏を傷つけるどころか、さらに気持ちよくさせてくれる。こういうのを卓越した技と呼ぶのだろう。

それで思い出したが、やはり高校で柔道のすこぶる上手い人がいた。体育の時間、彼に投げられると、瞬時宙を舞い、知らぬうちに畳に打ち付けられる。だが受け身も習った通りに自然とできるし全く痛くない。むしろ心地よさが残る。これが組み手が変わって下手なヤツ(ほとんど全員)と技を掛け合うと、投げるほうも投げられるほうもすぐに擦り傷ができてしまう。

ギターの友人のハナシに戻る。
いつものように週末、音楽三昧で過ごしていると、何の拍子か彼が聞いてきた。
「もし、見えない、聞こえないを選ばなければならないとしたらどっちをとる?」

不謹慎なのはわかっている。
わかっているが若い時、そしてそうした立場の人が近くにいた経験がなく、慮れない時にはありがちな話だ。
「見えないのはいやだ」と、自分が答えると彼はすぐさま、「聞こえないのはいやだ」と。音楽のプロには聞こえないという選択はないのだと思った。(その後彼は本当にプロのギタリストとなり活躍している)

そういえば、聴覚障害を持つ作曲家の作品が実はゴーストライターによるもので、聴覚障害も怪しいとされた人が一時話題となった。本当なら二十年近く「聞こえないふり」をしていたことになる。「見えない、聞こえない」よりも、事実と異なる「ふり」をするのが最もつらいかもしれない。

スティービー・ワンダーのこのCDは、You Are The Sunshine Of My Lifeに始まり、To Feel The Fineに終わる18曲入り。Latelyという曲がなかなか切ない。「彼女がパヒュームをつけて理由もなく出かけていく、帰りが遅くなるかはわからないといいながら」

この時期、200枚に減ってしまったCDを聴きこんでいる。


2020年5月2日土曜日

NYにワールドトレードセンターツインタワーがあった頃

ゴールデンウィークとはいうものの、外出自粛は続く。
コロナがなかったとしても、さしたる旅行計画もあったかどうか。飛行機、電車、バスに乗らないと必然的に「徒歩圏内with マスク」となる。家人の「行ってみよう」気質も手伝い、片道56キロ歩くのは平気になった。ジョギングの56キロとはまた異なり、歩くほうがなぜか忍耐を要する気がする。

エンパイアステートビルからの夜景(1984年撮影)
今日は両国国技館を目標に(さしたる目的はない)歩き始めた。案の定人も車も少ない。土曜ということもあるだろう。両国をふらふらしてみると、吉良邸跡や、「芥川龍之介生育の地」(両国三丁目二十一番四号)を見つけた。18歳頃まで過ごしたようだ。ノーベル生理学医学賞 大村 智センセイが教鞭をとっていた墨田工業高校前には碑が建っていた。身近にいろいろあるものだ。

今日の散歩のハナシはどうでもよくて、家で過ごす「この時期あるある」として写真の整理がある。特にデジタルになってからは枚数が膨大だ。フィルムをジコっと巻いて撮影していたときはアングルや明るさなどを素人なりによく考えていた。だが今はどうだ。何も考えずただただ指先の思うまま「押しまくって」いる。結果どうなるか。デジタル地獄だ。この処理にどれだけ無駄な時間を割いているだろう。

1984年に撮影した、エンパイアステートビルからの夜景を写したものがある。おもちゃに毛の生えたようなカメラで、手振れがひどいし夜景撮影の術も知らずに撮ったものだ。もちろん三脚など使っていない。

だが人間の脳はよくできている。
自分の脳裏に焼き付いた、形容しがたいほどの美しい夜景が、そのぼけた写真を完璧に補正してくれる。よってこの写真は自分には最高傑作の一枚なのだ。2Lパネルにして部屋に飾ったほどだ。当然ワールドトレードセンター、ツインタワーも映っている。

それが跡形もないというのは信じ難い。2001911日のテロの5カ月前、412日にニューヨークから成田便に乗っている。サンプルを作ってもらっている工場での試作品を確かめに行った時だ。だが出張で行き緊張していたこともあり、学生時代、1984年の初訪問を懐かしむ時間的、心理的余裕はなかった。それ以降訪れていない。世界を魅了するエネルギッシュな都市はまた、大きな憎しみをも引き付けてしまったのだろう。

コロナの感染者は104万人余り、死者も61000人と世界で最も多くなっている。医療崩壊が数の増加に拍車をかけているのか、検査数そのものが多いのか他国に比べて圧倒的に多い理由はわからない。全てがmingleし、コロナも克服した時にまた、新たな輝きが放たれるとしたら、またそれを見に行くのもいいと思っている。

1丁目のバーガーキング

前回ハンバーガーを食べたのは、 2019 年 2 月、サンディエゴの Burger Lounge だ。滅多に食べないこと、そして滅多に行かないアメリカで食べたのでよく覚えている。彼の地に住む中学時代の同級生が連れていってくれた。アメリカーンな美味しいものだった。 最寄り駅にバーガ...