2021年10月21日木曜日

1丁目のバーガーキング

前回ハンバーガーを食べたのは、20192月、サンディエゴのBurger Loungeだ。滅多に食べないこと、そして滅多に行かないアメリカで食べたのでよく覚えている。彼の地に住む中学時代の同級生が連れていってくれた。アメリカーンな美味しいものだった。




最寄り駅にバーガーキングができてもう2年くらい経つだろうか。それでも今日初めて行ってみた。

ハンバーガーが嫌いなわけではない。だがハンバーガー屋へ足を運ぶことはない。理由はもう見たくないほど、一生分くらい食べたからだ。

地球の歩き方「アメリカ」編をバイブルに、ニューヨーク~ロサンゼルスをグレイハウンドで横断旅行を試みたのは1984年、ロサンゼルスオリンピックの年だった。初海外旅行、初ひとり旅。帰りはホノルルへ寄るというおまけつき(寄っても航空運賃が同額だった)で、夏休み2カ月ほとんどを使った。格安航空券という言葉が出始めた頃だろうか。成田ニューヨーク(この間はバス)ロサンゼルスホノルル成田で198000円だったことを覚えている。

当時最も安いものを選んだつもりだ。よって、大韓航空。もちろん直行便ではない。金は無いが時間はあった当時の正しすぎる選択だ。世界地図を見れば、成田からは東に向けて飛んでいくはずだったが、格安便はまずソウルへ向かった。ああ、逆走・・・。

そしてソウルで乗り換えのため数時間を過ごし、一路ニューヨーク!へ向かう前には当時アンカレッジ経由だった。日本を出る前、もうしばらく食べられないだろうと思って成田で蕎麦屋に寄ったが、アンカレッジ駐機中、出迎えてくれたのは「うどん」の暖簾だった。

「ググる」が存在しない当時、地球の歩き方はバックパッカーにとっておそらく唯一の情報源だった。都市や名所や交通の紹介記事の合間を埋めるように、「旅した先輩」の体験談が載っている。どこの店が美味しかった、景色は最高だったというハナシからきわどい武勇伝的なものまでさまざまだ。「生の声」は貴重だったが、今思えばN=1の情報が全てというのは恐ろしくもあった。

まあその辺は後日として、ニューヨークからロサンゼルスまで2カ月弱、グレイハウンドという長距離バスで移動した。「アメリパス」という一定期間有効のパスを買い、行先を自分で決めて自由に乗れるものだった。都市から都市へ移動するのだが何しろ広大なアメリカ。途中で何度もトイレだ食事だと休憩が入る。その停車地点がほぼ例外なくバーガーキングやマクドナルドだったのだ。(やっと出てきたバーガーキングのハナシ)



金はないが時間はある学生にとって出費が抑えられるのは助かることだった。宿泊費を浮かそうと思えば夜行バスに乗ったし、ハンバーガーはバカみたいに安かった。たしかマクドナルドだったと思うが、買うたびにスクラッチカードをくれた。カードにはオリンピック種目が書いてあり、アメリカがその種目で金メダルをとるとビッグマックがひとつ無料でもらえるのだった。アメリカ強いよね。しかも自国開催。果たして明けても暮れてもハンバーガーだったというわけ。

旅の後半では、休憩地点のMの看板を見るだけで胃もたれがしたほど。バーガーキングも同じくらい食べた。みな「ワーパー、ウィ、チーっ」って何を言っているのかわからなかったが、ワッパーチーズ(Whopper® with Cheese)だった。日本での1号店が1993年というから知らないわけだ。

https://news.nissyoku.co.jp/news/nss-7599-0019

バーガーキング、1号店、西武入間「ペペ」にオープン(日本食糧新聞 1993927日)


2年半ぶりくらいで食べたハンバーガー。

包み紙はこんな色だったっけ。やけに地味な感じがする。ロゴも見当たらない。それはさておき、直火焼きっぽいにおいが感じられ、胃もたれ、いや、当時を少し思い出してバスに揺られた気分になった。

なんだか、地味に。

2021年9月26日日曜日

Vanilla Fudgeと水戸黄門

 「水戸黄門」は永久にやっているものだと思っていたら、さすがに第43部で終了していた。20111219日が最終回だったらしい。(しかもだいぶ前だった・・・)

https://www.nikkei.com/article/DGXNASFK1500P_V10C11A7000000/

「水戸黄門」12月で放送終了 40年の歴史に幕

 

ロック水戸黄門

40年続けばこの先再放送でもう40年はいける。由美かおるは毎回風呂に入っていたらしい。第1部が始まったのは1969年というのが今回のポイント。

 

先日、早めに仕事を終えてジョギングにでた。いつもラジオを聞きながら走る。「伊藤政則のポップラウンジ」という番組で「60’s-70’s米・英ロック大西洋境界線ロック考察」と題した企画だった。番組のほぼ終盤だったので3曲しか楽しめなかったのだが驚いた。

 

米・英ロックだというのに、そこには水戸黄門のあのイントロリズムが刻まれたからだった。ダン・ダダダ・ダン 

ダダダ・ダン

ダダダ・ダダダダダダ

(繰り返し)

そして、「じぃ~んせい 楽ありゃ、くぅ~もあ~る~さぁ~」とは歌いださない。米・英ロックだから。

その正体は、Vanilla Fudge You Keep Me Hangin' OnStereo Unedited Version)という曲だった。

あんまり驚いてというか、おかしくてジョギング途中で立ち止まり、曲名を確認してしまった。この、Stereo Unedited Versionというのが水戸黄門で、他のバージョンにはこのイントロがなかった。

 

https://www.youtube.com/watch?v=R3ChToIvLRM

You Keep Me Hangin' On | Stereo Unedited Version | Vanilla Fudge(水戸黄門)

https://www.youtube.com/watch?v=3dJO47d26kc

Vanilla Fudge "Keep Me Hangin' On" on The Ed Sullivan Show(水戸黄門でないヤツ)

 

Youtubeの字幕によればエドサリバンショーで19681月に放送されている。水戸黄門第1部の開始は1969年。これはもう・・・

ダン・ダダダ・ダン 

ダダダ・ダン

ダダダ・ダダダダダダ

(繰り返し)

 

としか思えないのである。

2021年7月21日水曜日

Specialな7月21日!あー夏休み!(ではないのだが)

もうすぐ会社員生活も終わろうかというのに、いまだにこの721日は特別感がある。そう、夏休みなのだ、今日から831日までは。

 

子供の頃からそういうカレンダーなのだから仕方がない。完全に刷り込まれている。

だが実際にはその期間が夏休みだったのは小中高であって、大学はさらにとんでもない長期の休みがある。だからこそアメリカひとり旅とかできたわけだが。

 

会社に入ってからは夏休み、冬休み、春休みもない。カレンダーの赤い日をひたすら待ち望んだ。しかも社会人になった当時(1987年)は半ドン、土曜も昼までは働いていた。

721日から831日の夏休みはとっくに「卒業」したのだ。それでもなお、この期間は何となく「休み」っぽい気分になるのだ。(どんだけ働いてねーんだよ)

普通はやるよな、宿題


そう、そこで夏休みと言えば宿題だ。

宿題は実に罪作りだ。俺が算数を嫌いになったのは明快で、小学校3年次の「新算数」という簡単な計算問題の分厚い宿題だった。毎日数ページこなしていけば、難なく終わる2センチくらいのそれは、夏真っ盛りの8月最終週に日焼けもせず青白い表紙で俺に迫ってきた。

 

今思えば簡単な計算だ。量をこなして計算の苦手意識を無くすという類の練習帳だった。だが塊で立ちはだかれると、手も足も出なかった。泣きながら、そして親に怒られながらやったことを思い出す。(たぶん最後まではできなかったと思う)

 

そんなで計算が好きになるはずがない。

微分積分、証明問題ができなくても、今こうして生きていけるが、計算を甘く見ていたのは痛手だ。逆にそれさえきちんとやっておけばよかったと、心底思う。

 

思うけれど、やっぱり今日から気分は夏休み!

 

2021年7月5日月曜日

カメコとカメオのプール開き

亀が本当に万年なのかは知る由もないが、もう20年以上、2匹のミドリガメとの腐れ縁が続いている。ビッグマックより確実に大きくなった。さすがに今は成長しているのかどうかわからないが、常に脱皮している。

ひょっとすると栄養不足で甲羅が剥がれているだけなのかもしれない。

タライから解放された


ペットといえばペットだが、犬猫のようにモフモフ系ではないし、一緒に散歩もできない。写真写りもイケてるわけでもないし、第一「ミドリ」ガメというわりに、鮮やかな緑でもなくむしろずんと澱んだ色合いだ。やはり「ミシシッピアカミミガメ」という名が合っている。

亀戸天神に放とうと何度思ったことか。

だが、道端で大小便しないし、吠えたり、「猫なで声」など出すことはない。抜け毛の代わりに剥がれる甲羅・・・。 

ホームセンターで買える最大のプラスチックたらいでも、動き回る2つのビッグマックにはどう見ても手狭だ。かつて、赤ちゃんが入るような、円形ビニールプールを買ったことがある。さぞかし奴らも喜ぶと思いきや、翌日には長い爪で見事に穴が開いた。水は流れ出て、ベランダをのそのそ歩いていたが、落ちたら大変、ここは6階なのだ。

 

コロナ下の在宅勤務とはオソロシイ。

ネットで物を買う機会が一気に増えた。一昨年までは年に5回もなかった。マンションの通気口のフィルターとかそこらでは売っていないモノしか買わなかった。だがどうしたわけか、ビッグマックに新しいプールを買ってしまった。

 

赤ちゃん向けビニールプールという同じ轍は踏まない。奴らの鋭い爪も考慮、子供向けプールでもハイクオリティなものを仕入れた。122センチ四方どうだ!

 

カメコとカメオは狭いタライでよく戯れていたが、急に広くなってどうしていいか分からない様子だ。カメオは得意のアイアンクローをカメコに仕掛けることもない。

 

カメコとカメオの7日間で、歓喜に沸いていたカメオ。もっと泳いでいいんだぜ。

2021年6月28日月曜日

太平洋の海底から「クリエイター」は発信し続けるべし!

Noteで駄文を晒し始めて3週間が経過した。

いろいろな方の実にさまざまなnoteを見ると、励まされ、勇気づけられ、楽しくもなり、また心配したりする。

海は広いな大きいな


・孤島でひとり悩んでいるような

・当てもなくさまよっているような

・それからどうなったんだろうと思うような

・で、なに?と思うような・・・(この文がそうでもあるが)

 

多様な文章に出会う。

そうして何か書いてお金が入れば、なんて考えている人はゴマンといるだろう。自分も物書きにでもなれればと思う時がある。だがこのまま綴っていてもその可能性は極めて低いことも分かっているし、そもそも文筆業の方に対して、「にでも」とは失礼だ。

 

うつで会社を休んだ人はなぜ喫茶店のマスターにでもなろうと思うのか」を書いて思ったのだが、なんとなくなれそう、できそうと思っていることと、実際になれる、できることの差は実に大きい。

 

それでも発信し続けることの意味はあるように思う。

たとえそれがネット上の文字・情報の洪水、大海、深海の中に紛れているとしてもだ。

 

航空機事故で事故原因の究明に大切な「フライトレコーダ」は衝撃に強く、高耐腐食性、高耐で、最大30日間、最大6000メートルの深さに沈んでも、超音波で「ピング」を放出するよう設計されているという。(Wikiブラックボックスより抜粋)

 

海の底からでも超音波を発信し続けるフライトレコーダの如く、noteにおいて「クリエイター」である書き手は発信し続けることに大きな意味がある、と改めて思う。それが誰かを元気づけ、励まし、鼻で笑われたり、呆れられたり、感心させたりする。それって自分のためでもある。

 

それでいいじゃん。

 

2021年6月27日日曜日

美味しいお店

noteで「美味しいお店」というお題を見かけた。

みなの思い思いのお気に入りが記されている。

だが、本当のお気に入りの店は、教えないものだ。自分が好きなのは小さい店ばかりで入れなくなったら困るからだ。

美味しい店と言っても様々で、普段通う居酒屋から、海外旅行で1度きり行ったが忘れられない店まで幅が広すぎる。

ONE HARBOR ROAD ここは別格

香港の広東料理といえばOne Harbor Roadだ。実に洗練されていてサービスも一流、そりゃグランドハイアットだからね。台湾の紅焼牛肉麺ならオフィスの前の無名店。素朴ながらインパクトのある赤さが食欲をそそった。

 

よく行く寿司屋なんていうと生意気だが、「海幸」(東京都江東区)はリーズナブルで常に行列ができる人気店。ここは予約もできないから書いてもいいか。 コロナで客数は少なくなっているものの、それでも繁盛店だ。

果たして自分が通うのは居酒屋になるのだが、好みの要素が何かを考えてみた。すると3つの条件があるように思う。

 

・たたずまい

・必ず食べたいと思う一品があるか

・客層

 

いずれも大事だ。

飲食なだけに清潔感は無いと困る。だが外観、店内も古くてボロくてもかまわない。思わず、「ガラガラ」と入口を開けてみたくなるような「たたずまい」は、それだけで絵になるものだ。

 

またその店のオリジナルメニューが何品かあると通う原動力になる。山海の珍味でなくて構わない。これだけは完全自家製など、店のカラーが欲しい。そして味でもサービスでもなく、「客層」は店の雰囲気を醸し出す大きな要素。当然自分もその一人だ。

 

酔うのだから大声で盛り上がる客はもちろんいる。それを否定はしないが、店のハコ(大きさ)に比べて騒音になっていれば、とっとと出るかな。自分だって毎回黙ってしんみり飲みたいわけではない。だが限度ってものがある。

 

店で飲める日が早く来るといいなぁ。

2021年6月18日金曜日

呼吸が1分で3回になった!

瞑想。

怪しい宗教でもなく、Meditationは今や世界的に行われている。それが好きとか嫌いとか、効果があるのかないのか、自身の日常となっているのか否かはこの際どうでもいい。以前から知ってはいるがものすごく興味があったわけでもなく、ましてこの手の教室に通おうと思ったわけでもない。

でもなんだか純粋に、やってみよう、と思ってやってみた。

こんな環境でできたらいいね


たまたま出会ったこちらのサイトによると、一般的な呼吸回数は1分間に1218回らしい。今やってみたところ、17回だった。一応この範疇に入っている。

https://job-medley.com/tips/detail/1117/

バイタルサインとは? おさえておきたい正常値(基準値)と測定方法

 

今日午前中、瞑想というよりは、呼吸をゆったり、意識してひたすらゆったりしてみた。苦しくなってはかえってゼーハーして早くなってしまうので、時間をかけてトライ。するとだんだんと数が少なくなってきて、しまいには1分間で3回になった。20秒で1呼吸ということになる。

 

苦しくはない。落ち着いた気分になれる。アクセントに「沈香」を焚いてみた。これも良かったかもしれない。

https://www.nhk.or.jp/shinyabin/karadano200324.html

【呼吸瞑想】…息を吸って、吐く、ということに注意を向ける瞑想

 

呼吸法、マインドフルネス、ヨガ、瞑想・・・。

いずれにも造詣は深くないが、やってみると心地よいということはわかる。今日分かったことは、呼吸はゆっくりにできて気持ちは落ち着いたが、それで瞑想になっているのかどうかはわからない。少し学んでみるのもいいかもしれない。

 

(たぶんそんな真面目にはやらないと思うけど)

 

 

 

2021年6月17日木曜日

忘れられない味・初めての味


中国書籍の検索をしていたら台湾の食品のページを見かけた。台湾といえば「牛肉麺」。そして牛肉麺といえば紅焼牛肉面だ。かつて出張時には必ず食べに行った。会社の前の、何ということはない小さな店の真っ赤なスープがたまらなく美味しかった。辛さもちょうどよく、高菜も入れ放題。安上りだった。

 

忘れられない味はいくつかある。

今でこそポピュラーだが、1990年に北京の四川飯店で出会った「酸辣湯」は衝撃的だった。酸っぱいのはわかる。辛いのもわかる。だが酢と胡椒などの合体からなる「酸っぱ辛い味」を、初回は好きになれなかった。初めて過ぎて堪能できなかった。だが、二度目からは正に病みつきになった。熱くて酸っぱいのでむせないよう、注意したほうがいい。

 

次はその北京語言学院(現北京語言大学)で学んでいた当時、家庭教師をお願いしていた図書館員のおばさんの家で出していただいた「炸面」(炸醤麺:じゃーじゃんめん)。これもシンプル素朴の極みで、その後何度も作っていただいた。ひき肉の味噌炒めときゅうりの細切りを冷やし麺にのせてかき混ぜて食べるスタイル。そのおばさんは全く日本語を解さなかったため、コミュニケーションには苦労したが、美味しい物への感謝は伝わったと勝手に思っている。

 

最後は(本当はもっとある)語言学院の留学生食堂のレギュラーメニュー、豚肉じゃがいもピーマン味噌炒め。青椒肉とか,土豆肉だと思うが、肉の「」は細切りであるのに対して、学食では豚肉とじゃがいもがサイコロにカットされていた。甜麵醬の甘みが程よく、夕食時にはビールのつまみによく頼んだ。当時おかずがひと皿2元、燕京ビール大瓶が1.5元だったかな。

 

ずいぶん素朴なものばかり並んだが、何度食べても飽きないというところがポイントか。

 

ちっとも中国書籍のハナシにはならなかった…。

 

 

2021年6月14日月曜日

“雨の日と月曜日は” vs. “Walk between the rain drops.”

足踏みしていた関東の梅雨入り。入ったからといって突如降り続くわけでもない。むしろ薄日が差して、「梅雨入りしたとみられる」という気象庁のあいまい表現を小ばかにしている。

ぬれた路面を走る車の音、窓に当たる水滴、近くの雨どいからこぼれる水音。そんななか聞こえるか聞こえないかくらい小さなラジオの音。雨降りは、家の中にいる限り、そう悪くはない。

めっちゃ楽しそう


これまでは、雨が降っただけで訳もなく落ち込んだり、何も手につかなかったりしたが、今はそうしたこともない。

 

在宅勤務中であるにもかかわらず、ギターを手に取ってyoutubeで好きな曲に合わせて弾いてみたり、背筋を鍛える新聞記事を読んで実行してみたり、昼食時の食器を洗ったり、豆菓子をつまんだり、退職したら何をしようか考えてみたり、今月の中国語検定2級のテキストを見たり(ぼんやり眺めるだけだが)、カメに餌をやったり。

 

カーペンターズで「雨の日と月曜日は」という曲がある。

Rainy days and Mondays always get me down.

という歌詞が出てきて、Mondaysがつくことと、洋の東西を問わずやはり雨と月曜は鬱陶しいのだということを知った。

 

いっぽう、雨なのにめっぽう明るいSingin' in the Rain(映画:雨に歌えば)や、

https://www.youtube.com/watch?v=edvN1DfRTZI

 

雨の中で恋人と仲直り?する、Donald FagenWalk between the rain drops.は、「雨の日と・・・」とはだいぶ様相が異なり、「雨も悪くないね」という気分にさせてくれる。

https://www.youtube.com/watch?v=CpJRc4RZPqE

 

「雨宿り」(さだまさし)をしても恋人と出会うようなことはそうは起こらないが、あるとすればやはり「始まりはいつも雨」(チャゲ&飛鳥)か。それも「こぬか雨」(EPO)がいい。「2000トンの雨」(山下達郎)の様な豪雨は困るが、「雨のMelody」(kinki-kids)を聞きながら「雨の街を」(松任谷由実)をあてもなく歩いていると「雨のステイション」(ハイファイセット)にたどり着く。「みずいろの雨」(八神純子)、「数えきれない雨」(憂歌団)に降られ、「雨に泣いてる」(柳ジョージ&レイニーウッド)けど、「雨に抱かれて」(松雪泰子)「雨にぬれても」(バートバカラック)かまわない。でもやっぱり「雨の日はうちにいて」(山下久美子)過ごすのがいいか。

まだまだありそう。

2021年6月7日月曜日

蚊取り線香は本当に蚊を落とすのか

落とす。

その瞬間を見たことがある。蚊はCM出演を約束されたかのように、フラフラと力なく落下した。その威力たるや。

キンチョウ以外に蚊取り線香なるものが存在するのかどうか、知らない。調べれば出てくるだろうがそんなことはしない。それほど「キンチョウの夏、日本の夏」として刷り込まれている。

このサイズで3時間燃焼


今年もその季節がやってきた。といっても毎年律義に蚊取り線香を焚いていたわけではない。むしろ数十年ぶりに買ってみた。しかもあの見慣れた緑色ではない。「天然除虫菊」という黄色でもなく、茶色でもなく、黄土色のあまり見たことのないタイプだった。緑のタイプと明らかににおいは異なるが、同時に着火したわけではないのでうまく説明できない。

 

いくら100%天然植物成分使用と外箱に書いてあるからといって、思い切り吸い込んでみようとは思わない。香として焚くのもアリかと思いきやそこはやはり蚊取り線香。鳩居堂で買ってきた「沈香」のようにはいかない。その煙とにおいで蚊を殺傷するのだ。それに「観賞魚」と「飼育昆虫」のいる部屋では使うなと書いてある。

 

箱の記載で驚いたのは、社名が「大日本除虫菊株式会社」ということだった。てっきり株式会社キンチョーだと思っていた。商品を買っても、使い方を知っている物は使用上の注意を読むことはないし、よって社名の記載までたどり着くことはない。ユニークなCMは記憶にあるが、キンチョウというだけで、社名をコミュニケーションに使う必要がないわけだ。

 

ところで蚊取り線香の器といえばなぜか豚なのだが、それには2つの節があるらしい。1つは養豚業者が豚のために蚊取り線香を土管で焚いていたがその形が変化したもの。もう1つは江戸時代に枯葉やおがくずなどを燻した煙で蚊を追い払っていた入れ物が、大きめの徳利のようなもの(これがイノシシの様な形をしていた)を使っていたという節だ。

https://story.nakagawa-masashichi.jp/70112

中川政七商店の読みものより

 

わざわざ豚を買いに行くのはためらわれるので、あまり使っていない中華皿で代用している。今さっき、蚊を目撃した。いっきに手打ちにしてやろうと思ったが、またCMばりの落下を見たくなり、逃がした。全く本末転倒だ。

2021年6月3日木曜日

しっぽを振らない黒い犬

やる気が出ない、だけならいい。

迫りくる見えない不安にボディプレスを食らい、呼吸も苦しい。立ち上がるどころか這い出す先さえわからない。先週片づけると上司に約束しておいたプレゼン資料が1ミリも完成していないとか、明日海外現地法人と英語で会議をしなくてはいけないといった期限付きの具体的恐怖。また、鬱々たる気分の果てに陥る自分の無力さ、非力さが増幅して津波のように自分に押し寄せる、つかみようのない不安もある。ぬるっとした粘着質な何かが目や口や鼻や耳にまでまとわりつき、窒息しそうなほどの苦しみを感じる時もある。

I had a black dog, his name was depression.


そしてどう対処しようとしても、逃れられない時がある。日時が決まっている恐怖はそれが過ぎるまで待つしかない。それまでどんなに落ち着かなくても、飯が食えなくても、心配で眠れなくても他に方法がない。そのかわり、その1時間なり、半日なり、当日が過ぎてしまえば、仮に多少の叱責(例えば資料ができていなかったとか)はあるにしても、跡形もなくなる。あれだけ思い煩っていたのが全く信じられないほど、滑稽なほど何も残らない。

 

では時限的でない、慢性的な苦しみにはどう対処すべきだろう。

     対峙

     気分転換

     共存

     逃避

これまでの経験上、その苦しみや恐怖を克服する場合は、対峙するしか道はないことはわかっている。拝んでいれば救われると思っていた仏教でさえ、「自分の問題から逃げず、しっかり困ったり、悩んだりすること」(禅僧が教える 心がラクになる生き方:南直哉著)とある。なかなか手厳しい。

 

気分転換もいろいろやってはみるが、たいがいはうまくいかない。不安や苦しみと共存する、すなわちうち勝とうとか、克服してやろう、などと思わない方法がある。現実にはこのパターンを結果的に選択せざるを得ないのだが、これにはテクニックを要する。ネガティブ要素がそこにいるのに、それが無いかの如く暮らすのは実に難しい。

 

黒い犬として表現されている「鬱」は、飼いならしていくしかない。散歩には常についてくるくせに、ヤツはなかなか尻尾を振ってはくれない。だがいつか、あんなに苦しむ元となった黒い犬を慈しむ時が来る。必ず来る。そう思うことにしている。

2021年5月25日火曜日

Moonlight Feels Right by Starbuck

明日は皆既日食というニュース→月夜→満月→深夜放送→ムーンライト→たぶん70年代というフローで、40年以上前に聞いた曲を思い出し、探しあたる。恐るべしインターネット、恐るべしYouTube、そして記憶力。メロディとサビの「moonlight」というひとつの単語だけが頼り。曲のタイトルでも歌詞の中にあってもありふれた単語なだけに、これまで検索しようとも思わなかった。70’sをつけたのが勝因か。

深夜放送で初めて聞いた


1975年にリリースされたスターバックのデビューシングル。400のラジオ局に自らレコードを届けに行ったがどこも流してくれなかったらしい。アラバマのWERC以外は。だがそのWERCも当初は「この曲は春っぽいからその頃になったらかける」との返事。あきらめてバンドは次のレコーディングに入ったが、局は約束通り春にオンエア。するとすぐさまヒットし、USチャートには19764月に登場、以降5カ月にわたりチャートインした。

(Moonlight Feels Right  https://en.wikipedia.org/wiki/Moonlight_Feels_Right )

 

昔っぽい、いいハナシだ。

今のように瞬時に情報が来る時代ではないから、タイムラグはあっただろう。これを聞いたのはオールナイトニッポンだった。誰の番組だったかは、もう忘れてしまった。

More, More, Moreと言われても・・・


スージークアトロの恋するヤングガール(I May Be Too Young 1976)や、Andrea True ConnectionMore, More, More1976)、SweetAction1975)など、皆オールナイトニッポンで聞いたものだった。Actionが「あのねのね」のオールナイトだったことは覚えている。小学校から中学校の頃だ。深夜放送聞いて学校いくのだから、眠いに決まっている。そしてもちろん、成績も良いわけがない。

 

その時聞いた多くの楽曲が、今の音楽活動の糧になっている・・・ということもなく、ただ懐かしいと聞いているだけだ。だがたくさんの曲を聴いたことは間違いなく、そして生活を彩ってくれたこともまた、確かだ。バンドの真似事もやった。そんな納得できるひとときを持てたという自覚があるだけで、十分ではないか。

 

月食は勝手に深夜だと思い込んでいたが、2021526日(水)の皆既月食は午後645分に欠け始め、約1時間30分後の811分に月全体が地球の影に入り、皆既食の状態となる。https://weathernews.jp/s/topics/202105/200195/ ウェザーニュースより

 

どうして分単位でわかるのだろう。それは深夜放送を聞きながら調べてみよう。またいい曲に出会うかもしれない。

2021年5月23日日曜日

才媛Shalala

香港に駐在していた頃、毎週日曜朝、つけっぱなしのテレビからノー天気な軽く明るい曲が流れていた。最初は気にも留めなかったが、毎週のことなので目に(耳に)こびりついた。二階建てバスの上で踊りながら歌っているビデオだった記憶がある。

https://www.youtube.com/watch?v=teMD0yJbKzg

Dreahouse / Shalala

Shalala lala


香港は日本人一人駐在で他のオフィス社員は全て香港ローカル。月から土曜午前(当時はなんと「半ドン」だった)まで働いて午後からつかの間の週末を迎える。その週末とて、日本から出張者があれば一緒に打ち合わせをしたりメシに付き合ったりした。偉い人が来ると空港まで送っていくというのも、当時の駐在員としては当たり前の仕事だった。

 

そんな香港オフィスのマネジメント層は英語が上手だが彼ら同士で話すときは広東語だ。北京で習った「漢語」とはまるで別の言語と言っていいだろう。日本語の促音、すなわち「っ」のように詰まる音というか跳ねる音が入るのが特徴的だ。例えば「日本人」は「やっぷんやん」。北京で習った漢語では、「りーべんれん」。これでは歯が立たない。

 

ところが、香港ではなんと自分に「秘書」がいた。今では考えられない「贅沢」な立場だった。Jenさんというその才媛は、マレーシア出身で、日本への留学経験があり、美容学校で学んだという。その後香港人と結婚。だからマレーシア語、広東語、日本語、英語に堪能なのだった。そしてなぜかインドネシア語も。バイリンガルどころではない。トリリンガルの次はなんというのかさえわからない。ローカル社員との打ち合わせ時には、日本語で話せば、瞬時に広東語になっていった。

多言語を駆使するだけでも舌を巻くが、仕事ができる。しかも早い。笑顔、いばらない、非の打ち所がない。天は二物どころか七、八物くらい彼女にもたらせた。いるんだな、こういう人って。

 

彼女がいたおかげで、香港での仕事は楽ちんだった。安心して任せられた。ちょっと任せすぎたかもしれない。香港返還前、そしてオフィスも平和な「駐在員事務所」から忙しい「合弁会社」に移行する直前ということもあり、もっともいい時期を過ごした。

 

Dreamhouseのその名も「Shalala」という曲は、アジアから売り出したと書いてあった。デビュー時のヘビープロモーションで毎週テレビで流していたのかもしれない。ポップというには軽々し過ぎるほどの「Shalala」は空っぽな日曜朝の脳に刻まれた。バスの上で歌っているお姉さんも、世の中に一抹の不安もない笑顔でフリフリ踊りながら歌っていた。

2021年5月20日木曜日

最強布団乾燥機「ダニパンチ」

三菱布団乾燥機AD-X80を購入。

ダークブラウンで思ったより小型で音も静か。

布団乾燥機の購入は初めてで、これまで冬場に暖めるイメージしかなかった。夏場に(乾燥のためとはいえ)暖めるという発想はなかったからだ。

「ダニパンチ」コース


この時期に買い込んだのはこれから迎える梅雨&夏の汗対策。というとオブラートに包んだようだがようはダニ対策だ。そこでダニ退治に効果がありそうなものを探してみた。まず布団乾燥機は大別して「ノズル式」と「マット式」があることが分かった。ノズルを伸ばしてそのまま布団に突っ込むタイプと、温風を吹き込んで膨らむマットを挟むタイプだ。前者はとにかくお手軽で後者はマットを出し入れするのが少々面倒。

https://osusume.mynavi.jp/articles/2159/#outline72637

2021年版 布団乾燥機おすすめ16選|家電のプロと504名に聞く|花粉症対策に部屋干し

 

だが今回の目的は「ダニ退治」。

迷わずマット式から効き目のありそうなものを選んだ。ダニ退治したい布団を、ダブルまで行けるという大きなマットで包みこむようにセット。そのマット(布団)が完全に隠れるように上から敷布団を2枚使って覆うという徹底的な高温退治。しかも片面90分なのでさらに倍。90分のカセットテープを2回聞き終わるまで眠れない。

 

布団がこんもり、盛り上がっていて手を入れると熱いほどに。「働いている感」を目視でき、期待感が高まる。

ダニがいない家はない、というが肉眼で容易くはみることができないゆえ、本当にいるのかどうかはわからない。わからないが、痒い。見えたら見えたで大量のダニの死骸を目の当たりにするのも困る。布団乾燥機のさらなる進化版には、ダニの死骸の回収までをセットにしてもらいたい。

 

そう思っていま一度、取扱説明書を読んでみたが、「ダニパンチ」「ダニ対策」とは書いてあるが、殺傷するとはどこにも書いていない。

 

そして、痒いのは背中なので見えないが、ダニではなく老人性乾皮症かもしれない。

2021年5月19日水曜日

暴走族は絶滅危惧種か。

土曜の深夜、バリバリと爆音を轟かせたバイクが数台通過する音が聞こえた。騒々しいが懐かしい。自分もかつて・・・ではない。とてもそんな勇気はなかった。

 

実家にいた頃、爆音は毎週聞いた。1970年代中頃から80年頃が全盛だっただろうか。東京・横浜方面から国道1号を南下、藤沢橋を左折し江ノ島へ向かう集団が実家の前を通過する。正確には一本内側に入っていたのでダイレクトな道沿いではない。だがその爆音たるやすさまじかった。バイクと車の集団は車道一杯に広がり(もちろん反対車線まで)、ゆっくり走行するため、嵐の通過には5分くらい要した。100台以上はいたのではないか。

 

夏のイメージがあるかもしれないが、奴らは気合も入っていたので季節を問わずやってきた。冬は北風の影響で、かなり遠くのうちから聞こえてくる。実家は藤沢と江ノ島の中間点くらいだが、藤沢橋あたり(2キロは離れている)から、風に乗って音が聞こえた。そんなバカな? いや、静かな時は列車(当時国鉄)の音が聞こえたくらいだ。

 

統計は見ていないが、そんな族の数も明らかに減少しているはずだ。音もしなけりゃ、姿も見ない。静かでいい。最も激しい時期、小田急江ノ島駅前ロータリーで族の騒音に業を煮やした住民が立ち向かったところ不幸にして事件が起きた。やはり、族はいらない。

 

ただ、「中免」(普通自動二輪免許)を持っているので、400㏄まで運転する資格はあり、「原付」ではないバイクでゆったり走りたいという気はある。その昔、兄がYAMAHA DT 125に、弟がHONDA GB250に乗っていた。YAMAHA MR50しか乗ったことがなかったので、原付とは比べ物にならない力強い走りにワクワクした。

 

今は原付といえばスクーターだ。MRのような原付なのに重々しいバイクはもう見ない。最近は郵便局の配達バイクは電動で、音もなく疾走している。ガソリンエンジンが無くなる日もそう遠くはないだろう。お化けのような高性能を誇ったスーパーカブ(新聞配達とか出前でよくあるヤツ)でさえ、取って代わられる。車が車でなくなる日(=ガソリンエンジンを持たない車になる)をおそらくこの目で確かめる日は来るだろう。

 

暴走族も、スーパーカブも等しく絶滅する。

HONDA CB400


なんて思ったら、新車も新色もガンガン発売されていた。風圧を受けて走ってみたい。

https://www.honda.co.jp/pressroom/motor/#02001

2021年5月9日日曜日

5720曲聞くのに要する時間は?

美しい旋律に抱かれるとき」を書いた時に疑問に思った、外付けハードディスクのMy Musicにいったい何曲くらい入っているのだろうかという問題。右クリックしてファイル数を調べてみると5720だった。

たからもの


単純に14分とすると、22880分。約381時間だ。ん?たった丸15日分ちょいか。一生かかっても聞ききることはない、と書こうとしたが聞けそうだ。もっとも、1ファイル2分台の洋楽や歌謡曲から1時間くらいの交響曲まで幅広い。現実的には毎日1時間聞いたとして、1年と16日。来年死ぬ予定はないのでどう考えても聞き終わりそうだ。

 

自分の持っているCDを全てデータ化したわけではない。主には図書館で借りてきたCD、そして古くはレコードやカセットをファイルにした。1981年、高校の文化祭で演奏したテープもある。音質はひどいが、自分のアタマの中では極めてクリアだ。弾き間違えた個所も鮮明に覚えている。「灰色でスタートした高校時代の黄金色の思い出」だからだ。

 

5720曲もあるのだから順に聞いていけばよいのだが、それでもえり好みしてしまう。「プレイリスト」なる言葉がいつからあったか知らないが、カセットに録音して楽しんでいた時代には①曲を選び、②時間を計算し、③カセットの時間に合わせ録音し、④そのカセットをどこでスタートさせればドライブコースにぴったりとなるかまで考えた。

 

バカだね。でも当時の集中力を超えるものは多くない。(どんな時間の使い方なんだ・・・)

 

2021年4月29日木曜日

インスパイアという名のパクリ 似た曲探し③

「カヴァレリア・ルスティカーナ」の旋律があまりに美しいということから始まった。(美しい旋律に抱かれるとき

クラシック音楽を聴く頻度は高くなく、したがって持っているCDもごく限られている。そこで、この曲のyoutubeのコメント欄を見ていたら、やはり美しい曲として、ラフマニノフ交響曲第2番第3楽章が紹介されていた。コメント書いてくれた人、ありがとう。激しく心地よい。やはりあるんだね、こういう曲が。ラフマニノフといえば、ピアノ協奏曲第2番。これ一辺倒だった。

オーケストラの響きが美しい


昔から俺の耳はいい。またしても「インスパイア」という名のパクリが浮かんだ。エリックカルメンだ。1976年、「恋にノータッチ」という邦題の「Never Gonna Fall in Love Again」。これとラフマニノフの交響曲第2番第3楽章の冒頭。あれあれ? のっけからだった。150秒あたりも限りなく・・・。これは疑惑どころではない。

https://www.youtube.com/watch?v=Y646Aw8Jf7U

エリックカルメン・Never Gonna Fall in Love Again(恋にノータッチ)

こちらの40秒あたり

 

https://www.youtube.com/watch?v=JVcAqmyMyfU

ラフマニノフ 交響曲第2番 第3楽章

こちらの冒頭

 

初演は1908年というからクラシック(古典)というよりグッと今に近い。イージーリスニング(死語)に近い気もする。エリックカルメンはこれを見逃さなかったということだな。「恋に・・・」は1976年に全米11位まで行ったので日本でもかかる機会が多かった。深夜放送で聞いたのを覚えている。

 

そう、ここで調べてみたら「やっぱり」だった。彼は他にもラフマニノフのピアノ協奏曲第2番に「インスパイア」されていた。むしろこちらの方が疑惑は濃いようで、wikiにもしっかり書いてあった。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%A1%E3%83%B3

 

マスカーニ「カヴァレリア・ルスティカーナ」より間奏曲に端を発し、エリックカルメンに自分の耳でたどり着いた、というハナシでした。

2021年4月23日金曜日

【書籍】八犬伝 山田風太郎傑作選江戸編 河出文庫

滝沢馬琴の南総里見八犬伝。

文字の浮かび上がる不思議な珠と、牡丹の花弁に似たあざを持つ八人の剣士たち。これに作者滝沢馬琴と家族や北斎などを交えた物語をそれぞれ「虚の世界」「実の世界」として描き、終章で虚と実が冥合する展開に。実の世界が不条理に満ちているからこそ、虚の世界では正義が悪を駆逐しなければならないと考えた(とされる)滝沢馬琴と山田風太郎の確かに傑作と言える。

人形劇が印象深い


八犬伝は何と言っても、NHK「連続人形劇 新八犬伝」が印象的で音楽も耳に残っている。

坂本九の語り、辻村ジュサブローという名もその表記の珍しさから記憶に残った。1973(昭和48)年4月からの放送というから小学4年生だった。テーマソングにも「仁義礼智忠信孝悌」と歌われたのですぐに覚えた。何と言っても自分の名前の一文字が入っていたこともこの番組を見続ける決定的な要因だった。

孝:犬塚信乃

義:犬川荘助(額蔵)

忠:犬山道節

信:犬飼現八

悌:犬田小文吾

礼:犬村大角

智:犬坂毛野

仁:犬江親兵衛

 

物語そのものは奇想天外、忠義、仇討ちといった人間ドラマにとどまらず、動物や妖怪、超常現象が頻繁に登場し、飽きさせない。名刀「村雨」なんていう名前もカッコよかった。全員犬の字がつく名前を考えるのも大変だったろうが、あまり不自然な感じはしない。

 

これら八剣士(八犬士)は携える珠の文字が異なるが、それぞれ出自もキャラクターも異なり「多様性を持った最強タスクフォース」ともいえる。1814年から28年間にわたり執筆されたという大作。江戸時代にすでにダイバーシティは必要とされていたわけだ。しかも、犬塚信乃、犬坂毛野に至っては女装されて育ったというから、「LGBT」視点もあったのかもしれない。

 

それは読みすぎか。

 

 

2021年4月18日日曜日

健康診断という不健康な診断

年に1度、健康診断を受ける。会社の規定となっていて、業務時間にカウントされるし交通費もでる。明日はそれに午後休みをくっつけて、のんびりしようという算段だ。

 

バリウム検査を胃カメラに替えて久しいが物理的な苦痛はそう変わらない。バリウムは、あの白いのっぺりした液体を飲む苦痛、胃カメラはマウスピースをしながらあの管を挿入され、「おえっちょ」となる苦痛、どちらも虐待に等しい。

こんな甘いもんじゃない


この二者択一で胃カメラを選ぶようになったのは、検査後の飲食の制限がないことだ。ビールもすぐに飲める。(飲まないが)

 

知人が「情けないハナシ」として教えてくれたのは、胃カメラの最中に苦しみのあまり、背中をさすってくれたベテラン看護士の、なぜか手を握り締めてしまったという一件だった。冷静な彼がそこまでの状況に陥るとは、恐るべし、胃カメラ。

 

翻って、一昨年の自分の胃カメラ検査。リクエストはしていないが背中をさすってもらった看護士の目元は完全に浅尾美和サンだった。マスク着用だったのが余計にそう思わせたのかもしれない。初めて「行く気」になって同じ医療機関で臨んだ昨年はしかしながら、彼女はいなかった。

 

健康診断は肉体的な難行苦行だが、心理的にもよろしくない。

年を重ねるにつれ、不具合箇所はいやでも増えてくる。その数値を検査間際になって少しでも良くしようと無駄なことをする。急にそば茶を飲み始めるとか、突然運動をしてみるとか、いつもの酒を少し控えるとか。小手先で変わる数値はほとんどないらしい。言うではないか。「ありのまま自分」「本当の自分」と。本当の自分を探す旅に出る人までいるというからオソロシイ。探さなくてもそこにいるじゃないか。

 

ということで、健診前夜にいつも通りビールスタートで白ワインをいただき、ごちそうさま、という宴で明日に挑む。これでいいのだ。

 

2021年4月11日日曜日

マスカーニ「カヴァレリア・ルスティカーナ」より間奏曲

作曲家のことも、楽曲のことも、何も知らないが、外付けハードディスクにいつしか保存されていた、たった3分のこの曲があまりにまとわりつく。はねのけようとも思わないし、むしろその甘美な旋律の奈落の底に飛び込む。

オーケストラ演奏は美しすぎる


ちょいと調べると、ゴッドファーザーパートⅢのラストシーンで使われているようだ。こちらも、ゴッドファーザーは知っているがパートⅢと言われても覚えはない。少なくともこの曲が使われていたことは。

 

好きな曲の要素は何だろう。

旋律の好み、リズムの強弱や種類、歌詞の世界、レコード・CDジャケットの色彩や構図、聞いた時期・年代、演奏したことがある、弾きやすい、コンサートを見に行った、好きな人が好きだった、強烈な思い出や印象とともにある、など動機は様々だ。

 

ハードディスクに入っていた曲をランダム再生によって見つけたという、ひょんなことから出会った曲だが、没入するという意味でかなり上位に来る。

Bill Evans TrioConsecrationの一曲目、You And The Night And The MusicPat Metheny GroupPhase Danceなどは今も「聞くぞ」という態勢に入ってから聞かないと失礼な気がする。他の曲もそうなのだろうけれど。

 

作曲家や演奏家はそれぞれ、編み出した曲、実演する自身に酔うのだろうが、鑑賞者は浸るしかない。そうか、浸るというのは没入か。絶対値は同じかもしれない。そう考えると、懸命に聞くという行為はまさしく「鑑賞家」ともいえるかもしれない。

鑑賞する時の絶対値は同じ?


まあどうでもいい。ビルエバンスの切ない演奏も、KISSのデトロイトロックシティも、自分の中の鑑賞力の絶対値は等しい。

いやいや、「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲の美しさについて熱弁しなければいけなかったのだが。

2021年4月6日火曜日

イボとタコとウオノメと

右手にだけ、イボができる。放っておいても何のことはないが、大きくなってくると気になる。痛くも痒くもないが、違和感は大きい。そこで、ある程度育ってから皮膚科に行くことにしている。中高年はただでも煙たがられるが、本質(人間性とか言動とか)と関係ないところで気持ち悪く思われる要素は可能であれば取り除いておきたい。

https://nshc.com/disease/disease-wart/

いぼ、うおのめ、たこの違い

液体窒素はこんな容器に入っていた


もう慣れっこではあるが、マイナス196度の液体窒素をイボに押し当て火傷(凍傷)をさせるという治療法に耐えるのはマゾの極みでもある。痛い。だが治すためにはしかたがない。お銚子の胴体が異様に発達したような容器に入った液状の武器を、医師はステンレス製保温水筒のようなものに移し替える。ドライアイスのような煙が湧きたっている。そして長い綿棒のようなものに浸し、イボに「じゅっ」と押し当てるのだ。根性焼きであり、イジメであり、虐待でもある。

 

こんな痛い思いをしてなお、「なかなか治らないのが欠点ですが」と、上記URLの皮膚科でも白状している。事実、今日訪れた皮膚科ではカルテを見た医師が待ってました、とばかりに「昨年6月以来ですね。ちゃんと私が終息宣言を出すまで来てください」と獲物を捕まえたような口調で言う。強制火傷のあとのカサブタが剥がれた後に、誰が金を払って行くものか。

あってもいいが、無いにこしたことはない


中学の同級生で整形外科医になった友人がいる。自分が一時期「病気探し」(少し調子が悪くなったらすぐに医者へ行っていた)をしていた頃、彼は、日常生活に支障をきたす症状があったら受診すべし、と説いてくれた。今は本当にそうだと思う。わざわざ自分から行く必要はないのだ。人間は生まれ持った「四百四病」を体に内在している。それらとバランスをとって「うまくやる」しかないのだ。そう、人間は常にあやういバランスの上に成り立っている。

 

これは体だけでなく精神においても言える。むしろ体を制するのは精神、すなわち気の持ちようで、いかに安定させるかは最も基本的なことであると同時に難しくもある。

 

結局、イボが忘れた頃に出てくる原因はとんとワカラナイが、ときたま出てくることによって、こうした深い洞察(?)に行きつくことができるのだ。

 

マイナス200度で焼かれる痛みは何としても避けたいのだが。

2021年4月4日日曜日

カメコとカメオの7日間

歓喜に沸くカメオ

子供が小さいころからいるので、確実に20年は経っているが2匹のミドリガメがいる。ミドリガメというと縁日で売っている可愛らしい姿を思い浮かべるかもしれないが、「ミシシッピアカミミガメ」という、今や規制される奴らだ。全国の世帯における飼育数は約110万世帯で約180万匹と推定(2013年度)されている。

https://www.env.go.jp/nature/intro/2outline/attention/akamimi.html

環境省:日本の外来種対策より

 

このHPによれば、2015年3月に環境省及び農林水産省が作成した「生態系被害防止外来種リスト」において、「緊急対策外来種」に位置づけられたと書いてある。水草に被害が出たり、クサガメなど従来からの生態系に影響を及ぼしている。

 

いまやそんな厄介者になったミドリガメが2匹、春になってやっと餌を食べ始める時期になった。活発に動き出す姿は元気でいいといえば良いのだが、こうなると週1回の水換えでは足りないほど濁り、サボると悪臭を放つまでになる。これをもう、20年もやっているということか。

 

当初は4匹いた。鶴は千年亀は万年などとおめでたい例えになっているが、1匹は幼体のうちに、もう1匹は2年くらい前に溺死体(?)を発見した。不器用な奴らだった。そうして残った2匹をカメコとカメオと名付けた。たくましく生き抜いている。特段甲羅が美しいわけでもなく、犬猫のようなしぐさもない。実際オスだかメスだかわからない。「見分け方」のHPがあったのでその方法は分かったが、見分けたいとは思わない。

 

温かくなったのでカメコとカメオはよく戯れている。たいがいは、カメオがカメコにアイアンクローをかましている。餌もほとんどカメオが食い尽くしてしまう。カメコの口の前に餌を落としてもカメオにとられる。これでカメコが餓死すればそれはそれで仕方がない。

 

愛情のかけらもない、と思うかもしれないが、否。今年は奮発して亀用のプールを買った。今のたらいではあまりに不憫に見えたからだ。ひょっとしたらたらいが小さくてメンタルをやられたのかもしれない。

 

カメオに「もうすぐプールだぞ」と伝えたら、歓喜にわいていた。


Turtle375に亀動画あり

2021年3月27日土曜日

美しい旋律に抱かれるとき

外付けハードディスクに溜めにためた音楽ファイルがいったい何曲あるだろう。

持っているCDや、何年も前に借りてきたものを、iPodやストリーミングサービスがある前からファイル化してきた。一生かかっても全曲を聞くことは無いだろうと思うほど。

丸っこい形がユニークなCDラジオ


今それを、KENWOODAP-300というCDラジオ(古い?!)の「ランダム再生」機能で一日中流している。本当はじっくり聴きたい。だが在宅「勤務」でそれをしたら、仕事にならない。中高生の頃、机の上にドンとラジカセを置いて、ただひたすらに好きな音楽を聴いていた時とは残念ながらわけが違う。

 

そんな膨大なファイルを流していると、自分で保存したものなのに知らない曲に出会う。

「マスカーニ「カヴァレリア・ルスティカーナ」より間奏曲」という短く美しい曲に惑う。

 

心動かされるような、とまでいかなくても「いいな」とか、強い印象を与えてくれた旋律はいくらでもある。月並みだが初めてレコードを買ったチャイコフスキーのくるみ割り人形。曲のタイトルがそれぞれの曲とイメージがあって、なるほどと思った。岩崎宏美の伸びやかで透明感のある声。1977年に初来日、武道館でコンサートを行ったKISSには度肝を抜かれた(当時、中学生なのに見に行った)。スティーリーダンの複雑なコード進行もたまらないし、パットメセニーも没頭できる。ビルエバンスのThe Melody At Night, With You は安眠CDぶっちぎりの一位と言える。

 

我ながら雑食だと思う。ジャズ、フュージョン、クラシックロック、フォーク、歌謡曲、落語もある。(CDを集め始めた頃はJpopと言う言葉はなかった)

どれが好きかと言われても困る。雑食だからだ。福山雅治サンが作って前川清サンが歌っている「ひまわり」もいいし、1970年代から活動しているKISSもいまだに聞く。ミシェルペテルチアーニのピアノもいいし、志の輔らくごもBOXで持っている。

 

ランダム再生ゆえ、突然流れてきた曲に合わせ、サイレントギターにむんずと手を伸ばし、下手ながらかき鳴らしてみる。コロナを言い訳に買ってしまった大人のおもちゃだ。そんなことをやっていて気が付けば午前零時が近い。最近こんな時間の過ごし方をしたことはない。ある意味贅沢なひとときをかみしめる。

 

苦しい一週間だったし、対応を迷うメールも残るが、とりあえず週末を迎える。

 

2021年3月21日日曜日

「みんな! ニューヨークへ行きたいかーっ!!」「おぉー‼」

「地球の歩き方 東京 202122」が出ることを、昨年秋に知った。そのあと図書館で予約したものが届いた。

https://www.sankeibiz.jp/econome/news/201003/ece2010030900001-n1.htm

2020103SankeiBiz 話題の本『地球の歩き方 東京 2021~22』

海外版はバックパッカーのバイブルだった


一口に東京と言っても場所も切り口も多すぎる。都内に住んでいると「東京へのアクセス」と言う頁が新鮮でもある。このガイドブックの国内版は初。「J01」とあり、Japanの一冊目ということだろう。

 

「地球の歩き方」は1979年創刊、「ヨーロッパ」編と「アメリカ」編の2冊により創刊されたと、wikiに載っている。正に「欧米」。相当ざっくりした括りでどこの国、都市が掲載されていたのか創刊号を見てみたい。

 

その5年後、「アメリカ」編1984年をバイブルにニューヨーク~ロサンゼルスをグレイハウンドで横断旅行を試みた。初海外旅行、初ひとり旅だった。帰りはホノルルへ寄るというおまけつき(寄っても航空運賃が同額だったため)で、夏休み2カ月ほとんどを使った。格安航空券という言葉は出始めた頃だろうか。成田→ニューヨーク/ロサンゼルス→ホノルル→成田で198000円だったことを覚えている。当時最も安いものを選んだつもりだ。よって、大韓航空。もちろん直行便ではない。金は無いが時間はあった当時の正しい選択だ。世界地図を見れば、成田からは東に向けて飛んでいくはずだったが、格安便はまずソウルへ向かった。

そしてソウルで乗り換えのため数時間を過ごし、一路ニューヨーク!へ向かう前には当時アンカレッジ経由だった。日本を出る前、もうしばらく食べられないだろうと思って成田で蕎麦屋に寄ったが、アンカレッジ駐機中、出迎えてくれたのは「うどん」の暖簾だった。

 

「ググる」が存在しない当時、地球の歩き方はバックパッカーにとっておそらく唯一の情報源だった。都市や交通の紹介記事の合間を埋めるように、「旅した先輩」の体験談が載っている。どこの店が美味しかった、景色は最高だったというハナシからきわどい武勇伝的なものまでさまざまだ。「生の声」は貴重だったが、今思えばN=1の情報が全てというのは恐ろしくもあった。

 

当時あれほど盲目的に憧れたアメリカ。今グレイハウンドに乗れと言われても遠慮するが、「地球の歩き方 東京」の表紙を見て少し冒険したくなった。

2021年3月20日土曜日

似た曲探し② 日本のフォークとアメリカンポップス

古今東西、似た曲というのはあるものだ。

名曲と誉れの高い楽曲が、盗作疑惑があったというのは「天国への階段」が裁判沙汰にもなったことで分かる。ちなみにこれは盗作に当たらないという判決が下っている。

盗作? 似た曲探し 日本のフォークとアメリカンポップス

 

先日、「一家に一枚 The Nightfly / Donald Fagen」の際に購入したうちの一枚、「THE ROYAL SCAM」の二曲目、「THE CAVES OF ALTAMIRA」を聴いていたらまた思い浮かんでしまった。「風」というグループの三枚目のアルバム、Windless Blueの二曲目の「夜の国道」と酷似しているということに。

世界史の教科書でおなじみ


THE CAVES OF ALTAMIRA」(アルタミラ洞窟)といえば、それにピンとこなくても、世界史の教科書に出ていたあの赤茶けた洞窟壁画を覚えていることだろう。例によって、スティーリーダンのこの楽曲の歌詞の意味まで拾っていないのでどんなことが歌われているかはわからない。まさかアルタミラ洞窟へ向かうために「夜の国道」を走ったではなかろう。

 

そしてさらなる驚愕。

THE ROYAL SCAM」の三曲目「DON’T TAKE ME ALIVE」のイントロになったところで、これも風の「Windless Blue」の一曲目「ほおづえをつく女」のイントロにしか聞こえない。あれれ?

名盤のひとつに間違いない


これはもう確信犯ですな。盗作なんて言わない。「インスパイア」されたのだろう。共に1976年のアルバムと表記がある。当時一般にインターネットはもちろん存在していないので、今ほど情報入手の即時性は無い。ここはひとつ、先入観を捨てるとどちらがインスパイアされたのかもわからない。

 

ひとつ言えることは、風の三枚目のアルバムは、二枚目までのいわゆる「日本のフォーク」からいわゆる洋楽系にがらりと作風が変わっていることだ。

 

別にどっちがどうでもいいのだ。今言えるのは、現在この二枚のアルバム「THE ROYAL SCAM」「Windless Blue」どちらも心地よく聞けるということだ。

 


2021年3月17日水曜日

本日の、収穫。

用事があってオフィスに行った。勤め人であるのに、「用事があって」とはひどい表現だが、緊急事態宣言下の在宅勤務が続く中で、それほどオフィスは「遠い」ものになった。通勤がある時はあえて時差出勤をしていたが、今日はずっと以前に通常だった朝の時間帯に地下鉄に乗った。満員ぎゅうぎゅうではないにしろ、けっこうな混雑ぶりだ。


そんなオフィスで、休務から元気に戻ってきた同僚と少し話をすることができた。実に嬉しいハナシだ。月並みな表現だが、改めて彼女の繊細さを感じるとともに、やはり筆舌に尽くしがたい苦しみがあったことを知る。話を聞いていると、大いに共感する事もありながら、誰一人同じケースなどなく、ひとくくりには語れないものだということを改めて思い知る。自分のケースとも明らかに異なる。

 

医者でもなければカウンセラーでもないので、彼女の経験を聞いてアドバイスをすることなど愚の骨頂だ。ただ「自分はこういう状況だった」「そのときこう感じた」というN=1の体験、実感、経験をシェアするのが精いっぱいだ。それとて、何の役にも立つことはないだろう。それでいいのだ。

 

ずいぶん長く苦しかった(今も時折感じる)経験を何とか生かせないものかと思ったことはあるが、それは友人の忠告に従いすぐにやめた(カウンセラー?無理無理)。そんなに甘いものではない。医者もカウンセラーも、「相性」があるというのは悲しいかな現実だ。骨折治療や病気の手術にも相性はあるのだろうか。「いやー、今回の白内障手術、ちょっとウチだと治らなかったねー」なんていう医者はいるのだろうか。即訴えてやりたい気がする。

 

横浜で、メンタルクリニックに通っていた頃、医者は「いい感じ」だったが、薬を飲んでも一向に回復した感じがない時期が長かった。自分の「早く治りたい」という気持ちに対して、医者は「今より悪くしない」という治療方針だった。そのギャップはもっと早くに埋めておきたかった。

きょうの嬉しい「収穫」


人間は、一枚皮(皮膚)で被われているが、そのどこかが傷つけば気持ちも含めて体内の平衡は崩れ健康な状態が少なからず阻害される。たとえ傷つかなくとも、生まれながらに体の内に四百四病を持つ我々は実に危うい状態で難しいバランスを保ちながら生きているのだ。

 

同僚の笑顔に会えた、いい一日だった。

2021年3月15日月曜日

カナダに漂着したハーレーダビッドソンのハナシ

録画しておいた「世界にいいね!つぶやき英語」という、ツイッターで発信された内容を紹介する番組をみた。ここで、3/11Three eleven, March eleven)に関する投稿が取り上げられていた。

津波に流されカナダに着いた(イメージ)


東北のどこかの県から津波で流されたハーレーダビッドソンがカナダに漂着した。持ち主が特定され、その人は津波を逃れて生きていた。そのバイクをハーレーが無償でオーバーホールし、持ち主に返却するという提案があったそうだが、彼(彼女?)はそれを断ったということが紹介されていた。被災地で大変な思いをしている人が多い中、そのオファーを受けるわけにはいかないという判断をその人は下した。

 

二つの考えがあると思う。

一つはこの話の通りで、道楽で乗っていたバイクを直してもらっても被災地で乗るには忍びないというものだ。蕎麦屋や新聞配達でハーレーを使っているというハナシは聞いたことがないし、見たこともない。趣味道楽と考えるのが普通だ。自分一人が趣味のバイクを直してもらうのは肩身が狭いと感じたのだろう。

 

もう一つは、そのオーバーホールのオファーを受け、困難な中においてもバイクという趣味を失うことなく生き生きと活躍する道だ。普通の心の持ち主であればそんなオファーをしてくれたハーレー社を激賞することだろう。本人は心の張りを持って生活再建に取り組む。ハーレー社は間違いなく称賛される企業となるだろうし、ステークホルダーの「信頼」も大きく勝ちうるだろう。

 

自分なら間違いなく後者を選んでしまいそうだ。

だがそれは震度5弱の東京にいたからそういう判断になるのだ。もしこのハーレーの持ち主が家族を亡くし、原発事故の影響による帰宅困難地区に住んでいて、職を失い、失意のどん底にあればピカピカのハーレーが戻ったところで何の意味もない。

 

結局、当事者にならないと何もわからないのだ。同情することはできる。いつからはやり始めた日本語か、「寄り添う」ことはできる。だがその人の気持ちを理解することなど絶対にできない。土足で入り込むことなど許されないのだ。

 

バイクの持ち主が本当にまた乗りたいと思った時に、ハーレー社が応えてくれたらそれぞれの思いはどれほど大きく増幅することだろうか。

 

 

 

 

1丁目のバーガーキング

前回ハンバーガーを食べたのは、 2019 年 2 月、サンディエゴの Burger Lounge だ。滅多に食べないこと、そして滅多に行かないアメリカで食べたのでよく覚えている。彼の地に住む中学時代の同級生が連れていってくれた。アメリカーンな美味しいものだった。 最寄り駅にバーガ...