2020年10月25日日曜日

断線イヤホン

イヤホンが聞こえなくなった。

そんなに安物を買ったつもりもないし、二年経ってもいない。「ガリ」とも言わず左右聞こえなくなった。非常にアタマにくる。これほどシンプルなものだが保証は一年ついている。ついているが、一年と少し経つと壊れるように作るのもまた技術なのか。

やはり安物だったのか


全てが安っぽく見えてくる。これは年を取ったから昔のものは頑丈でよかったなどという懐古主義ではない。三十年前の家電だって壊れるものは壊れた。だが修理がきいた。さすがにイヤホンの修理をしたことはないが、四十年前、イヤホンごときが断線することはなかった。

 

覚えているなかで、例えばコンセントのプラグなどはよく直した覚えがある。ねじ回しで開けて線を確認、切れていればつなぐことができたからだ。今のプラグは樹脂で一体化されているのでそもそも分解はできない。(そういう意味では断線も滅多なことにはしない)

 

パソコンは今でこそ一人一台、複数台を駆使している人もいよう。だがいろいろな「不具合」は起こる。当初は数千円、いや数万円するようなソフトなどもパソコンとの「相性が悪い」という一言で片づけられていた。ハードの不具合はさらに目も当てられない。何台目かで、安さにひかれ、D社のパソコンを買ったがハードも、カスタマーセンターも何もかも、ことごとく期待を裏切られた。自分で言うのもなんだが、無理難題を要求したのではない。思い出すだけで今でも腹が立つ。

 

聞こえなくなったイヤホンだが、よく見ればメーカー名などどこにも書いていない。とんでもない安物だったのだろうか。

 

 

 

2020年10月22日木曜日

8020早くも脱落か

何と、歯にひびが入り、もう治療できないというのでそのを歯を抜いた。

親知らず以外で大人の歯を抜いた。

で、その後の選択肢は三つだという。①ブリッジ、②義歯、③インプラント。

それぞれのメリット、デメリットをまとめてある紙を見せられた。①はその左右の歯を削らねばならない。②は左右の歯にばねで負担がかかる。③はもう完全に外科手術。そこで、ギシにした。入れ歯だ。それは、完全に「老人のもの」だと思っていた。祖父母の家に厄介になっていた頃、じいちゃんもばあちゃんも入れ歯を外して掃除していた。

 

歯に関することでとにかく驚いたのは、子供は元来虫歯菌を持っていないということ。だから親がチューチューしなければ虫歯にはならないということだ。親(通常は親だろう)の唾液からとしか考えられない。衝撃的である。菌をもらってしまったばっかりに、虫歯になり、ギンギン削られ、被せものをし、そのうち神経を取ってしまい、ブリッジでしばらくしていたら、別の歯が割れ、ギシなる入れ歯をする羽目になり・・・。義歯と虫歯の関係はないかもしれないがいずれにせよ、スタートは持っていなかった虫歯菌を植え付けられたことに始まる。

Lets 8020HPより


ブリッジはすでに三か所、もうこれ以上健康な歯を削るわけにはいかない。そしてブリッジ。最も違和感なく、噛む力も歯と同じだが何と言っても大手術だ。これは避けたい。費用を賄えたとしてもだ。

 

いつから始まったか、8020運動なる啓発活動がある。80歳になっても20本以上自分の歯を保とうというものだ。 

https://www.8020zaidan.or.jp/what/ (Lets 8020HPより)

 

永久歯は人によって異なるが、親知らずが生えたり生えなかったり、抜いたりすることもあるため、28本から32本とのこと。

何ということだ、そのうちの貴重な一本を抜いてしまった。抜いた後の歯を見ると、確かに縦にひびがしっかりと入っていた。ちっとも永久ではない。弱っちい。

 

だが本日最も衝撃を受けたのは、抜いた歯の根っこのところが臭かったことだ。エナメル質にこびりついた積年の食いカスか、はたまた菌の臭いか。自分の体から出てきた初めての、そして滅多に機会のない初めてのニオイ。まあ受け入れるしかないだろう。

 

2020年10月19日月曜日

パンチェッタ? 豚バラの塩漬けだろ?

パンチェッタと言うとなんだかわからないが豚バラ肉の塩漬けといえば、なんだそうか、と分かる。

ストレス解消、コロナ禍の在宅余暇時間、美味いモノを食いたい、いい精肉店があるなど、いろいろな理由から作ってみることに。豚バラといえば、「煮込む」の一辺倒だったがたまたま見かけた動画が簡単そうだったので作らずにはおれず、早速バラ肉を購入。いつもの精肉店で「バラ1キロ」というと、肩ロースではないのに嫌な顔せずしっかり塊を切ってくれる。

パンチェッタなるものを改めてネットで検索してみると、塩をすり込んで冷蔵庫に入れておくという基本はわかったが、塩の分量、ラップするしない、密閉なのか、塩抜きのタイミング、キッチンペーパーだけでよいのかなどはかなりばらつきがある。ようは適宜加減をしろということだ。

6日目のパンチェッタもどき


結局、塩は肉重量の5%と、タイム、ローズマリーを少々。キッチンペーパーでくるんでタッパーに入れてみた。たいがいのネット情報の通り、3日間くらいは肉の水分が出るので毎日ペーパーを取り換える。その後は様子を見ながら1週間放ってみた。いや、厳密には6日目に我慢できず焼いてみた。

 

しょっぱくてたまらん!

これではいかに自家製であっても体に悪い。そう、3日経ったら塩抜きするという工程を忘れていたのだった。ところが、別のサイトでは調理する前に塩抜きすればよいというのを見つけ、そちらの方式にすることに。断面が1センチ角、長さ5センチほどの直方体に切ってじりじり炙ったところ出るわ出るわ、フライパンは脂の湖になってしまった。

 

これだけ脂を出し切ったのだからヘルシーだ、というあまり根拠のない自分への言い聞かせの甲斐あり、なんとも美味だ。もちろん塩気はきつい。だが販売されている加工食品よりはヘルシーだ、というこれまた何の根拠もない理由をひねり出してみる。結局自分が作った者はほぼ美味しいのだ。

 

塩漬けしているのだから、保存はきくはずだ。

1週間と1日。すでに半量になっている。

2020年10月18日日曜日

カセットテープの時代は再び来るのか

カセットテープ コンプリートブック

 

冷たい雨の土曜に図書館へ行き、予約しておいた本を受け取った。開館直後のため閲覧室には人影まばら、一方新聞目当ての人たちはしっかり陣取っている。本をかばんにしまい込み帰ろうとしたが、少し書棚の間を見て回った。「今日返却された本・借りられます」「今月の新刊」など利用を促す工夫がされているがたいがいは素通りする。

内容は古いのに新しい本


だが雑誌サイズの書籍に目が留まった。

カセットテープ コンプリートブック というタイトルで、ステレオ時代という雑誌の特別編集とある。発行は平成291214日なので古くはない。カセットについての雑誌なのに新しい本だということが、視覚的にも訴えるものがあった。本の背にはタイトルに加え、

あのころのカセットの全てがわかる一冊

とある。かなりの入魂だ。そして、「僕らの青春はカセットテープとともにあった!」とも。

 

音楽好きならお気に入りのレコードを買い、曲の長さを計算しながらテープを選んだりしたはずだ。ラジオ番組を録音したりもした。またドライブを想定し、風景や時刻も考えに考えてオムニバスを作ったりもした。

 

ひょっとして、お宝か?

本によれば、1964年フィリップ社が発表した「コンパクトカセット」がその始まりらしい。音声メモ的な用途だったものを音楽再生用途に進化させたのが日本の電機メーカーとテープメーカーの努力だったと書いてある。偉い!そういう努力。1993年以降はミニディスクにとって代わられていく。

とにかく年代ごとのカセット写真にいちいち頷く。TDK、マクセル、ソニー、デンオン、BASFなんてのもあった。雑誌の後半には歴代ウォークマンがびっしり並んでいる。

 

そういえば、1990年、北京で飾りっ気のない「SONY」のテープを買って、北京語言学院での授業を録音し復習などしていた。すいぶんと安値だったが音声メモ用途としては十分役割を果たした。テープのことを、中国語では「磁」と呼ぶが、カセットやコンパクトの部分はわからない。磁気を帯びたテープだから「磁」。まあ納得だ。

ある意味、こっちもお宝か?


カセットを駆逐したミニディスクは短命に終わり、音質は半永久的と言われたCD(コンパクトディスク)ももはやその役割はほぼ終えている。多少の懐古趣味などで一時的に盛り上がることはあっても、「あの頃」には戻らない。

2020年10月11日日曜日

【書籍】死の教科書 五木寛之著 宝島社新書

 さすがにおどろおどろしいタイトルをつけ過ぎて反省したのか、サブタイトルに

~心が晴れる48のヒント~

とある。売らんがための強烈なインパクトを与えるためか。五木寛之サンの本らしからぬタイトルだが、サブのような書は世にあふれていて、誰も手には取らないだろうとも思う。

 

タイトル怖い

1998年(平成10)年から2011年(平成23年)まで連続で3万人を超えていた自殺者は、減少傾向にあるものの、2019年(令和元年)でも2万人を超えている。

https://www.npa.go.jp/safetylife/seianki/jisatsu/R02/R01_jisatuno_joukyou.pdf

警視庁 自殺者数の年次推移

 

自殺を考えないまでも、絶望の淵にある時、「救い」を求める気持ちになるのは自然なことだともう。しかしながら、いくら神頼みしたところで宗教にはその状況をたちどころに直してくれる効能はない。

 

「聖書の中にはイエスキリストが病めるものを治したり盲人の目を見えるようにしたり立てないものを立たせたりという奇跡の場面が数多く描かれている。日本で古来より宗教と呼ばれているもの、すなわち神道や神社などは、国家安寧や五穀豊穣、病気平癒や商売繁盛の御利益を求めて祈願する対象でした。しかし、宗教には本来、そうした現世利益の効能はありませんし、人生の苦しみを軽減したり、取り除いてくれたりすることもありません。どれほど深い信仰を得ようと苦悩は尽きません。老いや病、死の影は、私たちに迫りくるのです。では、宗教や信仰にはどんな役割があるのか。それは、人生の不条理、生きることの不安や苦しみに直面したとき、それを抱えながらも何とか進み続けるエネルギーを人に与えてくれることではないでしょうか」(死の教科書、五木寛之著宝島社新書より)

 

やはりどのような苦難、状況にあっても自ら模索し動きだし、これに対峙する以外にはないのだということがわかる。宗教はそのためのエネルギーを与えてくれる。それならその役割は理解できる。

寺へ行っても、神社へ行っても、そして教会に行っても(あまり機会はないが)頼み込んでしまう自分はエネルギーに満ち溢れていそうだが、果たしてパワーは足りていない。

どうやらチャンポンでは効き目はなさそうだ。

 

2020年10月9日金曜日

オーブン調理のバラ肉で「コピリンコ」

テレビで見た通りに作ってみただけなのだが、あまりの出来の良さに、自分は天才だと改めて思う。すりこむ塩の量は肉の重量の5%だというのでやってみたら塩辛かった。3%で十分だ。この塩梅が難しいが一度味を確かめればもう大丈夫。つまみのレパートリーがまた増えた。

使いでのあるガスオーブン


肉屋にもだいぶ投資をして、素材を引き出せるなどと勝手に思っていたら、昨日作ったカレーの肉は残念なことをしてしまった。100800円もしたのに、硬くなってしまった。

東京農業大学名誉教授の小泉武夫サンの日経夕刊コラムがもう20年も続いているとは知らなかった。その独特の味覚表現から、読んだものを次々作ったり、食したりしてみたくなるから不思議な力のある文だ。我が家には「食魔亭」なる厨房はないが、真似事で作ったつまみで、「コピリンコ」は毎日のことだ。これは小泉サンが酒類を味わうナイスなフレーズだ。

https://www.nikkei.com/article/DGKKZO64539980S0A001C2KNTP00/

105日 日経夕刊 クルマエビの香草焼き 弾む歯応え、至福の風味

 

そう、バラ肉はブロックのまま塩をすりこんでラップでくるんで冷蔵庫で1時間以上置く。好みでローズマリーやタイムなどをパラパラ振りかけて180度のオーブンで70分、以上。あまりにシンプルでいい。

 

もう一つの塊肉レシピは、肩ロースのロースト。こちらも塩をすりこんだら塊の底面に切り込みを数か所入れてにんにくを差し込む。寸胴にオリーブオイルを入れて焼き目をつけたらローリエを数枚のせて蓋をしてそのままオーブンへ。140度で3時間。これなんぞ、ブイヨンもばっちりとれるので、スープによし、炒め物によし、重宝する。

 

ちなみにバラ肉は脂も多いが、オーブンで長時間料理するため、家人は「脂は完全に落ちている」という厳しい言い訳をしながらしっかり食べている。

 

いずれも作ると決めたら1キロ買うのでまつ蔵精肉店のご店主は「今日はバラか肩ロースどっちだろう」という顔をしてくるが、そう毎回1キロ食らっていては体に悪い。

「惣菜用の切り落とし200

と言うと、別に意地悪をしているわけではないのに、ちょっとがっかりしたような表情になるのがオモシロイ。


魚でも「行きつけ」を探したいと思っているが、さばき方をマスターしてからか。

2020年10月1日木曜日

安堵する無責任なアドバイス

月が変わったからではないがオフィスへ向かった。電車もそこそこの混雑だった。

オフィス需要が減少する真っただ中、改装されたピカピカのフロアで仕事をする。在宅勤務時には「通勤時間も悪いもんじゃなかった」などと懐古し、出勤すればしたで、「電車も階段もやっぱり疲れる」などと言いたい放題。気楽なものだ。

人の少ないスカスカオフィスで気力なく仕事をしていると、長年のつきあいである友人Uから電話がかかってきた。異動願いを出したらしい。この年で果たして聞き入れられるものかは定かでないが、子会社から本社を目指し、60歳以降の働き方も視野に入れた作戦は実に周到だ。電話ではやる気がなさそうだったが環境を整えるという努力は惜しまないようだ。

アドバイス


それを聞いたからといって、こちらが奮闘するはずもなく、気の置けないUだからこそ、自分があらゆるコミュニケーションを避け、最小限にしているという本音も言える。コミュニケーション部門にいるのにそれができない自分には、もう存在価値は無いのだ。50歳を過ぎれば人にこっぴどく怒られることもない代わりに、褒められることも全くない。ただただ、ひとりで落ち込んだり、気を取り直したりするだけだ。

 

そんなウツな自分をUは励ましてくれる。

励ましといっても、がんばれとか、これを実行すべしなどとは、ひとことも言わない。こちらが怠けていると言えば

 

いいんじゃない

それでいいと思う

 

という誠に無責任なアドバイスをくれる。そしてそれにひどく安堵するのだ。

 

Uが困っているだろうと思われるときには自分もそんなようなことを返す。世間ではこれを傷のなめ合いともいうかもしれない。今日も20分ほど話したが、会話のあとが心地よかった。

嫌な部署にまだあと数年いるのは耐えられないといえば、これまで過ごした嫌な時間と、退職までの時間を比べ、後者が圧倒的に短いことから、「もうすぐじゃん」と言ってくれる。

 

まあ、それはそうなんですけど。

 

1丁目のバーガーキング

前回ハンバーガーを食べたのは、 2019 年 2 月、サンディエゴの Burger Lounge だ。滅多に食べないこと、そして滅多に行かないアメリカで食べたのでよく覚えている。彼の地に住む中学時代の同級生が連れていってくれた。アメリカーンな美味しいものだった。 最寄り駅にバーガ...