2021年4月29日木曜日

インスパイアという名のパクリ 似た曲探し③

「カヴァレリア・ルスティカーナ」の旋律があまりに美しいということから始まった。(美しい旋律に抱かれるとき

クラシック音楽を聴く頻度は高くなく、したがって持っているCDもごく限られている。そこで、この曲のyoutubeのコメント欄を見ていたら、やはり美しい曲として、ラフマニノフ交響曲第2番第3楽章が紹介されていた。コメント書いてくれた人、ありがとう。激しく心地よい。やはりあるんだね、こういう曲が。ラフマニノフといえば、ピアノ協奏曲第2番。これ一辺倒だった。

オーケストラの響きが美しい


昔から俺の耳はいい。またしても「インスパイア」という名のパクリが浮かんだ。エリックカルメンだ。1976年、「恋にノータッチ」という邦題の「Never Gonna Fall in Love Again」。これとラフマニノフの交響曲第2番第3楽章の冒頭。あれあれ? のっけからだった。150秒あたりも限りなく・・・。これは疑惑どころではない。

https://www.youtube.com/watch?v=Y646Aw8Jf7U

エリックカルメン・Never Gonna Fall in Love Again(恋にノータッチ)

こちらの40秒あたり

 

https://www.youtube.com/watch?v=JVcAqmyMyfU

ラフマニノフ 交響曲第2番 第3楽章

こちらの冒頭

 

初演は1908年というからクラシック(古典)というよりグッと今に近い。イージーリスニング(死語)に近い気もする。エリックカルメンはこれを見逃さなかったということだな。「恋に・・・」は1976年に全米11位まで行ったので日本でもかかる機会が多かった。深夜放送で聞いたのを覚えている。

 

そう、ここで調べてみたら「やっぱり」だった。彼は他にもラフマニノフのピアノ協奏曲第2番に「インスパイア」されていた。むしろこちらの方が疑惑は濃いようで、wikiにもしっかり書いてあった。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%A1%E3%83%B3

 

マスカーニ「カヴァレリア・ルスティカーナ」より間奏曲に端を発し、エリックカルメンに自分の耳でたどり着いた、というハナシでした。

2021年4月23日金曜日

【書籍】八犬伝 山田風太郎傑作選江戸編 河出文庫

滝沢馬琴の南総里見八犬伝。

文字の浮かび上がる不思議な珠と、牡丹の花弁に似たあざを持つ八人の剣士たち。これに作者滝沢馬琴と家族や北斎などを交えた物語をそれぞれ「虚の世界」「実の世界」として描き、終章で虚と実が冥合する展開に。実の世界が不条理に満ちているからこそ、虚の世界では正義が悪を駆逐しなければならないと考えた(とされる)滝沢馬琴と山田風太郎の確かに傑作と言える。

人形劇が印象深い


八犬伝は何と言っても、NHK「連続人形劇 新八犬伝」が印象的で音楽も耳に残っている。

坂本九の語り、辻村ジュサブローという名もその表記の珍しさから記憶に残った。1973(昭和48)年4月からの放送というから小学4年生だった。テーマソングにも「仁義礼智忠信孝悌」と歌われたのですぐに覚えた。何と言っても自分の名前の一文字が入っていたこともこの番組を見続ける決定的な要因だった。

孝:犬塚信乃

義:犬川荘助(額蔵)

忠:犬山道節

信:犬飼現八

悌:犬田小文吾

礼:犬村大角

智:犬坂毛野

仁:犬江親兵衛

 

物語そのものは奇想天外、忠義、仇討ちといった人間ドラマにとどまらず、動物や妖怪、超常現象が頻繁に登場し、飽きさせない。名刀「村雨」なんていう名前もカッコよかった。全員犬の字がつく名前を考えるのも大変だったろうが、あまり不自然な感じはしない。

 

これら八剣士(八犬士)は携える珠の文字が異なるが、それぞれ出自もキャラクターも異なり「多様性を持った最強タスクフォース」ともいえる。1814年から28年間にわたり執筆されたという大作。江戸時代にすでにダイバーシティは必要とされていたわけだ。しかも、犬塚信乃、犬坂毛野に至っては女装されて育ったというから、「LGBT」視点もあったのかもしれない。

 

それは読みすぎか。

 

 

2021年4月18日日曜日

健康診断という不健康な診断

年に1度、健康診断を受ける。会社の規定となっていて、業務時間にカウントされるし交通費もでる。明日はそれに午後休みをくっつけて、のんびりしようという算段だ。

 

バリウム検査を胃カメラに替えて久しいが物理的な苦痛はそう変わらない。バリウムは、あの白いのっぺりした液体を飲む苦痛、胃カメラはマウスピースをしながらあの管を挿入され、「おえっちょ」となる苦痛、どちらも虐待に等しい。

こんな甘いもんじゃない


この二者択一で胃カメラを選ぶようになったのは、検査後の飲食の制限がないことだ。ビールもすぐに飲める。(飲まないが)

 

知人が「情けないハナシ」として教えてくれたのは、胃カメラの最中に苦しみのあまり、背中をさすってくれたベテラン看護士の、なぜか手を握り締めてしまったという一件だった。冷静な彼がそこまでの状況に陥るとは、恐るべし、胃カメラ。

 

翻って、一昨年の自分の胃カメラ検査。リクエストはしていないが背中をさすってもらった看護士の目元は完全に浅尾美和サンだった。マスク着用だったのが余計にそう思わせたのかもしれない。初めて「行く気」になって同じ医療機関で臨んだ昨年はしかしながら、彼女はいなかった。

 

健康診断は肉体的な難行苦行だが、心理的にもよろしくない。

年を重ねるにつれ、不具合箇所はいやでも増えてくる。その数値を検査間際になって少しでも良くしようと無駄なことをする。急にそば茶を飲み始めるとか、突然運動をしてみるとか、いつもの酒を少し控えるとか。小手先で変わる数値はほとんどないらしい。言うではないか。「ありのまま自分」「本当の自分」と。本当の自分を探す旅に出る人までいるというからオソロシイ。探さなくてもそこにいるじゃないか。

 

ということで、健診前夜にいつも通りビールスタートで白ワインをいただき、ごちそうさま、という宴で明日に挑む。これでいいのだ。

 

2021年4月11日日曜日

マスカーニ「カヴァレリア・ルスティカーナ」より間奏曲

作曲家のことも、楽曲のことも、何も知らないが、外付けハードディスクにいつしか保存されていた、たった3分のこの曲があまりにまとわりつく。はねのけようとも思わないし、むしろその甘美な旋律の奈落の底に飛び込む。

オーケストラ演奏は美しすぎる


ちょいと調べると、ゴッドファーザーパートⅢのラストシーンで使われているようだ。こちらも、ゴッドファーザーは知っているがパートⅢと言われても覚えはない。少なくともこの曲が使われていたことは。

 

好きな曲の要素は何だろう。

旋律の好み、リズムの強弱や種類、歌詞の世界、レコード・CDジャケットの色彩や構図、聞いた時期・年代、演奏したことがある、弾きやすい、コンサートを見に行った、好きな人が好きだった、強烈な思い出や印象とともにある、など動機は様々だ。

 

ハードディスクに入っていた曲をランダム再生によって見つけたという、ひょんなことから出会った曲だが、没入するという意味でかなり上位に来る。

Bill Evans TrioConsecrationの一曲目、You And The Night And The MusicPat Metheny GroupPhase Danceなどは今も「聞くぞ」という態勢に入ってから聞かないと失礼な気がする。他の曲もそうなのだろうけれど。

 

作曲家や演奏家はそれぞれ、編み出した曲、実演する自身に酔うのだろうが、鑑賞者は浸るしかない。そうか、浸るというのは没入か。絶対値は同じかもしれない。そう考えると、懸命に聞くという行為はまさしく「鑑賞家」ともいえるかもしれない。

鑑賞する時の絶対値は同じ?


まあどうでもいい。ビルエバンスの切ない演奏も、KISSのデトロイトロックシティも、自分の中の鑑賞力の絶対値は等しい。

いやいや、「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲の美しさについて熱弁しなければいけなかったのだが。

2021年4月6日火曜日

イボとタコとウオノメと

右手にだけ、イボができる。放っておいても何のことはないが、大きくなってくると気になる。痛くも痒くもないが、違和感は大きい。そこで、ある程度育ってから皮膚科に行くことにしている。中高年はただでも煙たがられるが、本質(人間性とか言動とか)と関係ないところで気持ち悪く思われる要素は可能であれば取り除いておきたい。

https://nshc.com/disease/disease-wart/

いぼ、うおのめ、たこの違い

液体窒素はこんな容器に入っていた


もう慣れっこではあるが、マイナス196度の液体窒素をイボに押し当て火傷(凍傷)をさせるという治療法に耐えるのはマゾの極みでもある。痛い。だが治すためにはしかたがない。お銚子の胴体が異様に発達したような容器に入った液状の武器を、医師はステンレス製保温水筒のようなものに移し替える。ドライアイスのような煙が湧きたっている。そして長い綿棒のようなものに浸し、イボに「じゅっ」と押し当てるのだ。根性焼きであり、イジメであり、虐待でもある。

 

こんな痛い思いをしてなお、「なかなか治らないのが欠点ですが」と、上記URLの皮膚科でも白状している。事実、今日訪れた皮膚科ではカルテを見た医師が待ってました、とばかりに「昨年6月以来ですね。ちゃんと私が終息宣言を出すまで来てください」と獲物を捕まえたような口調で言う。強制火傷のあとのカサブタが剥がれた後に、誰が金を払って行くものか。

あってもいいが、無いにこしたことはない


中学の同級生で整形外科医になった友人がいる。自分が一時期「病気探し」(少し調子が悪くなったらすぐに医者へ行っていた)をしていた頃、彼は、日常生活に支障をきたす症状があったら受診すべし、と説いてくれた。今は本当にそうだと思う。わざわざ自分から行く必要はないのだ。人間は生まれ持った「四百四病」を体に内在している。それらとバランスをとって「うまくやる」しかないのだ。そう、人間は常にあやういバランスの上に成り立っている。

 

これは体だけでなく精神においても言える。むしろ体を制するのは精神、すなわち気の持ちようで、いかに安定させるかは最も基本的なことであると同時に難しくもある。

 

結局、イボが忘れた頃に出てくる原因はとんとワカラナイが、ときたま出てくることによって、こうした深い洞察(?)に行きつくことができるのだ。

 

マイナス200度で焼かれる痛みは何としても避けたいのだが。

2021年4月4日日曜日

カメコとカメオの7日間

歓喜に沸くカメオ

子供が小さいころからいるので、確実に20年は経っているが2匹のミドリガメがいる。ミドリガメというと縁日で売っている可愛らしい姿を思い浮かべるかもしれないが、「ミシシッピアカミミガメ」という、今や規制される奴らだ。全国の世帯における飼育数は約110万世帯で約180万匹と推定(2013年度)されている。

https://www.env.go.jp/nature/intro/2outline/attention/akamimi.html

環境省:日本の外来種対策より

 

このHPによれば、2015年3月に環境省及び農林水産省が作成した「生態系被害防止外来種リスト」において、「緊急対策外来種」に位置づけられたと書いてある。水草に被害が出たり、クサガメなど従来からの生態系に影響を及ぼしている。

 

いまやそんな厄介者になったミドリガメが2匹、春になってやっと餌を食べ始める時期になった。活発に動き出す姿は元気でいいといえば良いのだが、こうなると週1回の水換えでは足りないほど濁り、サボると悪臭を放つまでになる。これをもう、20年もやっているということか。

 

当初は4匹いた。鶴は千年亀は万年などとおめでたい例えになっているが、1匹は幼体のうちに、もう1匹は2年くらい前に溺死体(?)を発見した。不器用な奴らだった。そうして残った2匹をカメコとカメオと名付けた。たくましく生き抜いている。特段甲羅が美しいわけでもなく、犬猫のようなしぐさもない。実際オスだかメスだかわからない。「見分け方」のHPがあったのでその方法は分かったが、見分けたいとは思わない。

 

温かくなったのでカメコとカメオはよく戯れている。たいがいは、カメオがカメコにアイアンクローをかましている。餌もほとんどカメオが食い尽くしてしまう。カメコの口の前に餌を落としてもカメオにとられる。これでカメコが餓死すればそれはそれで仕方がない。

 

愛情のかけらもない、と思うかもしれないが、否。今年は奮発して亀用のプールを買った。今のたらいではあまりに不憫に見えたからだ。ひょっとしたらたらいが小さくてメンタルをやられたのかもしれない。

 

カメオに「もうすぐプールだぞ」と伝えたら、歓喜にわいていた。


Turtle375に亀動画あり

1丁目のバーガーキング

前回ハンバーガーを食べたのは、 2019 年 2 月、サンディエゴの Burger Lounge だ。滅多に食べないこと、そして滅多に行かないアメリカで食べたのでよく覚えている。彼の地に住む中学時代の同級生が連れていってくれた。アメリカーンな美味しいものだった。 最寄り駅にバーガ...