2020年7月30日木曜日

海が青い本当の理由

海は何色(74日)を書いたのち、25日の夕刊に「どうして海は青いの?」と言う記事を見つけた。海の色が決まる四つの条件が明快に記してある。

水には光を吸収(きゅうしゅう)する性質があり、海面からさしこんだ太陽の光は、青い光が一番深くまで届く。
     海の中を漂う物の影響。植物プランクトンや動物プランクトンという目に見えないくらい小さな生物のほか、魚などの生物の死がいなどが光を反射や吸収して色が変わる。
     海底の色。水深があまり深くない場所では太陽の光は海底まで届いて反射する。だから、海底が何色なのかによっても、見え方は変わる。
     青い空が海面に反射すること。水面にうつる空の色も、海の色の見え方を変えている。
725日 日本経済新聞夕刊 「どうして海は青いの?」親子スクールより 


こうはいかない

高校生の時に毎日見ていた相模湾の色も、この四つの条件で日々異なる表情を見せていたに違いないが、招かれざるプラごみやタンカー座礁によるオイル流失など「不自然」な要素が全世界の海に流れ込んでいる。日焼け止めの油分、水分なども自然とは言い難い人間の皮膚を守るという働きと、どう斟酌するか。

海で思い出すのは、人のヨットに定員オーバーで乗り込んだら浸水し、助けが来るまで三名、深い沖で浮きにつかまりながら待っていた時のことだ。泳ぎには自信があったがとにかく水が冷たい。真夏なのだがひざ下くらいからの海水が異様に冷たく、あやうくつりそうになった。泳げる人でもこうして力尽き、命を落とすのだろうとその時真剣に思った。

もうひとつは、ウインドサーフィンを教えてもらい、バンバン進めるようになって沖まで行ったのは良かったが、ターンの仕方を教わる前だったので岸に戻れなくなった。困り果て、仕方なくセールを倒して引っ張りながら横泳ぎで戻った。これも体力の限界に近いパワーを必要とする泳ぎだった。
三十年前の湘南とはいえ、沖は実に澄んでいたのを覚えている。

清い川の水も、濁った流れも等しく受け入れる海は、いつまで「青く」いられるのだろう。

2020年7月29日水曜日

三和大神の憂鬱


「三和ゴッド」とそのドキュメンタリーでは呼んでいた。

中国大陸の南端、広東省深圳市で日雇い労働を繰り返す人たちをそう呼ぶという。香港駐在時代に初めて行った深圳は九龍駅から一時間足らず。香港から行けば突如「中国」に入境するのだが、中国大陸を北京から南下していけば、明らかな「発展都市」だ。1991年頃にはマクドナルド一号店ができていたはずだ。(深圳なのに会計は香港ドルのレジのほうが多かった)

深圳は香港からすぐ

日雇いというと日本では中高年のイメージだが、ゴッドたちは若い。20代、30代。1日働いて稼いだ金で3日暮らす。食事も屋台で最小限で済ませ、ネットゲームなどに興じている。田舎から出稼ぎにやってきて一旦職には就くものの、仕事がきつかったり、なじめなかったりと理由は様々だ。
経済成長著しい都市におけるひずみと言ってしまえばそれまでだが、希望の持てない彼らに、「ちゃんと働けよ」などと言うつもりはない。

もし自分が中国農村部に生まれ、職もなければ、やはり大都市へ行っただろう。成功して金持ちとはいわないまでも、工人になれたかもしれない。だがゴッドになっていたかもしれない。それは本人の気力の問題か、教育問題か、都市・農村戸籍問題か、まだまだ経営者の思想の問題なのか。もう一日、そしてさらに一日働けば食事ももう少し食べたいものが食べられるだろうに。

その立場にいない人は彼らを不憫に思うかもしれない一方、存外本人たちは気にしていないかもしれない。向上心とか、勤勉とか、もっと明日を考えるとか、もっと稼いでいい暮らしをしようとか、「そんなこと」はどうでもいい、今が自分の生活だと思えれば爆発的な不満にはならないともいえる。

だがやはり自分の経験と価値観から見れば、不健康に見える。ゴッドたちの心中まで読みこむことはできない。

2020年7月25日土曜日

奨学金返還完了通知


高校、大学に通っている間、日本育英会(現日本学生支援機構)から奨学金を得ていた。実にありがたい無利子のものだった。それぞれ月7000円と27000円だったと記憶している。家で整理をしていたら、返還の最終振込用紙が出てきた。「最終分1999/6」と書いてあった。大学で借りていた分だと思う。

最後の振込用紙

借りた金は返すのが当たり前なのだが、就職後12年かけて1296000円を返したようだ。社会人スタートは借金返済から始まったわけだ。会社に入って先輩と毎日のように飲みに行っていたので金は残らず若い時は貯金ゼロ。1990年に研修生として北京へ行った時にもらった給料でやっと貯金ができ始めた。中国の当時の物価は安かったし、そもそも使い道がなかった。

ホッとした奨学金返還完了通知

最終分を払い終え、しばらく経ってから来たのが「奨学金返還完了通知」だった。年に10数万、月にすれば1万円を返す見当だが若い時の1万円は重い。カイシャ員となったことで月給にありつけたのは幸いだ。いろいろな要因で返せない者も多いと聞く。無利子で、しかも遅滞なく返還していれば、借りた総額から返済額を若干減額してもらえたという好条件だった。

完了通知を見てものすごく安堵したことを覚えている。

2020年7月24日金曜日

興奮する宅急便追跡アプリ


通販で物を買うことはほとんどない。宅急便で荷物を送ることも年に三回もない。幸い近所に一通りの買い物ができるところもあるし、小さな子供の育児中で外出もままならないというわけでもない。難しいモノを買うわけでもないし急いでいればむしろ買いに行く。

ちょっとカッコつけ過ぎかもしれないが、自分で買いに行けるモノを運んでもらうことがドライバーの労働環境を圧迫し、トラック排気が増えることにつながる気がしている。そもそも自身が買うものは見て買いたいという根本的な欲求もある(古い人間なのだ)。運ぶ荷物の多さゆえドライバーがストレスのため、荷物を放り投げていた映像は記憶に新しい。

だがしかし。
修理を依頼したパソコンが名古屋から東京に戻ってくる状況を、追跡アプリが知らせてくれる。その時々刻々の「生中継」にはちょっとした感動を覚えた。そのパソコンを早く手元に欲しいという心理を安心させてくれるからだ。

時々刻々と中継される

名古屋のパソコン修理の会社から、「明日、発送します。伝票番号は・・・」というメッセージがまず届いた。そしてそこに記されていた翌日伝票番号を入力すると出荷日が示され、予定通り集荷されたことがわかる。名古屋から自宅までの経路は

修理会社→港営業所→中京中継センター→関東中継センター→●●営業所(最寄り)

となっている。それぞれの場所についた時刻も表示されている。集荷された日の午後710分に中京に、翌日午前551分に関東の中継センターとある。

果たして中継点到着の詳細な時刻情報まで必要なのだろうか。そう思いつつも、「待っている荷物」だからということもあり、その細かな「実況中継」に感激し、ワクワクしながらも安心して待てる。雨降ってるけど気を付けて来てくださいね、と言う気持ちにさえなる。

例えば自分が荷物を送るとき「明後日までに届いてくれればそれでいい」くらいに、今でも思っている。だがいつからか、着荷日付はもちろん、午前午後、そして時間帯まで指定できるようになった。それでも再配達は多く、ドライバーの負担は増えていた。
このアプリというか、荷物の経路を把握する物流のすごさは誤配送を減らし、何かあった際には記録として追跡できる。デジタルの進化が荷物を託す者と扱う会社双方を便利にした事例だ。

ちなみに通販会社へ登録した私の住所欄には、「基本宅配ポスト」と記して以降、再配達はゼロとなっている。

2020年7月23日木曜日

五年前の「新常態」


以下の記事は、コロナ禍で在宅勤務が半ば強制的にスタートしたのち、「もうこれまでのような働き方に戻ることはない」と高らかに宣言する経営者たちの声を記したものだ。

 
こういうわけにはいかない
202076日時事通信
コロナ禍を踏まえ、富士通は「感染抑止後も以前の形に戻ることはない」(時田隆仁社長)として、場所や時間にとらわれない働き方を実践。時田氏ら役員、管理職もテレワークが基本といい、最先端のデジタル技術を活用し、「新常態」の働き方やビジネス革新を支える事業をアピールする狙いもある。

この手の記事はまさに万とある。自分の所属する会社も同じだ。以前からテレワークを制度として持っていたところはここぞとばかりに「前からテレワークを推進しており、対象社員は増えたがスムーズに実施できている」と胸を張る。

形だけ制度はあったものの、実際には実施していなかったところも、「実施してみて業務上何ら障害はないことが分かった」と強がりを言う。

本気でテレワーク、すなわちどこで働いていても結果を出し、これを評価するというやり方は、日本の大企業や古い会社にはまだなじんでいない。終身雇用、年功序列、残業という概念があったらもう無理だ。

目指すべきは「ジョブ型」と呼ぶ。
722日 日本経済新聞 導入相次ぐ「ジョブ型」雇用、成功の条件とは

職務内容を明快に記したジョブディスクリプション(職務記述書)に沿い、それに適任と判断した人材を起用、賃金は仕事の難易度や専門性に応じて決めるというものだ。時間評価ではなく、成果評価。欧米では当たり前とされている。だが、誰が適任と判断し、成果は本人も納得の評価がなされるのか。

良い意味で本当の変革の時期にあるのだ、と思いたい。これまで日本企業は、大学や学部にほとんど関係なく会社に入って「ゼネラリスト」を養成していた。三十年以上しみついた自分にはあと三年生き残れるかどうかという瀬戸際だ。

ほとんどの記事の論調は、コロナ前の働き方に戻ることはなく、戻ることは罪のようでさえある。経営者のパフォーマンスにも見えるし、みんなが言っているから、という日本特有の同調圧力のようでもある。

ちなみに「新常態」は、中国の経済政策運営の基本方針を表す表現として2015年頃から定着し、とっくに「新常態」化している。(もちろんコロナとは関係ない)

2015422日 キャノングローバル戦略研究所
中国の「新常態:ニューノーマル」の本質は何か 習近平政権が目指す2つのアブノーマルからの脱却

2020年7月18日土曜日

嫉妬するデジタルデバイス


4年間の201619日、10日、11日。
3日間を費やし、格安スマホを家族分購入した。番号を持っての大手からの乗り換え、書類の不備もあり有楽町まで3日間通った。だがそれまでのガラケーが月に3000円以上だったことを考えるとスマホで月1800円程度というのはまさに格安だった。子供たちは一足先にスマホだったが毎月8000円程度はしていた。これは論外だ。

2020715日。軽い風邪にでもかかったように、「微熱」を出したり、画面が暗くなったり、突然消えてみたりと、4年前の格安スマホがかまってもらいたいという信号を発していた。折しも給付金にはまだ手を付けていない。表面ガラスもだいぶ傷が目立つようになってきていた。機種変更の広告を見始めると、「微熱」から「高熱」を出すようになり、重症化の一途をたどった。
 
新しい携帯を探し始めると、旧機はすねた

楽天では諸条件はありながら、アンリミットというプランで2980円、しかも一年無料と攻めてきた。不安な電波についても23区内に住んでいればほぼ問題はなさそうだ。だがヘビーユーザーではない自分にとって目先の無料だけで決めてはならない。ここは考えどころだ。

これまでが安すぎたのだ。そう自分に言い聞かせ、近所のショップで実機を見てみることに。コロナ対策もあり、訪店には予約が必要だ。行ってみると客は誰もいない。予約制が奏功しているのか、純粋に客がいないのか。それはこちらが心配することではない。

さて早速話を聞いてみると、驚いたことに店員はイチオシのアンリミットを勧めてこない。それどころか、「回線が安定するまで(楽天が借り受けている)ドコモのほうがいいですよ」とまで言う。アンリミットに入る気満々で機種を二つにまで絞り込んで臨んだのに完全な肩透かしを食らった。
家に戻り、現在の格安のまま機種変更することにした。そこそこの機種に目星をつけ、3台購入。3日ほどでシム交換まで無事終了した。

寿命と割り切るにはまだ早い4年半を迎えた3台はすでに青息吐息。当然のことながら、新品と比べると何とも満身創痍だ。新しい携帯を検討し始めるとなぜ急激に機器の調子が悪くなるのかは不明なままだが、明らかに嫉妬する「感情」が働いているとしか思えない。


2020年7月13日月曜日

ギャンブルは健全か


JR錦糸町駅をIR錦糸町駅と書いた新聞の誤字を見つけた「密かな楽しみ」で思い出したのがホントのギャンブル。ところ変われば合法なだけに、同じことをしているのになぜ一方で逮捕されてしまうのか、釈然としないなどと言うのは言い訳を探しているに過ぎない。

とはいえ、香港駐在時代にマカオはあまりに身近だったこともあり、高速船でちょうど一時間の「合法地帯」はちょっとした息抜きになった。入れ込んで身を亡ぼすほど元手はないし、幸いにも「そこそこ」で撤退する分別は持っていた。そのため、トータルではもちろん負けているが、往復の船代と夕食代くらいは何とかなった。
 
マカオフェリーでカジノへGO

カジノと言えばラスベガスがダントツだと思っていた。だがマカオがその座を奪ったのは2006年。カジノ王スタンレー・ホーが独占経営していたが、2001年から外資開放もありそれまで停滞ムードだったマカオも息を吹き返した。カッコいいおじさんだったな。ホー氏。
AFPBBニュース マカオ、ラスベガスを抜いて世界最大のカジノに 200744

シンプルゆえに盛り上がる「大小」

カジノはどこも競うように「ギンギラギン」だ。残念ながらマカオ以外のカジノには行ったことはない。ドレスコードがしっかりしているところもあると聞く。だがマカオは緩すぎる。そこがいい。お兄さんもおばちゃんもTシャツにサンダルだ。初めて入った時には呆気にとられた。ジャケットを想像していた自分がアホらしい。

一番人気は派手なバカラや赤黒ルーレットではなく、大小と呼ばれるサイコロゲームだ。3つの賽の目の合計が10以下なら「小」、11以上なら「大」と言う極めてシンプルなもの。もちろん盤目の通り、賭け方にはバリエーションがある。例えば10が出ればそこにランプが灯る。瞬時に歓声が沸き、嘆息が漏れる。

これが、地元おばちゃんの格好の小遣い稼ぎゲームになっていて、台の周りにびっしりと張り付いている。おばちゃんの間から手を伸ばしてカジノチップを置くのには苦労した。ディーラー(大小もディーラーと呼ぶのだろうか)の素早いさばきが心地よいが、当たった時は暗算で概算を把握しないと、騙されないかと不安になる。

本来ディーラーに対するチップは、満額払い戻された後で「心付け」を出すが、マカオの「おばちゃん大小」を仕切るディーラーはチップを勝手に差し引いて戻してくる。このあたりは「マカオルール」なのだろう。こっちは出てきたチップを受け取るのが精いっぱいだが、慣れた中国人はいちいち大声でけんかしている。
バカラとスロットと「大小」と・・・。少なくとも大小は健全と言えそうだ。

順調に船代を稼いでいると、ときどき「嵐」(ぞろ目の親総取り)が待っている。用心用心。

2020年7月12日日曜日

密やかな楽しみ


日々読む新聞でオモシロイ記事に出会うことがある。

ある日の社会面、東京都墨田区でバカラ賭博店摘発の記事を読んだ。見出しは
「バカラ賭博店摘発 責任者の男を逮捕 賭博開帳図利容疑」
とある。最後の奴が見慣れない。「とばくかいちょうとりようぎ」と読むらしい。コトバンクには「自分の利益を図るために自らが主宰して賭博場を開設する罪」と書いてある。

賭博開帳図利容疑とは

記事によれば店の責任者と、従業員11名、客15名が現行犯逮捕されている(客は賭博容疑)。錦糸町の雑居ビルで開設されていた。錦糸町と言えばJRAのでかいビルもあり、かたや競馬は健全たる公営ギャンブルだ。再びコトバンクによれば、
「法律によって,特殊法人や地方公共団体による施行が許可された賭け事。公営競技,公営賭博ともいわれる。競馬,競輪,競艇,オートレースの 4収益事業がそれにあたり…」だそうだ。公営じゃないから逮捕された。

警視庁組織犯罪捜査4課が逮捕したのだが、記事の後半でいきなり「組対4課」とあり、慣れない略称だけに何という名称だったか遡ることになる。

非常に短いこの記事を読んですぐ、何か「変だな」と感じた。社会面の普通の記事なのだが。紙面を閉じてしばらくして再度目をやると、IR錦糸町駅とあった。IRInvestor Relationとは関係がないし、統合型リゾート(IR)整備推進法案、通称「カジノ法案」は頭をよぎるがこれも深読みしすぎ。記事とは全く関係がない。

JRか?JR錦糸町駅のことか?

恥ずかしくて小さくなっている訂正

翌日、小さな「訂正」がかなり恥ずかしそうに赤面モノで出ていた。
新聞は文章の基本、手本とされ、全国紙は中学生でも読めることが求められている。それゆえそう簡単にこうした記事を見つけることはないが、快哉を叫ぶ気分になるのは、ひねくれている証拠だろう。

バカラと言えば、香港駐在時代にマカオには何度も行ったが、バカラのテーブルにつく気はしなかった。カードをめくる賭氏のその形相はただならぬ妖気で完全に別空間だった。「大小」やスロットがいいところ。バカラもマカオなら公営なのだが、いずれにしてものめり込みは怪我こそすれ、大きなトータルプラスになることは「絶対に」無いといえる。

2020年7月9日木曜日

昔のノート


以前読んだ、「東京百景」(又吉直樹著、角川文庫)に「昔のノート」という項がある。以下はその一部。

「死にたくなるほど苦しい夜には、これは次に楽しいことがある時までのフリなのだと信じるようにしている。のどが渇いている時の方が、たとえ一瞬だとしても、誰よりも重みのある幸福を感受できると信じている。その瞬間を逃さないために生きようと思う。得体のしれない化物に殺されてたまるかと思う。反対に、街角で待ち伏せして、追って来た化物を「ばぁ」と驚かせてやるのだ。そして、化物の背後にまわり、こちょこちょと脇をくすぐってやるのだ。」

びくつきながらも精一杯のハッタリで、くすぐろうとしているところに共感を覚える。
そう、押しつぶされそうな相手は、たいがい見えないものだ。得体のしれないものになぜそこまで恐怖を覚え、目の立ったおろし金で心をザリザリ削られなければならないのか。気がつけば自身もその得体のしれない側に回って自身を追い込んだりしている。

写真を見るだけでもすくむ

こういう考えに立ってしまうのは質が悪い。そんな時、本来なら自分のことは、助けてやらないといけないのに、正反対のことをしてしまう。誰からも救われないタイヘンな自分。そうやっていじめてきたのだ。だからひねくれているのだ。だから素直でないのだ。だからぐるぐる思考で、くよくよ思考になるのだ。

脱、得体のしれない化物。脱、自分。

ん?
自分が得体のしれない化物だったのか。

2020年7月7日火曜日

【書籍】本を読めなくなった人の読書論


書籍 本を読めなくなった人の読書論 若松英輔、亜紀書房

「図書館で本を借りるのは、ちょうど花屋さんで切り花を買ってくるようなものです。それらは、自分の家に根を張ることはないのですが、ある期間、彩のある生活を私たちに提供してくれます」



著者のことを考え、本は買えといっているのか。もし自分が書いた本であれば図書館なんかで借りずに買って読んでくれと訴える。当たり前のことだ。

もう少し読み進めると、

「読書感覚を取り戻す最初の段階で、最も便利な、そして有効な場所が図書館なのです。私たちはそこにある本のほとんどを無料で借りることができます。自分に合うかどうかわからない本でも、安心して手にすることができます」

本を書く人が、無料で借りられる図書館を進めている。
退職して時間ができたら物書きになれるかも、などと甘い考えを持った者にはイタイ。一冊も書いたことのない者が何を言うか、という一撃を食らう。

なぜこの本を借りてきたかはすでに忘れたが、行間も広くコンパクトで文字数が少ない本なのになぜか読みにくかった。ひねくれ者なのか。

誰しも、読書家、作家から「この本が良い」と薦めてもらいたいと思うのだが、巻末で「本との出会いを妨げているものを取り除くための視点」が記されている。

     永く読まれている本(刊行後、十年以上経過していること)
     厚くない本、薄い本
     手ごろな値段の本

いずれも、読めなくなった人へのアドバイスだ。読みすぎて読めなくなった人へのアドバイスだ。読書の絶対量が全く足りず、とりあえず何でも読むべき自分にとっては、司書に臆することなく尋ねてみようと思う。

さて、何とリクエストしてみようか。

2020年7月6日月曜日

微力ながら


「微力」という言葉には、「力が乏しい」「力が足りない」などの意味があります。そのため、「微力ながら~」は、「力が乏しいですが~」「力が足りないですが~」という意味になるので、自分の力量に対する謙譲語になります。

「私など、何の役にも立ちません」と宣言しておきながら、もしうまくいったらそれは「私が尽力したから」と言わんばかりのフレーズだ。同頁には、用例としていくつか挙げられている。

l  微力ながらご協力させていただきます。→いちおう、やるにはやるけど期待しないでね。
l  微力ながらお役に立ちたいと思っています。→思っちゃいないけど、言うだけは言っておきます。
l  微力ながら尽力させていただく所存でございます。→もしうまくいったら、それはオイラが手を尽くしたからだよ、忘れんなよ。

いやだね、こういう日本語。もし「その気」があるなら、思い切って「全力で応援します」とか言うべきだよな。そもそもやる気がないからそういう表現になるのだ。

さて、今日は久々にオフィスへ出勤した。閑散としていて、まるで東日本大震災の週開け月曜日のような歯抜け状態。コロナがある意味追い打ちをかけ、「在宅勤務は当たり前」なのがイケてると思いこまないといけない状況。これも嫌だね。在宅でできることとできないことがある。「雑談」もその一つだ。事実、何気ない会話から「それ、どうなっていたんだっけ?」と、案件の解決の糸口をつかんだことは多い。家でぼーーーーーーーっとしていたら(ぼっとしているのも悪いが)掴めないハナシだった。
 
2000円で威張るなってーの。

そうそう、微力のハナシ。会社に行かないと「帰り道」がなく、よって寄り道もできない。四カ月近く無沙汰したS駅のY酒場。相変わらずほどよい無愛想感がいい。久々、店に入るなり「あ、シュッシュ(消毒)してね!」というのが唯一変わったところだ。客の入りはやはり半分以下だ。

お通し、大瓶、チューハイ、豚カラ、枝豆でジャスト2000円。やっぱり通うべきだと再認識する。こういうのを、「微力ながら応援する」というのだ。いや、今日から改めよう。「全力で支援します!」

2000円くらいで、大声出すな!




2020年7月5日日曜日

「悩まない」練習 プレジデント7月17日号


くよくよ思考からの脱却」を書いた翌日の新聞広告(悩まない練習)を見てプレジデントを買った。(早々の結論。買わなくてもよかった)

表紙には
気持ちがラクになる!心の整え方
運がいい人は、なぜ運がいいのか
2大付録「親父の小言」、勇気が湧く、前向きになれる「禅語36
など。プレジデントに付録があるとは知らなかった。

これ、付録だってよ

ページを繰るにつけ、BIG Tomorrow(青春出版社:201712月廃刊)を思い出した。その雑誌は若者の悩み(人間関係、金、恋愛など)に、今思えばかなり熱く語られていた。二誌の読者年齢層はあきらかに異なるが、「どん底は続かない。必ず良くなる。」などという今回のプレジデントの表紙は、そのままビッグの表紙に書かれていても違和感がない。

読後感。
ぐだぐだしてないで動きなさい、というところか。
石原慎太郎サンの巻頭記事は、自身の脳梗塞体験から死、そして仏教を意識したハナシ。他は読者が持つであろう代表的な「お悩み」に対して僧侶や牧師が回答する形で展開するハナシ。ほとんど仏教、キリスト教解説。地文では三大宗教に触れながらイスラム教がどう「悩まない練習」に効くかには触れられていない。

茂木健一郎サンの「意味もなくあれこれと悩んでいる人が多すぎる」「何もしないで悩んでいるだけでは、ぐるぐると同じところを回ることになってしまう」「仕事がうまくいく人、多くを学ぶ人は、いつも何かに取り組んでいる」という方が刺激的だ。

仏教は入門編を数冊読んだので、雑誌記事はその域を脱していないと感じた。復習できたというところ。
「自灯明法灯明」。他人の教えや情報だけに頼ることなく自己を指針として生きよ、という意味合いだ。ここでも困難には結局対峙せざるを得ないという難題は残る。それがスッとできれば苦労はしない、という読後感もまたこれまでの読書同様だ。週刊誌に頼ろうとするほうが間違っているか。

2020年7月4日土曜日

海は何色

九州の大雨を伝えるニュース。窓の外は鉛色がまざった明るい雲色。安普請なマンションのベランダの手すりが揺れるほどの風なのに重たい空色は動かない。

七里ガ浜で毎日海を見ていた頃も風が強かった。高校生の時は生意気にも出がけに整髪料を使っていたが、たいがいは江ノ電を降りた駅から学校へ着く間に乱れていた。134号線沿い、県立高校となる以前は観光ホテルが建っていたその場所から見えるのは相模湾だけ、贅沢な景色だった。正面の黒板はその面積のわりに、視界の中で黒いぼんやりとしたものでしかなかった。
 
風を体感できた江ノ電

江ノ電に乗っていると、風が強くなる瞬間は突然やってくる。鎌倉方面へ向かい、江ノ島から腰越間の路面区間を過ぎ、腰越から次の駅へ向かう途中、小動から一気に海景色になる。小さな車輌に当たる強い風を体で感じる瞬間だ。

教室で右手首が痛くなるほどの頬杖でずっと左手にひろがる風景を見ていると、ある時、海は青でないことに気づいた。子供の頃の絵日記、絵葉書、観光案内、記念写真。海は多少の濃淡はあっても同じ色だったはずだ。

どういうことだ?

前にもまして右手首を酷使した。黒板は存在すらしていなかった。
驚いた。晴れの日でも、青と信じて疑わなかったその色は日々異なる情景だった。曇りの日、雨の日、晴れでも風が強い日、暴風雨の日、快晴の日、浜の駐車場で弁当を食った日、とんびがおかずをさらっていった日、授業前、真っ昼間、夕方そして夜。

時間の経過で「青い海」に変化が出ていくのはわかってはいたが、それでも絵や写真で毎日記録をとったところでこれを表現するのは無理だと気づいた。ほとんど真っ白で空と海の境目がわからない時すらあった。(まあ明るい曇りと言えばそれまでなのだが)

プロカメラマンのインタビュー記事を読んだ。これだけ撮影機材が発展した今日、プロとアマの違いは何かと言う問いに対し、「その瞬間、その場所に居られるかどうか」だと断言していた。事件事故、スポーツの瞬間、政治家の表情、動物があくびする写真、かわいい子供のしぐさ、突然の稲光、雪中の雷鳥、川で魚が跳ねる姿など様々だ。ただ長時間待てばよい場合もあるし、何度トライしても巡り合えない瞬間もある。運だのみの時さえある。

相模湾を飽くことなく見続けた日の延長に今を生きている。今も、その時見た海の色も一度たりとも同じことはない。

これ、諸行無常(あらゆるものは、日々変化しつづけるものである)というらしい。

2020年7月2日木曜日

駄文で埋まる三年日記


二冊あるから過去六年間を瞬時に振り返ることができる武骨な表紙の三年日記。

201972日(火)…同僚の仕事の段取りの良さに感心
201872日(月)…長男次男からのプレゼントを喜びながらも自己投資してほしい
201772日(日)…「五十四歳」の感慨。健康を祈る
201672日(土)…日本橋木屋までスロージョギング、長男配属先決まる、次男夜勤
201572日(木)…三四郎のお母さんは「桂子」さん
201472日(水)…家人とゆっくり話ができた

飾り気ゼロ・それがいい

振り返るのが憚られるほどの駄文、そして筆跡も利き手を怪我して左手で書いていたかのような羅列だ。それでも自身の記したことなので解読できる。

この三年日記はカウンセラーの先生から「ジャーナリング」の一環として教えていただいたものだ。最初は、「感謝のワーク」という一日いくつでも、何に対してでもかまわないので感謝したことを書き出してみるというものだった。だが、内容や対象が見つからず、ちっとも感謝できずに終わった。

たまたま書店の手帳コーナーで三年日記を見つけ、開いてみると一日のスペースはわずかだ。こんなちっぽけなスペースなら書けるだろう。だが気分が下がっているとこれがなかなか埋まらない。一行の平均値は十八文字。それが九行で百六十二文字。格闘する羽目となった。

記すというより、ひたすら埋めることだけを考え丸二冊書き終えた。継続は力なり。何の力になっているかよくわからない。だが続けられているのはこれとスロージョギング。ひとつが運動関連なのでよかった。
その甲斐あって、今週戻ってきた健康診断の結果が普通過ぎてつまらない。

さて202072日(木)は何と埋めようか。


2020年7月1日水曜日

体力の限界・・・


体力の限界・・・

1991年、横綱千代の富士は引退会見で続けた。「気力もなくなり引退することになりました」。貴花田戦に敗れ、決意した。
大横綱千代の富士、涙の引退「体力の限界…」(日刊スポーツ)

ウルフ


体力、気力ともに無くなれば力士として前進するのは極めて困難だ。しかも横綱であれば強さ以外にも品格だの何だのと不文律ががんじがらめに縛りつける。そうしたなか、すばらしい引き際の例として語られている。

さて一般会社員のハナシ。定年まであと数年。ウツが追い打ちをかけるなか、モチベーションなどあったものではない。多くはないが薬も服用し続けている。果たしてもとに戻るのかと気持ちは焦る。

アスリートでなくとも、50代がどれほど鍛錬したところで20代の体力には戻らない。維持もできない。だがウツではそんな当たり前のことがわからなくなる。体力とまで言わずとも、気力や気分、ひいては「元気でそれなりに楽しかった頃」に思いを巡らせ、なぜ戻らないのかと残念がったり焦ったりする。

「戻らないよ」
的確なアドバイスをくれる友人は電話でひとこと、アスリートの例で話してくれた。
そう、戻らないのだ。50を過ぎて毎日楽しいことがあるわけがない。希望は持ちつつ現実的には難しい。では毎日嫌な思いはしているか。楽しくないイコール嫌なことだろうか。これを是としてしまうとかなり悲惨な日々となる。

目の手術をした後のまぶたがつる感じは元に戻らないし、覆水も盆に返らない。With/Afterコロナで働き方もレジャーも、人とのコミュニケーションも元に戻らない。戻らないだらけなのだ。

書籍「大河の一滴」(五木寛之著、幻冬舎文庫)によれば、五木サンは「人生はおおむね苦しみの連続であり、そう覚悟することでこころ萎えた日々からかろうじて立ち直ってきた」という。

これは苦しい。だがそういう苦しい中で出会うかすかな楽しさや人の優しさは「旱天の慈雨」だそうだ。干からびた大地にその一滴はしみこむ。
(そんなに少ししか、いいことないのだろうか・・・)

1丁目のバーガーキング

前回ハンバーガーを食べたのは、 2019 年 2 月、サンディエゴの Burger Lounge だ。滅多に食べないこと、そして滅多に行かないアメリカで食べたのでよく覚えている。彼の地に住む中学時代の同級生が連れていってくれた。アメリカーンな美味しいものだった。 最寄り駅にバーガ...