2020年7月4日土曜日

海は何色

九州の大雨を伝えるニュース。窓の外は鉛色がまざった明るい雲色。安普請なマンションのベランダの手すりが揺れるほどの風なのに重たい空色は動かない。

七里ガ浜で毎日海を見ていた頃も風が強かった。高校生の時は生意気にも出がけに整髪料を使っていたが、たいがいは江ノ電を降りた駅から学校へ着く間に乱れていた。134号線沿い、県立高校となる以前は観光ホテルが建っていたその場所から見えるのは相模湾だけ、贅沢な景色だった。正面の黒板はその面積のわりに、視界の中で黒いぼんやりとしたものでしかなかった。
 
風を体感できた江ノ電

江ノ電に乗っていると、風が強くなる瞬間は突然やってくる。鎌倉方面へ向かい、江ノ島から腰越間の路面区間を過ぎ、腰越から次の駅へ向かう途中、小動から一気に海景色になる。小さな車輌に当たる強い風を体で感じる瞬間だ。

教室で右手首が痛くなるほどの頬杖でずっと左手にひろがる風景を見ていると、ある時、海は青でないことに気づいた。子供の頃の絵日記、絵葉書、観光案内、記念写真。海は多少の濃淡はあっても同じ色だったはずだ。

どういうことだ?

前にもまして右手首を酷使した。黒板は存在すらしていなかった。
驚いた。晴れの日でも、青と信じて疑わなかったその色は日々異なる情景だった。曇りの日、雨の日、晴れでも風が強い日、暴風雨の日、快晴の日、浜の駐車場で弁当を食った日、とんびがおかずをさらっていった日、授業前、真っ昼間、夕方そして夜。

時間の経過で「青い海」に変化が出ていくのはわかってはいたが、それでも絵や写真で毎日記録をとったところでこれを表現するのは無理だと気づいた。ほとんど真っ白で空と海の境目がわからない時すらあった。(まあ明るい曇りと言えばそれまでなのだが)

プロカメラマンのインタビュー記事を読んだ。これだけ撮影機材が発展した今日、プロとアマの違いは何かと言う問いに対し、「その瞬間、その場所に居られるかどうか」だと断言していた。事件事故、スポーツの瞬間、政治家の表情、動物があくびする写真、かわいい子供のしぐさ、突然の稲光、雪中の雷鳥、川で魚が跳ねる姿など様々だ。ただ長時間待てばよい場合もあるし、何度トライしても巡り合えない瞬間もある。運だのみの時さえある。

相模湾を飽くことなく見続けた日の延長に今を生きている。今も、その時見た海の色も一度たりとも同じことはない。

これ、諸行無常(あらゆるものは、日々変化しつづけるものである)というらしい。

0 件のコメント:

コメントを投稿

1丁目のバーガーキング

前回ハンバーガーを食べたのは、 2019 年 2 月、サンディエゴの Burger Lounge だ。滅多に食べないこと、そして滅多に行かないアメリカで食べたのでよく覚えている。彼の地に住む中学時代の同級生が連れていってくれた。アメリカーンな美味しいものだった。 最寄り駅にバーガ...