土曜の午後に歌ってみた
長男が一人暮らしを始めた後に空いた部屋を使っている。
机の上は乱雑だ。大学に入った頃に祖母が買ってくれたものだがあまり使わなかった。だから今も机そのものはきれいだ。息子は自分の新しい机を欲しがったが捨てるにはあまりに惜しく、その机を使わせた。彼もたいして使わなかった。
その机に小さいがスピーカーを置いている。滅多に使わない。
先週土曜の午後、誰もいないのをいいことに、大きめの音量で音楽を聴いた。15年前のプレイリスト(曲はさらにもっと昔)は外付けハードディスクから難なく再生された。寒いから窓は締まっているし、大音量というわけでもないのだが、これ以上ボリュームを上げるには少し躊躇するくらいまで上げてみた。選曲が良いので、心地よい。自分の好きなものばかりを並べているから当然だ。
2006年に作ったプレイリスト |
そのプレイリストに合わせ歌ってみた。気持ちいい。マイクも何もない。ただスピーカーからの音楽に合わせて口ずさんでいるに過ぎない。ホントのカラオケにはもう何年も行っていないし、行きたいと思うわけでもない。
いつ頃からか、人と話すことが億劫になり、口数も減ったというより話さなくなったし話せなくなっていった。コミュニケーション部門で仕事をしている身には致命的だった。だができないものは仕方がない。言い訳や正当化はいくらでもできる。「巧言令色鮮し仁」とも、「沈黙は金」とも言うではないか。
そんな中、何か言う、話す、歌ってみる。歌わないまでも鼻歌でも鳴らしてみる。すると内容は何でもよいから体内から発するという行為自体が大事なのだと気づく。喜怒哀楽のバランスが大切なように、おそらく黙っていることにも限界があるのだ。自然に発することができれば最高。
笑いはやはり体にいい |
笑うと健康に良いというのはもはやデータが立証している。無理に笑うことでもよいそうだ。ならば、声に出して唱える、話す、歌う、がなる、何でもいい。これをやってみるのは価値がありそうだと思わないか。少なくとも自分には気持ちが良かった。