2020年2月23日日曜日

土曜の午後に歌ってみた


土曜の午後に歌ってみた

長男が一人暮らしを始めた後に空いた部屋を使っている。
机の上は乱雑だ。大学に入った頃に祖母が買ってくれたものだがあまり使わなかった。だから今も机そのものはきれいだ。息子は自分の新しい机を欲しがったが捨てるにはあまりに惜しく、その机を使わせた。彼もたいして使わなかった。



その机に小さいがスピーカーを置いている。滅多に使わない。
先週土曜の午後、誰もいないのをいいことに、大きめの音量で音楽を聴いた。15年前のプレイリスト(曲はさらにもっと昔)は外付けハードディスクから難なく再生された。寒いから窓は締まっているし、大音量というわけでもないのだが、これ以上ボリュームを上げるには少し躊躇するくらいまで上げてみた。選曲が良いので、心地よい。自分の好きなものばかりを並べているから当然だ。
2006年に作ったプレイリスト

そのプレイリストに合わせ歌ってみた。気持ちいい。マイクも何もない。ただスピーカーからの音楽に合わせて口ずさんでいるに過ぎない。ホントのカラオケにはもう何年も行っていないし、行きたいと思うわけでもない。

いつ頃からか、人と話すことが億劫になり、口数も減ったというより話さなくなったし話せなくなっていった。コミュニケーション部門で仕事をしている身には致命的だった。だができないものは仕方がない。言い訳や正当化はいくらでもできる。「巧言令色鮮し仁」とも、「沈黙は金」とも言うではないか。

そんな中、何か言う、話す、歌ってみる。歌わないまでも鼻歌でも鳴らしてみる。すると内容は何でもよいから体内から発するという行為自体が大事なのだと気づく。喜怒哀楽のバランスが大切なように、おそらく黙っていることにも限界があるのだ。自然に発することができれば最高。
笑いはやはり体にいい


笑うと健康に良いというのはもはやデータが立証している。無理に笑うことでもよいそうだ。ならば、声に出して唱える、話す、歌う、がなる、何でもいい。これをやってみるのは価値がありそうだと思わないか。少なくとも自分には気持ちが良かった。

2020年2月21日金曜日

合格通知書在中


合格通知書在中

息子の大学受験が先週終わった。今週来週はその発表を待つことになる。
今日、封筒の表に、赤字で「合格通知在中」と書いた速達が七通も来た。合格したのは二校だが受験方法でこういうことになるらしい。
何通あってもうれしい


今のスタイルが最後となるセンター試験を利用する方法もいくつかある。三科目受験、三科目のうち、よい成績二科目を選んで選考してくれる。もちろん学校独自の学部試験を受けることもできる。「共通一次試験」世代としては、国公立大学だけだと思っていたが。

合格をより安全に狙うにはそうした複数の方法を取ることになる。私立大学はどっこい受験料でしっかり稼いでいたということだ。自分が受けた当時(1982年)は私立の受験料が二万円。W大だけ二万五千円だったような気がする。今回息子の受験料は一校あたり平均で五万一千円強だった。私立、恐るべし。

ともかく行くところができて本当に安どした。石橋を叩いて渡る質(たち)だがそれは遺伝したようだ。自分が当時、一浪した挙句、五校受けたのに一校しか受からなかったのは、今思えば恐ろしい。安全校だと思っていたところがダメで、どうかな、というところにはまったのだった。

「合格通知書」。何通あってもいいね。

2020年2月20日木曜日

ウイルスの立場になって考えてごらんよ。


そんなの全く考えたことないよ。

同僚のちょっと変わった視点からのひと言。ウイルスの気持ちや立場を考えたことはなかったしそういう発想はなかった。笑える。いや、今起こっているコロナウイルスに関しては笑えない状況なのだが。

自分(ウイルス)が息長らえようとすれば母屋に気づかれないように、暴れないようにするのは当然。なるほど。気づかれないように生体内に感染し、潜伏期間も長く、そして症状も無い場合もある。薬で退治される前に蔓延する。彼らなりの種の保存とでも言おうか。知恵が働いている。

  
自分の立ち位置を考えてみる。
今日は同期の一足早い退職のための送別会だった。彼は同期の中でもひときわ明るく楽しいキャラクター。入社数年後に本社勤務、花形の一つ国際部へ異動した。商品開発、マーケティング、そして海外駐在。絵に描いたようなキャリアだ。
自分もほぼ時を同じくして国際部へ。駐在もした。だがまあパッとはしなかった。分かつものは何だったのだろう。別の元同僚は、四社目の今が、一番楽しいという。
いまさら羨むわけでなく、むしろ冷静に自分の特徴や強みは何なのかを考えるきっかけになった。


2020年2月15日土曜日

花粉よりも怖いもの


花粉よりも怖いもの

124日金曜日に楽天市場でマスクを買った。アイリスオーヤマちょっと大きめ60枚入り3箱の価格は1508円。1箱あたり500円強。その翌日からマスクは「在庫なし」表示になった。間一髪。


215日現在、ユニ・チャーム超快適マスク50枚入りが17,444円。
「価格が気になる場合は購入をご控え下さい」とある。「ご」でわかるね。この無法者の出品と比べるとひと箱34倍以上、マスク一枚あたり8.3vs348.8円という価格差だ。明らかにやりすぎ。

ウイルス対策というよりは、来るべき花粉に備えて早めに買っておこうと思っての購入だった。翌日土曜にスーパーに行けばいいと思っていたがたまたま寝る前に「ポチっと」楽天市場したのだった。現時点ではウイルスより花粉飛散時にマスクがないほうがつらい。

都内でも感染者が増えている。タクシー、屋形船、地下鉄、バス、病院、(優雅な)船旅、法外なマスク価格・・・どれも恐ろしい。
手洗い、マスクが有効だと有識者は声をそろえる。従っておこう。

2020年2月11日火曜日

根拠のない、は根拠less・・・ではない。

根拠のない、は根拠less・・・ではない。

次から次へと湧き上がってくる不安。
何とかしないといけない、でも何ともし難い、そんな数々の悩み。
いくら心を落ち着かせようとしてもうまくいかない。そして眠れぬ長い夜。

普通なら、「根拠のない不安には自信をつけて打ち勝て!」
というのが世の中の「元気づけ本」。そんな大上段な言い方はできないね。

根拠のない不安には根拠のない自信を少し持とう。少しだけでいい。
これまで実に多くの不安に襲われたしきっとこれからもあるだろう。他人には些細なことかもしれないが、自身にとっては押しつぶされそうな、極めて深刻なモンダイだ。

だが、どうだろう。これらが過ぎ去ったときに感じるのはたいがい、安堵感や、拍子抜け感ということはないか?

「何が心配事だったんだっけ」と思うことさえある。それほど、たいていの不安に対して「それがなぜ怖いのか、なぜそれを恐れるのか」を考えず(考えられず)に恐怖を感じているのだ。思考力が低下しているから無理もない。

ならばどうだろう。
根拠のない不安には、根拠のない自信を当ててみる。ホントは大声でやっつける、退治すると言いたいがそこまで勇気は持てない。かっ飛ばさなくていい。いや、むしろバントがいい。ピッチャーの投げるボールをよく見て、バットを短めに持って、こつんと当ててみる。いいねぇ。剛速球が来るがそのボールはどうだ、押し殺された球威ながらころころとフェアグラウンドに転がるはずだ。バントの名手、巨人の土井や川相のような職人技。(古すぎる)
 
バントでいこうバントで
悪くない。
同格のものをぶつけ合う。同じ土俵に乗せてしまう。こちらの力は弱っているかもしれないが、あっち(不安)は何しろ根拠なくやってきているのだから。自分の貴重なエネルギーを浪費することなく、こちらも何も考えずに「ダイジョブだぁ」とつぶやきながらこつん、とぶつける。
それこそ、根拠はないのだが、意外とうまくいくことがある。乗り切れるはずだ。

ちなみに「根拠のない」はunfounded. 根拠のないうわさはunfounded rumor. 
根拠lessではない・・・。

2020年2月8日土曜日

東京って「03」じゃないの?

東京って「03」じゃないの?

子供の受験まっただなか。本人は我慢どころ、ラストスパートだが外野から見れば佳境に入ったと言える。

自分の浪人時代を思い出す。
通ったのは代々木ゼミナール、通称「代ゼミ」。東横線沿線に住む祖父母の家に居候させてもらい、代々木まで通った。神奈川の実家から通えたが往復の時間がもったいないと思った。最初は実家近くの大船にも分校ができたとあって、近くてよかったのだが、生意気にも、「本校でないと受けられない授業がある」などと言って「東京住まい」となった。
 
じいちゃんの「バナキュー」
予備校での授業を終え、夕方の祖母の買い物に付き合い、夕食を共にする。祖父は気を遣ってか、聞こえにくいだろうにテレビの音を小さくし、バナナときゅうりをマヨネーズあえにした「バナキュー」をよく作ってくれた。栄養も考えてくれたのだろう。静かに流れるありがたく、豊かな時間だった。

食事と言えば昼は弁当だ。南新宿の踏切近くに六大学弁当屋があり、東京、早稲田、慶應、明治、立教、法政の名前の付いた弁当を売っており、あからさまな内容差と価格差がついていたのはご愛嬌。今ならとやかく言われそうだ。
弁当屋と思っていたら定食屋だった。今でもある模様。(ラインナップはずいぶん増えた)

親には申し訳なかったが、ずいぶんと金がかかったはずだ。
通期の授業料に夏季だ、冬季だ、直前だと対策講座が入る。もちろん全て参加したわけではないが、途中まで国立を考えていたから散々金を食ってしまったはずだ。
(当時は家計のことはあまりわかっていなかった)

結果も散々だった。私立を五校受験。自分で勝手に松竹梅をつけていたが、下から二番目と思っていた大学一校だけ合格通知が来た。安全校だと思っていたところに落ちた時のショックは尋常ではなかった。なめたらいかん、と後悔。

大学受験は一生の中でも根を詰めてしっかり学ぶ時期であることは間違いない。自分で能動的に取り組んだことだけが、確実に身についていくということを思い知る時期だ。あれから38年。今の自分に何が残っているだろう。そしてその後、身についたものは何だろう。
「03」じゃない東京もあったとは・・・


ところで一校のみ合格だったため選択の余地無く、東京の区を外れた郊外の大学へ通ったが、目黒区の祖母の家に電話を掛けるときに、「03」が必要だと知った時もショックだった。トウキョウじゃないということを思い知った。


2020年2月2日日曜日

腰痛治療で犬を飼う!


腰痛治療で犬を飼う

以前見た情報バラエティ番組。
腰痛持ちとしては気になるところでどんな体操か、ストレッチか、はたまた名医の登場かとさんざん前振りの後、「犬を飼うこと」ときた。

うちにもこれの少し汚れたのがいたな

気をそらすことらしい。
一理あるような、無いような。体操や医者を勝手に想像するこっちが悪いと言わんばかりの展開だった。だが待てよ。

「痛いの痛いの、飛んでけー」と昔母に言われると、なんだかそんな気分になったこともある。以前釣りに出たとき、釣り針を指先に刺してしまった同僚に対し、船長が「ちょっとあっち向いてて」と言って0.1秒くらいで針を抜いたことがある。正確には抜いたのではなく針を思い切り引っ張っただけで当然出血したのだけれど、見ている目の前で起こるのと、船に揺られながら水平線を見ている間に起ったこととは感じる痛さも異なるだろう。かく言う自分も採血の時は腕を見ないようにしている。

言い古されてはいるが、大勢の前で話すときに緊張するなら、聴衆を芋だと思え、などともいう。

そうか、どれもみな気をそらすこと、自分をだますことだな。
起きた後は寝るまで全く痛くなることはない「朝だけ腰痛」はもう十年くらいか。
マンション住まいゆえ、犬は飼えないが、カメならいる。カメの世話くらいでは腰もなかなか騙されてはくれない。
お前の世話くらいでは・・・


1丁目のバーガーキング

前回ハンバーガーを食べたのは、 2019 年 2 月、サンディエゴの Burger Lounge だ。滅多に食べないこと、そして滅多に行かないアメリカで食べたのでよく覚えている。彼の地に住む中学時代の同級生が連れていってくれた。アメリカーンな美味しいものだった。 最寄り駅にバーガ...