2020年2月8日土曜日

東京って「03」じゃないの?

東京って「03」じゃないの?

子供の受験まっただなか。本人は我慢どころ、ラストスパートだが外野から見れば佳境に入ったと言える。

自分の浪人時代を思い出す。
通ったのは代々木ゼミナール、通称「代ゼミ」。東横線沿線に住む祖父母の家に居候させてもらい、代々木まで通った。神奈川の実家から通えたが往復の時間がもったいないと思った。最初は実家近くの大船にも分校ができたとあって、近くてよかったのだが、生意気にも、「本校でないと受けられない授業がある」などと言って「東京住まい」となった。
 
じいちゃんの「バナキュー」
予備校での授業を終え、夕方の祖母の買い物に付き合い、夕食を共にする。祖父は気を遣ってか、聞こえにくいだろうにテレビの音を小さくし、バナナときゅうりをマヨネーズあえにした「バナキュー」をよく作ってくれた。栄養も考えてくれたのだろう。静かに流れるありがたく、豊かな時間だった。

食事と言えば昼は弁当だ。南新宿の踏切近くに六大学弁当屋があり、東京、早稲田、慶應、明治、立教、法政の名前の付いた弁当を売っており、あからさまな内容差と価格差がついていたのはご愛嬌。今ならとやかく言われそうだ。
弁当屋と思っていたら定食屋だった。今でもある模様。(ラインナップはずいぶん増えた)

親には申し訳なかったが、ずいぶんと金がかかったはずだ。
通期の授業料に夏季だ、冬季だ、直前だと対策講座が入る。もちろん全て参加したわけではないが、途中まで国立を考えていたから散々金を食ってしまったはずだ。
(当時は家計のことはあまりわかっていなかった)

結果も散々だった。私立を五校受験。自分で勝手に松竹梅をつけていたが、下から二番目と思っていた大学一校だけ合格通知が来た。安全校だと思っていたところに落ちた時のショックは尋常ではなかった。なめたらいかん、と後悔。

大学受験は一生の中でも根を詰めてしっかり学ぶ時期であることは間違いない。自分で能動的に取り組んだことだけが、確実に身についていくということを思い知る時期だ。あれから38年。今の自分に何が残っているだろう。そしてその後、身についたものは何だろう。
「03」じゃない東京もあったとは・・・


ところで一校のみ合格だったため選択の余地無く、東京の区を外れた郊外の大学へ通ったが、目黒区の祖母の家に電話を掛けるときに、「03」が必要だと知った時もショックだった。トウキョウじゃないということを思い知った。


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