2020年4月30日木曜日

「ありえない」からスタートする「当たり前」


我が家から電気炊飯器が姿を消して久しい。

当初は「ありえない」と思った。タイマーをセットしておけば勝手に仕上がるし保温もできる。そんな楽ちんを捨てるなんて想像できなかった。だが、ある日アウトレットでストウブの厚手の鍋をたまたま買ってから「ご飯は鍋で炊く」が定着した。早く炊けるし何といっても抜群に美味しいのだ。
重たいが使い出がある

いきなりご飯を炊いていただけではない。むしろ厚手の鍋料理は馬鹿の一つ覚えで筋煮込みくらいにしか使わず、寸でのところでお蔵入りになりそうだった。だがストウブバンザイなのだ。その昔は焚き木でご飯を炊いていたのが「当たり前」で、電気炊飯器は「ありえない」代物だったかもしれない。

いま、9月入学がにわかに論議されている。保守的な役所仕事を考えれば「そんな急にいわれても」となるだろうし、大学入試の英語試験一つとっても「時期尚早」で片づけられるのだから、どれだけ先のことになることやら。

だが現在、当たり前に使っている太陽暦に変わったのは明治5123日、しかもその告知は前月119日と聞けばどうだろう。当時の混乱はいくばくか計り知れない。改暦の背景が当時の政府の財政難とも言われ、志の輔落語のまくらにもなっていておもしろい。

「旧暦には閏月が入る年があり、ちょうど翌年は13ヶ月の年に。12月初めに新暦に切り替えてしまえば、その年の12月分と、翌年の閏月分、合わせて2ヶ月分の役人への給与を払わなくて済む……。」
明治6年の元旦から始まった太陽暦。失われた月の暦とは? より
太陽暦への改暦告知はわずか1か月前

そう、「当たり前」は常に「ありえない」からスタートする。摩擦はつきものなのだ。それは当然だ。これまで心地よかったものがそうでなくなるのだから。ひょっとすると電気炊飯器になった時は便利になったのだから、歓迎されたかもしれない。それでもおそらく、「薪で炊いたほうがうまい」と言っていたオトーサンもいたはずだ。

36年前、商社の重役だった同級生のお父さんは、「女性が世界で働く時代だ」と熱弁していたが、ご自身の娘さんが「ニューヨークで働く」と言ったとたん、目を向いて「ならん」と言ったそうだ。いま、「Change or die」と言われ、変化し続ける者だけが生き残れると言われる時代。はて、適応できるだろうか。

2020年4月27日月曜日

下を向いてあるいてみたら 2 路上の印あれこれ

三日前、家の前の車道を、無謀にも自転車が斜め横断しタクシーがクラクションを鳴らして止まった。幸い接触はなかったが、自転車のオヤジは車に向かって暴言と痰を吐いていた。あちこちで、「くさくさ」している。こんな時こそ、余裕を。

そして路地に目をやるとまた、いくつかの路上の印。前回「下を向いてあるいてみたら」で紹介したの赤と緑の「G」マーク、「基準点」、「密集基準点」以外にもいろいろ見かける。

「路線測量」
路線測量とは、道路鉄道等の線形を現地に表す作業や、その現地形状を調査する作業です。前者は中心線測量後者は縦断横断測量といいます。又計画用地の幅を表す作業(通称:幅杭設置)も行っています。
くっきり

ということでわかったような、わからんような。次はこれ。

「都市再生街区基本調査」文字一杯
都市再生街区基本調査とは、都市部の地籍調査を推進するための基礎的データを整備するために、平成1618年度に国が実施した基本調査です。
文字数ぎりぎり

国土交通省サイトではこのように説明されている。鋲の大きさは路線測量と同じなので文字数がかなり詰まってくる。そろそろ限界か。で、その限界を超えたのが次。

都市再生街区基本調査 街区三角点
「都市再生街区基本調査 街区多角点」



さすがにキャンパスは大きくなり、いずれも鋲というよりは完全な埋め込み型の印で、上記同サイトによると以下の説明がある。

四等三角点や公共基準点等を基準として、街区基準点を整備・測量しました。整備した街区基準点は以下の2種類です。
街区三角点:公共測量2級基準点相当で約500m間隔で設置される点
街区多角点:公共測量3級基準点相当で約200m間隔で設置される点

ということは、三角点のほうが「レア」ということになる。どっちも見つけた。

三角点と同じ大きさの印だが、何やら文字の多い、そして矢印のついた印を発見。そこには「末広都市建設株式会社施工」とある。道路補修工事の施工はうちがやった、という印だ。これは決まりなのか、それともコマーシャルか。
コマーシャル?

そして最後に「坊主」。
もはや基準点なのか、測量なのかそれすらわからない。踏まれて踏まれてピカピカに。
道路上の印としては本望でしょう。

読めない

下を向いて、印を確認し、レアな印をみてにやけ、しゃがんで写真を撮るのははたから見るとやはり変なおじさんだ。


2020年4月26日日曜日

日本橋スッカラカン


自宅から日本橋まで、歩いて往復してみた。runtasticの計測によれば、往路5.75キロ、復路6.83キロだった。いつものジョギングより少し長い程度だったのには驚いた。そんなものか。

外出しているという「掟破り感」はひしひしと感じつつ、自らの精神状態を正常に保つための必要不可欠な適度な運動なのだと思い込む。電車もバスも使っていないし、もちろんマスクは着用だ。

新大橋を渡ると一層風が強く感じられ、気温は高いのだろうが汗が冷える春特有の感覚がする。以前は好きな季節だったが、花粉症になってからは寒さが緩もうが桜が咲こうが待ち遠しい季節ではなくなった。出会いもなければ別れもないし。
がらん


三越前。シャッターは閉まり、車も人通りもほとんどない。休日の繁華街とは思えない。それでも散歩やジョギングとは出くわす。さすがに飲食店はたいがい休みで目当ての店も多分に漏れない。遊覧船ももちろん休み。

純粋に運動と割り切り、再び新大橋通へ向かう。暑い。途中ポツポツと開いている店があるにはあるが、持ち帰り専用だったり、店内で飲食可能であってもいま一つ気が進まない店ばかりだ。けっこう疲れと空腹が募りイライラしてきたころ、森下の「みの家」にのれんがかかっているのを発見。即決。
「みの家」この三軒隣には「山利喜」が

引き戸を開けるといつもの下足番のおじさんではなく、割烹着の店の方がにこやかに「どうぞ」。外出自粛の折からか、一時半を過ぎていたからか、先客一組のみ。小さな庭の見えるベスポジで桜鍋を食す。いいね。支払いは現金とペイペイのみ。老舗もさすがにペイペイの波には飲まれたか。

腹も落ち着き家に帰れば19000歩。悪くない。
今日は外出自粛を破った罪より、散歩(とみの家)による健全なる精神の維持のほうが圧倒的に勝ったのだった。
さて、パチンコ屋に出かける人たちのことを、今日の自分は「ダメでしょ」と言えるだろうか。

2020年4月25日土曜日

ずるいピアノ


イチバンずるい楽器は何といってもピアノだ。

88鍵、その音域は圧倒的と言える。ひとりでオーケストラの音域をカバーする。「ピアノのためのソナタ」なんて聞いたことがあるし特別扱い感が著しい。左手でベース音や和音を、右手でメロディを奏で、とにかく一人で全部完結できてしまうのが憎らしい。それを弾きこなす人はもっと憎らしく羨ましい。

魅力は尽きない

「駅ピアノ」という番組がある。駅に置いてあるピアノを旅行者から近所の人まで誰でも自由に弾く様を固定カメラでとらえたものだ。その人が語る「音楽とは」「ピアノを始めたきっかけは」「なぜその曲を選んだのか」といったちょっとしたエピソードがいい。

実家にピアノがあった。ヤマハのアップライトだ。おそらく兄が習っていたのだろうが弾いているところを見たことはない。自分もいつしかピアノ教室に通っていたがほどなくやめてしまった。バイエルも終わっていないから習ったうちには入らない。もちろん全く上達しなかった。

何年も経ったのち再び触りだした。シンセも買ったしエレピも買った。弾けそうな感じがしたからだが、やっぱり思ったようにはいかない。ギターと違ってピアノは「耳コピ」ができないことに気づいた。一度に6音も8音も出す「ずるい和音」だからだ。譜面をろくに読めないのも仇となった。
フォークギターも、ストラトキャスターも、ガットギターも買った。

それでもピアノを弾きたい。


「駅ピアノ」をみてそう思い始めている。

2020年4月20日月曜日

盗作? 似た曲探し 日本のフォークとアメリカンポップス


もはやClassic Rockというジャンルになるのだろうが、レッド・ツェッペリンの名曲「天国への階段」が盗作かどうか争われた裁判で、盗作には当たらないという判断が下った。
2020/3/11 日本経済新聞電子版
天国への階段」盗作でない ツェッペリン勝訴、米高裁

どこぞの音楽雑誌ではなく日経で紙面になるあたり、関心が高いという証拠だ。いや、記者が単にツェッペリンファンだったのかもしれないし、50代のデスクに記事を書かされたのかもしれない。ロック好き、ギター好きなら誰もが練習してみる、ピアノにおけるバイエルのようなものだ。(ちょっと違うか)

この曲はジミー・ペイジとロバート・プラントによる共作。1971年に発表された。
この年はまだ小学校二年生だったのでさすがにまだロックには目覚めていなかった。

小学校五六年生のころにフォークソングが流行っていた。その中で「風」というグループの二枚目のアルバム、「Windless Blue」に、「三号線を左に折れ」という曲がある。1976年、伊勢正三サンの曲だ。静かな心地よい曲でお気に入りだった。
中学校に入った年だが、この頃、日本の歌謡曲やフォークからロックに聞く曲が少しずつシフトしていた。
AMERICA'S GREATEST HITS HISTORY

ラジオ深夜番組全盛の頃でもある。洋楽は深夜放送で聞くようになったといっていい。「America」というグループの「Sister Golden Hair」という爽やかな曲が耳に残った。1975年の曲だが、当時はまだ日本でのオンエアには「時差」があったのだろう。

時は流れて大学生になってから、多少の小遣いはほとんどレコード、CDに費やした。そこで懐かしさもあり、AMERICA’S GREATEST HITS HISTORYを買った。その中の「Daisy Jane」という曲を聴いて、「ん?」と感じた。何か懐かしいような、聞きおぼえがあるような。

そうここでやっと本題なのだが、風の「三号線を左に折れ」と、Americaの「Daisy Jane」が同じ曲に聞こえたというハナシだ。発売年を考えると1975年のDaisy Janeに軍配が上がる。伊勢サンがこれを聞いていたかどうかは定かではない。でも「風」のアルバムのつくりがどんどん「洋風化」していたことを考えると、「参考」にはしたかもね。

ちなみにこの頃のオールナイトニッポン水曜日は、「あのねのね」から「タモリ」に変わった年でもあります。
木曜はいつも眠かった。

2020年4月18日土曜日

三四郎の「童貞力」


夏目漱石の「三四郎」。

百年前の青春小説を紹介する番組を見ていたら、伊集院光サンが「昔から感情移入してしまう漫画などの主人公は童貞力が強かった」旨のコメントをしていた。



渡辺淳一サンの「鈍感力」、姜尚中サンの「悩む力」、赤瀬川源平サンの「老人力」、五木寛之サンの「他力」(たりき)、斎藤孝サンの「質問力」に「発想力」。
いろいろな力があるものだが、童貞力とは。
曰く、星飛雄馬、花形満、寅さん・・・。

うなずける。よくわかる。そして、自分も間違いなくそっちに近いと言える。(自身をあっち側だと断言する人もあまりいないか)
解説の東京大学教授阿部公彦サンはこの小説を「応援小説」と呼んでいた。戸惑う三四郎の背中をグッと押してあげたくなる気分にさせるというのだ。
伊集院サンは、野球一色だった飛雄馬や恋愛下手代表のような寅さんに、もう一息がんばれ、と声をかけたくなるのだろう。

恥ずかしながら三四郎を読んだことはないが、明治時代の小説、夏目漱石は「教科書で出会った文章」という印象だ。堅いイメージがある。だが主人公の姓が「小川」というのがずいぶんと普通に感じられる。先輩の野々宮 宗八、あこがれの女性、里見 美禰子(みねこ)と比べても圧倒的に普通だ。三四郎の「童貞力」は平凡な男のものだ、ということを言いたかったのからなのだろうか。
読むのが楽しみだ。


という文学との出会いに浸る一方、「三四郎」と言えば錦糸町の大衆居酒屋だ。船の舳(へさき)を思わせる年季の入った白木のカウンターが心地よい。最近は割烹着を着なくなった女将は元小町だったろう。老舗居酒屋も中国人アルバイトが注文を取るがもはや違和感はない。仏頂面はいただけないが、だからこそたまの笑顔が引き立つ。やまかけのねばっこい芋を食べたい。
コロナによる営業自粛が悔しい。


カウンセラー? むりむり、一緒になって悩んじゃいそう


48日の日経夕刊に、うつからの職場復帰プログラムの記事があった。これによれば2017年にうつなどの気分障害と診断された患者数は1276千人。15年前の1.8倍で、精神疾患を理由に休職した社員が復職後に再発した割合は53%と、身体疾患の再発(20.6%)を上回る。休職者の退職率も42.3%と、がんとほぼ並ぶ水準だという。さらには完治までに56年はかかるという医師のコメントも掲載されていた。


医学的には知らないが自分の考える「うつとうつ病の決定的な違い」については以前触れた通り、自死を考えるほど思考が立ち行かなくなるかどうかだと思う。

幸いそこからは脱していて、安堵する。

うつの再発割合が53%と聞き、自分のケースを考えれば妙に納得する。しかも人によって異なるだろうが完治までの期間を待つことなく復職したことは、今思えば無謀だったのかもしれない。「うつではない正常な状態に早く戻りたい」という一心で自分を説得してしまうのだろう。
求職者の退職率もがんと同じか。がんにかかったことはないが、例えば手術後の物理的諸症状と比べると、うつの場合は目には見えない。これはこれで苦しいものだ。

しかしそれでも復帰を目指してリハビリをするのは簡単に言えば仕事をしないと生活が立ち行かなくなるからだ。疾患(精神かどうかを問わない)、疾病から時として年単位のリハビリを経て復職できる制度を持つ職場はそう多くはないだろう。

完治前に復職をしたことで、「再発率」上昇に寄与した自分は、それでも何かしらこの経験を生かせないものかと考えた。ところが古い友人からは「カウンセラー?無理無理、(相談者と)一緒になって悩んじゃいそう」と諭された。

正しい。(即納得)
私は以前お世話になったカウンセラーの方をイメージしていたのだが甘かったようだ。

以前受けた研修で、感情を表す曲線を手書きグラフで示すというのがあった。これまでの体験の中で嬉しかったことや成功したときは浮上、落ち込んだ時は下落するというシンプルなものだ。たいがいは上下にでこぼこするものだと思っていたし、実際書いてみるとそうだった。ところがずっと「右肩上がり」を堂々と示す女性がいて驚いた。「落ち込んだことがない」という。自己分析なのでそういう方もあろう。

また、先日ある女性管理職が「もっと学んでキャリアを積んで充実したい」という人材会社のコピーのようなことを、目をキラキラさせながら言っていた。グラフがポキっと折れないことを勝手ながら思った。


2020年4月15日水曜日

【書籍】人生は苦である、でも死んではいけない


最近また一冊、「現実を突き詰められる」書籍に出会った。

「人生は苦である、でも死んではいけない」(岸見一郎著 講談社現代新書)という恐ろしいタイトルだ。和見一郎サンの本を読むきっかけは、ある番組で「自省録」(マルクス・アウレリウス著)の指南役として登場し、ご自身の体験などを踏まえ、含むような包み込むような語り口の解説に魅力を覚えたからだった。
「嫌われる勇気」の著者といったほうがピンとくるかもしれない。
 
タイトルきつめ

幸福であるためには何も達成しなくていい。いま「ある」こと、「生きていること」がそのまま幸福なのだが、成功を目指していると終わりはない、と述べている。

助かる。
いまここに存在すること、そして生きていることが幸せなのだ。それだけでよいなら幸せになれそうだ。また、「生きていること」、いまここに「ある」こと、「存在していること」自体が大きな価値なのだという。「人はただ生きている、存在しているだけですごいことなんだ」とする五木寛之サンの言に通ずる。

また、
「自分を暗いと思い、そんな自分を好きになれないという人は、明るいことがいいことだという世間一般の価値観を基準にして現実の自分を判定しているので、自分を受け入れることができないのだ。自分が暗いと思っている人は、暗いのではなく優しいのだ」と、どこまでも優しい。

アドラーに関する著作も多いのに、アドラーの言葉を全面的に受け入れているわけでもない。
私は先に引いた「私に価値があると思えるのは、私の行動が共同体にとって有益である時だけである」というアドラーの言葉を次のように変えたいと思う。
「私に価値があると思えるのは、私の存在が共同体にとって有益である、そう私に感じられる時だけである」
有益であると「感じられる」としたのは実際に有益なことができるかどうかは全く問題ではないからだ。

どうも、アドラーセンセイの言葉は自分には「キラキラ」し過ぎていて、「わかっちゃいるけどそれできたら苦労しないよ」というものが多い。エリート社員が研修か何かで読んで、実践してしまいそうなフレーズが並んでいるように思う。

そんな優しい慈愛に満ちた本の最後のほうに、しかしながら目を見張る結末が待っていた。二匹の蛙が壺に落ち、一匹は何もせずに溺れ、もう一匹は必死にもがいた結果、助かったというたとえ話が書かれている。そして最後にこう記してある。

「人間もまた、ミルク壺に落ちた蛙のようである。その現実から目を背けるわけにはいかない。だがあきらめてしまうのでも、何か自分を超えた力が働いて何とかなるだろうと考えて何もしないのでもなく、できることをしていくしかない」

おおお、これじゃ苦しみ、困難、課題など直面した全ての壁に、やはり「対峙するしかない」という結論になっている。ブッダもマルクス・アウレリウスも、アドラーも煎じ詰めるとどうしてもこういう結果になっている。

厳しいネ。



2020年4月10日金曜日

在宅勤務は何に疲れるのか


「在宅(勤務)疲れ」という。

アナウンサーは、東日本大震災の時張りに「皆で協力しあっていきましょう」的なメッセージを送る。もちろん災害時とウイルス感染拡大では状況も異なるし比べるべくもない。

会社員なら、通勤時間がまるまる無い分、寝坊もできるし満員電車に乗る必要もない。朝もゆっくりコーヒーを飲める。それってずっと切望していた生活なのではないか。始業時間になったら自室でもカフェでも、仕事を始めればいい。

満員電車にまた乗りたい?

仲のいい同僚と会えないよりも、顔も見たくない上司や先輩と距離を置けるのは「理想的な働き方」だ。しかも電話や余計な指示が入らない分、本当に仕上げるべき仕事は集中することができ、いともたやすく、短時間で仕上がってしまう。

そんな理想的な、待ち望んだ働き方なのになぜ疲れるのか。

狭い自宅に家族がいるから?
人と話す機会が減るから?
歩数計が一日1000歩もいかないから?
仕事終わりに居酒屋に寄れないから?
実は嫌な奴だと思っていた会社の人に会いたいから?

独房的感覚が引き起こす気分の波の無さなのだと思う。たぶん平坦すぎるのだ。

幸い、留置所、ろうや、拘置所といった類に世話になったことはないが、生活リズムの節目が減る。普段なら朝起きる、しかも「あーまだ眠い、会社へ行くのはイヤだな」と思いながら起き上がり、顔を洗う、髭を剃る、せかせかと朝食をとる、着替える、カバンの中を確認する、定期、財布、鍵確認よし、靴を履く、駅へ向かってスマホでポッドキャストを聞きながら歩く、地下鉄に乗る、乗り換える、コンビニでペットボトル飲料を買う、エレベータでいつものフロアに、そして自席に着く。午前も午後も打合せ。でも昼休みには外に出る。
 
狭い自室で一日仕事

行程のかなりの部分がいま、欠落していることがわかる。

戦時下、明日の命をも知れない兵士が毎朝、仲間に「おはよう」と言って挨拶をし、わずかな水で顔を洗い、髭を剃る。今日撃ち殺されるかもしれない極限状態にあってなお、こうした兵士が生き延びると五木寛之サンのエッセイで読んだことがある。

一見面倒なルーチンは実に必要なことなのかもしれない。そうした日々の習慣が一日の時間の少しずつを埋め、その人の一日が成り立っていく。毎日行っている時は「こんな面倒な時間が無くなればもっとやりたいことがある、自由になる」とさえ思う。それが実現してしまった今、在宅疲れを感じている。

そうか、在宅疲れは「自由になってしまったことによる疲れ」なのだ。

(そんなことはないね)

2020年4月6日月曜日

今年は墓参りにはいかなかった


今日は父の命日だが今年は墓参りにはいかなかった。
 
父の眠る寺はなかなかいい

197946日は高校の入学初日だった。
登校し、自分のクラスに入ったとたん、担任教師からすぐに家に帰るよう告げられた。そんな始まりだったので、高校生活のイメージは全体としてグレーな感じがしている。おまけに直前の春休みにのんきにスキーなどいっていた。

If I had realized my father was so ill, I wouldn’t have gone skiing.
(もし父がそれほど深刻とわかっていたら、私はスキーに行っていなかっただろう)

習ったよね、英語。仮定法過去完了。これはベルリッツの先生に確認したから、正しい英語表現だ。
そう、高校生活は何となく灰色がかっているのだ。

墓参りといえば、中国でも義父、義兄の墓参りをしたことがある。日本でもにぎやかな場所に墓はないが、ハルピン市内からタクシーで小一時間くらい走っただろうか。果たしてさびしい所にあった。墓石の数が夥しく、全て形が同じだった。義姉がメモを片手に「番地」を探していく。花や線香を手向けるのは同じだが、花を挿す場所がない。

はて、どうしたものかとみていると、ガムテープ幅の透明テープをジジィーっとばかりに切り、何と生花をそのテープでとめている。おおお、ダイナミック。確かにどんなに風が吹いても飛ばない(その日はからっ風の強い日だった)。強風のため、線香は燃え尽きるまで手に持っていた。故人を偲んで酒やたばこを供えるのも同じだ。

日本と決定的に異なるのは、墓石に写真が埋まっていることだ。どのように加工して貼り付けてあるのかはわからない。「〇〇家の墓」というシンプルなものに見慣れているので笑顔でこちらを見られるのは一瞬たじろぐ。

タクシーには、待ってもらった。いったん返してしまったら二度と捕まらないような場所だった。墓参りという行事の性格上、タクシー代を値切るのもはばかられ、少しチップもわたした。

今なら配車アプリですぐ来るのだろうか。


2020年4月5日日曜日

【書籍】迷いながら生きていく 五木寛之著


迷いながら生きていく 五木寛之著

以前のエッセイで、「あれかこれか」と白黒きっぱりとはなかなかいかず、「あれもこれも」、とならざるを得ないと書いてあった。健康法ひとつとっても、〇〇は体に良い、いや、悪いといった正反対のハナシは巷にあふれている。



今回読んだ「迷いながら生きていく」で一つ驚いたのは、「七十代は黄金時代」だという。五十代半ばの自分にとって何とも希望に満ちている。(五木サンは今年米寿のはず)

五十歳からの十年は設定変更期、「下山の時代」への準備する時期。六十歳からいよいよ本格的に下山の時代、「白秋期」がスタート。六十代は「再起動」。これまでのものを手放す。七十代は「黄金時代」。人生で最も充実する時期なのだそうだ。

朝鮮半島で終戦を迎え、筆舌に尽くしがたい体験と共に「引揚者」として帰国し、人気作家として昼夜逆転の生活を長いこと続けている米寿の方の言なので、N=1とはいえ「自分にも黄金時代がこれから来るのだ」と思い込む価値がある。そう、思い込めばいいのだ。

「人生は『長さ』よりも『質』で考える」という項では、人生は長短に関わらず、「今」の連なりであり、今をいかに生きるかを考えることは、人生を考えることになると記している。先月読んだ、自省録(マルクス・アウレリウス著)のテーマの一つ、「いまを生きよ」と同じ考えだ。

こうして先人の教えや作家考えを、書籍を通じて触れることができるのはありがたい。もちろん妄信しているわけではなく、「それは違うだろう」「そういわれても自分にはできない」はいくらでもある。だって、「人間だもの」。

また、「孤独と孤立は違う」では、「孤独」とは他者のなかにあって初めて認識でき、「自分が他の人とは違う」ということを、他人と接触することではっきりと認識することから始まり実感として深まるとしている。一方「孤立」は他者との交流をあえて遮断したような、不健康な状態を示す言葉ではないかと記している。

コロナ禍による世界的な閉塞感の中では、ザイタクによって感じるのは孤立と言える。だが、五木サンの考えによればそれは「交流をあえて遮断」したことによるのだから、ネット上でいくらでも「繋がる」方法をとればいい。それでもさびしさを覚えるなら「旧式」だが電話で声を聞くというのはかなりの処方箋になるのは間違いないと思う。

「迷いながら生きていく」は、いつもスパッと決断できるものではなく、むしろそうできないことのほうが多いと言うことを、触れようとしていたら、孤立のハナシになってしまった。

2020年4月4日土曜日

下を向いて歩いてみたら


若者なら歩きスマホは日常だし、自転車スマホも見かける。危険極まりないと思いつつ、自分も電車の乗り換えなどではいじることもある。読書ならよいというのは道理がない。危険度で言えば全く同じだ。

読書といえば、小学校の同級生だったタカシ君はいついかなる時でも本を読んでいた。まつ毛が眼鏡の内側に明らかに当たっているとわかるほど長かった。「歩きながら本を読んじゃいけないんだ!」という周囲の忠告も、その比類なき読書量には効力がなかった。
ちなみに働きながら、読書にいそしんでいた二宮金次郎像も見直しが進んでいるとのこと。
学校から「二宮金次郎」像が消えている理由
 
勤勉さを見習うはずだったが

あまり気分が乗らない時は、何となくうつむき加減に歩いてしまう。そんな時に道路にある印が目に入った。黄色地に緑色のアルファベットで「G」と矢印のマークがある。小さいながらもカラフルだ。何のしるしかわからないまま、ふと見ると、そこかしこにあり、同じ黄色地に赤色の「G」もある。各戸に見られるのでガスだろうことは察しがつく。今まで全く気付かなかった。(面倒なのでこれは調べない)

赤字と緑字の二種類がある


こりゃ面白い。次に目に飛び込んできたのは「基準点」だった。アスファルトに鋲が打ってあり、そう書いてある。小学校社会科で習ったような。カラフルGに比べたら実に地味なマークだ。国土地理院HPによると、「基準点とは、地球上の位置や海面からの高さが正確に測定された電子基準点、三角点、水準点等から構成され、地図作成や各種測量の基準となるものです。」
 
ダイジな基準点
とてもダイジな点だ。にもかかわらず地味さが際立っていて、人に車に好き放題踏まれている。「G」同様こちらも気づけば似たような丸い鋲がそこかしこに。そんなに基準がたくさんあるのかと思いきや、「密集基準点」「路線測量」「都市再生街区基本調査」「街区多角点」「管理界」など様々だ。少し集めてみたくなる。
 
何がどう密集しているのか気になる

下を見ながら歩くのも楽しいことがあることがわかったが、しゃがんで写真を撮る姿は滑稽ではある。車にひかれたり、自転車に衝突しないようにしなければならない。
ポケモン、フリーザー並みの何かレアなものを探してしばらく下を見ながら歩く日が続きそうだ。


2020年4月2日木曜日

自分をだまして心地よく


人間には承認欲求がある。
確かに褒められるのは気持ちがいいし、やる気も出る。だが、50代後半になると褒められることは皆無。服でも買いに行けば店員から「お似合いですね」のひとことくらいあるかもしれないが、そもそも服も買いに行かない。


「よくできたね」「すごいね」「いいじゃん!」は無く、「元気?」「ダイジョブ?」「どこか調子悪い?」とは言われる。特に不都合はないのに普通にしていても、そういわれると気になるしへこんでくる。そういわれるということは、そういう表情をしているということだろう。だからと言って何もないのに普段から笑みを浮かべているのはオカシイ。

33年前、営業の仕事になった時に、内勤社員からは「なんでいつも怖い顔をしているの?」と言われ、得意先のご店主からは「なんか文句言ったら自殺しちゃいそうな人が来た」と言われた。どんな顔して営業回っていたのかと思う。

中学の頃から老けた顔だと言われたことはある。当時は「大人っぽい」という表現だったが、ようは老け顔だ。老け顔と怖い顔は違うと思うのだが。

小学校の卒業文集か何かで、はきはきした聡明そうな女子から「春の海のような君」と評された。ぼーっとしてハッキリしないヤツだと言われたのだ。優しい表現を知っていた彼女はどんなオバサンになったことだろう。
中学では、学校にやってきた「教育実習生」(大学生)から、「魂が抜けたような覇気がない時があるね」と酷評された。そういう人間には教師にはなってほしくないね。

ある時期を境に「顔は変えられないんですよ」という防戦から、「中学の頃からこの顔ですが、変わらないので今は若いと言われます」と反転攻勢に出ることにしている。「思い込み」は大切だ。昨日見た「ガッテン」では、長年の耳鳴りを、雑音を一晩中聞きながら寝ることで克服した例が紹介されていた。

これで腰痛が治るのか

その疾患から「注意をそらす」ことで対処できる場合があるという。別の番組では、犬を飼うことで腰痛が治ったことが紹介されていた。「そんなバカな」と思うが、疾患やコンプレックスに自分の注意力が行き過ぎてしまうことで痛みや苦しみが取れないのだ。

だから、自分を褒める、諭す、思い込む、騙す。きっと体はそれを欲しているはずだ。そして喜ぶはずだ。それで治ったり、気持ちが良くなったりすれば御の字だ。

一理も二理もありそうだが、毎朝の腰痛は治らない。

1丁目のバーガーキング

前回ハンバーガーを食べたのは、 2019 年 2 月、サンディエゴの Burger Lounge だ。滅多に食べないこと、そして滅多に行かないアメリカで食べたのでよく覚えている。彼の地に住む中学時代の同級生が連れていってくれた。アメリカーンな美味しいものだった。 最寄り駅にバーガ...