我が家から電気炊飯器が姿を消して久しい。
当初は「ありえない」と思った。タイマーをセットしておけば勝手に仕上がるし保温もできる。そんな楽ちんを捨てるなんて想像できなかった。だが、ある日アウトレットでストウブの厚手の鍋をたまたま買ってから「ご飯は鍋で炊く」が定着した。早く炊けるし何といっても抜群に美味しいのだ。
重たいが使い出がある |
いきなりご飯を炊いていただけではない。むしろ厚手の鍋料理は馬鹿の一つ覚えで筋煮込みくらいにしか使わず、寸でのところでお蔵入りになりそうだった。だがストウブバンザイなのだ。その昔は焚き木でご飯を炊いていたのが「当たり前」で、電気炊飯器は「ありえない」代物だったかもしれない。
いま、9月入学がにわかに論議されている。保守的な役所仕事を考えれば「そんな急にいわれても」となるだろうし、大学入試の英語試験一つとっても「時期尚早」で片づけられるのだから、どれだけ先のことになることやら。
だが現在、当たり前に使っている太陽暦に変わったのは明治5年12月3日、しかもその告知は前月11月9日と聞けばどうだろう。当時の混乱はいくばくか計り知れない。改暦の背景が当時の政府の財政難とも言われ、志の輔落語のまくらにもなっていておもしろい。
「旧暦には閏月が入る年があり、ちょうど翌年は13ヶ月の年に。12月初めに新暦に切り替えてしまえば、その年の12月分と、翌年の閏月分、合わせて2ヶ月分の役人への給与を払わなくて済む……。」
明治6年の元旦から始まった太陽暦。失われた月の暦とは? より
太陽暦への改暦告知はわずか1か月前 |
そう、「当たり前」は常に「ありえない」からスタートする。摩擦はつきものなのだ。それは当然だ。これまで心地よかったものがそうでなくなるのだから。ひょっとすると電気炊飯器になった時は便利になったのだから、歓迎されたかもしれない。それでもおそらく、「薪で炊いたほうがうまい」と言っていたオトーサンもいたはずだ。
36年前、商社の重役だった同級生のお父さんは、「女性が世界で働く時代だ」と熱弁していたが、ご自身の娘さんが「ニューヨークで働く」と言ったとたん、目を向いて「ならん」と言ったそうだ。いま、「Change or die」と言われ、変化し続ける者だけが生き残れると言われる時代。はて、適応できるだろうか。