2020年4月15日水曜日

【書籍】人生は苦である、でも死んではいけない


最近また一冊、「現実を突き詰められる」書籍に出会った。

「人生は苦である、でも死んではいけない」(岸見一郎著 講談社現代新書)という恐ろしいタイトルだ。和見一郎サンの本を読むきっかけは、ある番組で「自省録」(マルクス・アウレリウス著)の指南役として登場し、ご自身の体験などを踏まえ、含むような包み込むような語り口の解説に魅力を覚えたからだった。
「嫌われる勇気」の著者といったほうがピンとくるかもしれない。
 
タイトルきつめ

幸福であるためには何も達成しなくていい。いま「ある」こと、「生きていること」がそのまま幸福なのだが、成功を目指していると終わりはない、と述べている。

助かる。
いまここに存在すること、そして生きていることが幸せなのだ。それだけでよいなら幸せになれそうだ。また、「生きていること」、いまここに「ある」こと、「存在していること」自体が大きな価値なのだという。「人はただ生きている、存在しているだけですごいことなんだ」とする五木寛之サンの言に通ずる。

また、
「自分を暗いと思い、そんな自分を好きになれないという人は、明るいことがいいことだという世間一般の価値観を基準にして現実の自分を判定しているので、自分を受け入れることができないのだ。自分が暗いと思っている人は、暗いのではなく優しいのだ」と、どこまでも優しい。

アドラーに関する著作も多いのに、アドラーの言葉を全面的に受け入れているわけでもない。
私は先に引いた「私に価値があると思えるのは、私の行動が共同体にとって有益である時だけである」というアドラーの言葉を次のように変えたいと思う。
「私に価値があると思えるのは、私の存在が共同体にとって有益である、そう私に感じられる時だけである」
有益であると「感じられる」としたのは実際に有益なことができるかどうかは全く問題ではないからだ。

どうも、アドラーセンセイの言葉は自分には「キラキラ」し過ぎていて、「わかっちゃいるけどそれできたら苦労しないよ」というものが多い。エリート社員が研修か何かで読んで、実践してしまいそうなフレーズが並んでいるように思う。

そんな優しい慈愛に満ちた本の最後のほうに、しかしながら目を見張る結末が待っていた。二匹の蛙が壺に落ち、一匹は何もせずに溺れ、もう一匹は必死にもがいた結果、助かったというたとえ話が書かれている。そして最後にこう記してある。

「人間もまた、ミルク壺に落ちた蛙のようである。その現実から目を背けるわけにはいかない。だがあきらめてしまうのでも、何か自分を超えた力が働いて何とかなるだろうと考えて何もしないのでもなく、できることをしていくしかない」

おおお、これじゃ苦しみ、困難、課題など直面した全ての壁に、やはり「対峙するしかない」という結論になっている。ブッダもマルクス・アウレリウスも、アドラーも煎じ詰めるとどうしてもこういう結果になっている。

厳しいネ。



0 件のコメント:

コメントを投稿

1丁目のバーガーキング

前回ハンバーガーを食べたのは、 2019 年 2 月、サンディエゴの Burger Lounge だ。滅多に食べないこと、そして滅多に行かないアメリカで食べたのでよく覚えている。彼の地に住む中学時代の同級生が連れていってくれた。アメリカーンな美味しいものだった。 最寄り駅にバーガ...