今日は父の命日だが今年は墓参りにはいかなかった。
1979年4月6日は高校の入学初日だった。
登校し、自分のクラスに入ったとたん、担任教師からすぐに家に帰るよう告げられた。そんな始まりだったので、高校生活のイメージは全体としてグレーな感じがしている。おまけに直前の春休みにのんきにスキーなどいっていた。
If I had
realized my father was so ill, I wouldn’t have gone skiing.
(もし父がそれほど深刻とわかっていたら、私はスキーに行っていなかっただろう)
習ったよね、英語。仮定法過去完了。これはベルリッツの先生に確認したから、正しい英語表現だ。
そう、高校生活は何となく灰色がかっているのだ。
墓参りといえば、中国でも義父、義兄の墓参りをしたことがある。日本でもにぎやかな場所に墓はないが、ハルピン市内からタクシーで小一時間くらい走っただろうか。果たしてさびしい所にあった。墓石の数が夥しく、全て形が同じだった。義姉がメモを片手に「番地」を探していく。花や線香を手向けるのは同じだが、花を挿す場所がない。
はて、どうしたものかとみていると、ガムテープ幅の透明テープをジジィーっとばかりに切り、何と生花をそのテープでとめている。おおお、ダイナミック。確かにどんなに風が吹いても飛ばない(その日はからっ風の強い日だった)。強風のため、線香は燃え尽きるまで手に持っていた。故人を偲んで酒やたばこを供えるのも同じだ。
日本と決定的に異なるのは、墓石に写真が埋まっていることだ。どのように加工して貼り付けてあるのかはわからない。「〇〇家の墓」というシンプルなものに見慣れているので笑顔でこちらを見られるのは一瞬たじろぐ。
タクシーには、待ってもらった。いったん返してしまったら二度と捕まらないような場所だった。墓参りという行事の性格上、タクシー代を値切るのもはばかられ、少しチップもわたした。
今なら配車アプリですぐ来るのだろうか。

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