2021年6月28日月曜日

太平洋の海底から「クリエイター」は発信し続けるべし!

Noteで駄文を晒し始めて3週間が経過した。

いろいろな方の実にさまざまなnoteを見ると、励まされ、勇気づけられ、楽しくもなり、また心配したりする。

海は広いな大きいな


・孤島でひとり悩んでいるような

・当てもなくさまよっているような

・それからどうなったんだろうと思うような

・で、なに?と思うような・・・(この文がそうでもあるが)

 

多様な文章に出会う。

そうして何か書いてお金が入れば、なんて考えている人はゴマンといるだろう。自分も物書きにでもなれればと思う時がある。だがこのまま綴っていてもその可能性は極めて低いことも分かっているし、そもそも文筆業の方に対して、「にでも」とは失礼だ。

 

うつで会社を休んだ人はなぜ喫茶店のマスターにでもなろうと思うのか」を書いて思ったのだが、なんとなくなれそう、できそうと思っていることと、実際になれる、できることの差は実に大きい。

 

それでも発信し続けることの意味はあるように思う。

たとえそれがネット上の文字・情報の洪水、大海、深海の中に紛れているとしてもだ。

 

航空機事故で事故原因の究明に大切な「フライトレコーダ」は衝撃に強く、高耐腐食性、高耐で、最大30日間、最大6000メートルの深さに沈んでも、超音波で「ピング」を放出するよう設計されているという。(Wikiブラックボックスより抜粋)

 

海の底からでも超音波を発信し続けるフライトレコーダの如く、noteにおいて「クリエイター」である書き手は発信し続けることに大きな意味がある、と改めて思う。それが誰かを元気づけ、励まし、鼻で笑われたり、呆れられたり、感心させたりする。それって自分のためでもある。

 

それでいいじゃん。

 

2021年6月27日日曜日

美味しいお店

noteで「美味しいお店」というお題を見かけた。

みなの思い思いのお気に入りが記されている。

だが、本当のお気に入りの店は、教えないものだ。自分が好きなのは小さい店ばかりで入れなくなったら困るからだ。

美味しい店と言っても様々で、普段通う居酒屋から、海外旅行で1度きり行ったが忘れられない店まで幅が広すぎる。

ONE HARBOR ROAD ここは別格

香港の広東料理といえばOne Harbor Roadだ。実に洗練されていてサービスも一流、そりゃグランドハイアットだからね。台湾の紅焼牛肉麺ならオフィスの前の無名店。素朴ながらインパクトのある赤さが食欲をそそった。

 

よく行く寿司屋なんていうと生意気だが、「海幸」(東京都江東区)はリーズナブルで常に行列ができる人気店。ここは予約もできないから書いてもいいか。 コロナで客数は少なくなっているものの、それでも繁盛店だ。

果たして自分が通うのは居酒屋になるのだが、好みの要素が何かを考えてみた。すると3つの条件があるように思う。

 

・たたずまい

・必ず食べたいと思う一品があるか

・客層

 

いずれも大事だ。

飲食なだけに清潔感は無いと困る。だが外観、店内も古くてボロくてもかまわない。思わず、「ガラガラ」と入口を開けてみたくなるような「たたずまい」は、それだけで絵になるものだ。

 

またその店のオリジナルメニューが何品かあると通う原動力になる。山海の珍味でなくて構わない。これだけは完全自家製など、店のカラーが欲しい。そして味でもサービスでもなく、「客層」は店の雰囲気を醸し出す大きな要素。当然自分もその一人だ。

 

酔うのだから大声で盛り上がる客はもちろんいる。それを否定はしないが、店のハコ(大きさ)に比べて騒音になっていれば、とっとと出るかな。自分だって毎回黙ってしんみり飲みたいわけではない。だが限度ってものがある。

 

店で飲める日が早く来るといいなぁ。

2021年6月18日金曜日

呼吸が1分で3回になった!

瞑想。

怪しい宗教でもなく、Meditationは今や世界的に行われている。それが好きとか嫌いとか、効果があるのかないのか、自身の日常となっているのか否かはこの際どうでもいい。以前から知ってはいるがものすごく興味があったわけでもなく、ましてこの手の教室に通おうと思ったわけでもない。

でもなんだか純粋に、やってみよう、と思ってやってみた。

こんな環境でできたらいいね


たまたま出会ったこちらのサイトによると、一般的な呼吸回数は1分間に1218回らしい。今やってみたところ、17回だった。一応この範疇に入っている。

https://job-medley.com/tips/detail/1117/

バイタルサインとは? おさえておきたい正常値(基準値)と測定方法

 

今日午前中、瞑想というよりは、呼吸をゆったり、意識してひたすらゆったりしてみた。苦しくなってはかえってゼーハーして早くなってしまうので、時間をかけてトライ。するとだんだんと数が少なくなってきて、しまいには1分間で3回になった。20秒で1呼吸ということになる。

 

苦しくはない。落ち着いた気分になれる。アクセントに「沈香」を焚いてみた。これも良かったかもしれない。

https://www.nhk.or.jp/shinyabin/karadano200324.html

【呼吸瞑想】…息を吸って、吐く、ということに注意を向ける瞑想

 

呼吸法、マインドフルネス、ヨガ、瞑想・・・。

いずれにも造詣は深くないが、やってみると心地よいということはわかる。今日分かったことは、呼吸はゆっくりにできて気持ちは落ち着いたが、それで瞑想になっているのかどうかはわからない。少し学んでみるのもいいかもしれない。

 

(たぶんそんな真面目にはやらないと思うけど)

 

 

 

2021年6月17日木曜日

忘れられない味・初めての味


中国書籍の検索をしていたら台湾の食品のページを見かけた。台湾といえば「牛肉麺」。そして牛肉麺といえば紅焼牛肉面だ。かつて出張時には必ず食べに行った。会社の前の、何ということはない小さな店の真っ赤なスープがたまらなく美味しかった。辛さもちょうどよく、高菜も入れ放題。安上りだった。

 

忘れられない味はいくつかある。

今でこそポピュラーだが、1990年に北京の四川飯店で出会った「酸辣湯」は衝撃的だった。酸っぱいのはわかる。辛いのもわかる。だが酢と胡椒などの合体からなる「酸っぱ辛い味」を、初回は好きになれなかった。初めて過ぎて堪能できなかった。だが、二度目からは正に病みつきになった。熱くて酸っぱいのでむせないよう、注意したほうがいい。

 

次はその北京語言学院(現北京語言大学)で学んでいた当時、家庭教師をお願いしていた図書館員のおばさんの家で出していただいた「炸面」(炸醤麺:じゃーじゃんめん)。これもシンプル素朴の極みで、その後何度も作っていただいた。ひき肉の味噌炒めときゅうりの細切りを冷やし麺にのせてかき混ぜて食べるスタイル。そのおばさんは全く日本語を解さなかったため、コミュニケーションには苦労したが、美味しい物への感謝は伝わったと勝手に思っている。

 

最後は(本当はもっとある)語言学院の留学生食堂のレギュラーメニュー、豚肉じゃがいもピーマン味噌炒め。青椒肉とか,土豆肉だと思うが、肉の「」は細切りであるのに対して、学食では豚肉とじゃがいもがサイコロにカットされていた。甜麵醬の甘みが程よく、夕食時にはビールのつまみによく頼んだ。当時おかずがひと皿2元、燕京ビール大瓶が1.5元だったかな。

 

ずいぶん素朴なものばかり並んだが、何度食べても飽きないというところがポイントか。

 

ちっとも中国書籍のハナシにはならなかった…。

 

 

2021年6月14日月曜日

“雨の日と月曜日は” vs. “Walk between the rain drops.”

足踏みしていた関東の梅雨入り。入ったからといって突如降り続くわけでもない。むしろ薄日が差して、「梅雨入りしたとみられる」という気象庁のあいまい表現を小ばかにしている。

ぬれた路面を走る車の音、窓に当たる水滴、近くの雨どいからこぼれる水音。そんななか聞こえるか聞こえないかくらい小さなラジオの音。雨降りは、家の中にいる限り、そう悪くはない。

めっちゃ楽しそう


これまでは、雨が降っただけで訳もなく落ち込んだり、何も手につかなかったりしたが、今はそうしたこともない。

 

在宅勤務中であるにもかかわらず、ギターを手に取ってyoutubeで好きな曲に合わせて弾いてみたり、背筋を鍛える新聞記事を読んで実行してみたり、昼食時の食器を洗ったり、豆菓子をつまんだり、退職したら何をしようか考えてみたり、今月の中国語検定2級のテキストを見たり(ぼんやり眺めるだけだが)、カメに餌をやったり。

 

カーペンターズで「雨の日と月曜日は」という曲がある。

Rainy days and Mondays always get me down.

という歌詞が出てきて、Mondaysがつくことと、洋の東西を問わずやはり雨と月曜は鬱陶しいのだということを知った。

 

いっぽう、雨なのにめっぽう明るいSingin' in the Rain(映画:雨に歌えば)や、

https://www.youtube.com/watch?v=edvN1DfRTZI

 

雨の中で恋人と仲直り?する、Donald FagenWalk between the rain drops.は、「雨の日と・・・」とはだいぶ様相が異なり、「雨も悪くないね」という気分にさせてくれる。

https://www.youtube.com/watch?v=CpJRc4RZPqE

 

「雨宿り」(さだまさし)をしても恋人と出会うようなことはそうは起こらないが、あるとすればやはり「始まりはいつも雨」(チャゲ&飛鳥)か。それも「こぬか雨」(EPO)がいい。「2000トンの雨」(山下達郎)の様な豪雨は困るが、「雨のMelody」(kinki-kids)を聞きながら「雨の街を」(松任谷由実)をあてもなく歩いていると「雨のステイション」(ハイファイセット)にたどり着く。「みずいろの雨」(八神純子)、「数えきれない雨」(憂歌団)に降られ、「雨に泣いてる」(柳ジョージ&レイニーウッド)けど、「雨に抱かれて」(松雪泰子)「雨にぬれても」(バートバカラック)かまわない。でもやっぱり「雨の日はうちにいて」(山下久美子)過ごすのがいいか。

まだまだありそう。

2021年6月7日月曜日

蚊取り線香は本当に蚊を落とすのか

落とす。

その瞬間を見たことがある。蚊はCM出演を約束されたかのように、フラフラと力なく落下した。その威力たるや。

キンチョウ以外に蚊取り線香なるものが存在するのかどうか、知らない。調べれば出てくるだろうがそんなことはしない。それほど「キンチョウの夏、日本の夏」として刷り込まれている。

このサイズで3時間燃焼


今年もその季節がやってきた。といっても毎年律義に蚊取り線香を焚いていたわけではない。むしろ数十年ぶりに買ってみた。しかもあの見慣れた緑色ではない。「天然除虫菊」という黄色でもなく、茶色でもなく、黄土色のあまり見たことのないタイプだった。緑のタイプと明らかににおいは異なるが、同時に着火したわけではないのでうまく説明できない。

 

いくら100%天然植物成分使用と外箱に書いてあるからといって、思い切り吸い込んでみようとは思わない。香として焚くのもアリかと思いきやそこはやはり蚊取り線香。鳩居堂で買ってきた「沈香」のようにはいかない。その煙とにおいで蚊を殺傷するのだ。それに「観賞魚」と「飼育昆虫」のいる部屋では使うなと書いてある。

 

箱の記載で驚いたのは、社名が「大日本除虫菊株式会社」ということだった。てっきり株式会社キンチョーだと思っていた。商品を買っても、使い方を知っている物は使用上の注意を読むことはないし、よって社名の記載までたどり着くことはない。ユニークなCMは記憶にあるが、キンチョウというだけで、社名をコミュニケーションに使う必要がないわけだ。

 

ところで蚊取り線香の器といえばなぜか豚なのだが、それには2つの節があるらしい。1つは養豚業者が豚のために蚊取り線香を土管で焚いていたがその形が変化したもの。もう1つは江戸時代に枯葉やおがくずなどを燻した煙で蚊を追い払っていた入れ物が、大きめの徳利のようなもの(これがイノシシの様な形をしていた)を使っていたという節だ。

https://story.nakagawa-masashichi.jp/70112

中川政七商店の読みものより

 

わざわざ豚を買いに行くのはためらわれるので、あまり使っていない中華皿で代用している。今さっき、蚊を目撃した。いっきに手打ちにしてやろうと思ったが、またCMばりの落下を見たくなり、逃がした。全く本末転倒だ。

2021年6月3日木曜日

しっぽを振らない黒い犬

やる気が出ない、だけならいい。

迫りくる見えない不安にボディプレスを食らい、呼吸も苦しい。立ち上がるどころか這い出す先さえわからない。先週片づけると上司に約束しておいたプレゼン資料が1ミリも完成していないとか、明日海外現地法人と英語で会議をしなくてはいけないといった期限付きの具体的恐怖。また、鬱々たる気分の果てに陥る自分の無力さ、非力さが増幅して津波のように自分に押し寄せる、つかみようのない不安もある。ぬるっとした粘着質な何かが目や口や鼻や耳にまでまとわりつき、窒息しそうなほどの苦しみを感じる時もある。

I had a black dog, his name was depression.


そしてどう対処しようとしても、逃れられない時がある。日時が決まっている恐怖はそれが過ぎるまで待つしかない。それまでどんなに落ち着かなくても、飯が食えなくても、心配で眠れなくても他に方法がない。そのかわり、その1時間なり、半日なり、当日が過ぎてしまえば、仮に多少の叱責(例えば資料ができていなかったとか)はあるにしても、跡形もなくなる。あれだけ思い煩っていたのが全く信じられないほど、滑稽なほど何も残らない。

 

では時限的でない、慢性的な苦しみにはどう対処すべきだろう。

     対峙

     気分転換

     共存

     逃避

これまでの経験上、その苦しみや恐怖を克服する場合は、対峙するしか道はないことはわかっている。拝んでいれば救われると思っていた仏教でさえ、「自分の問題から逃げず、しっかり困ったり、悩んだりすること」(禅僧が教える 心がラクになる生き方:南直哉著)とある。なかなか手厳しい。

 

気分転換もいろいろやってはみるが、たいがいはうまくいかない。不安や苦しみと共存する、すなわちうち勝とうとか、克服してやろう、などと思わない方法がある。現実にはこのパターンを結果的に選択せざるを得ないのだが、これにはテクニックを要する。ネガティブ要素がそこにいるのに、それが無いかの如く暮らすのは実に難しい。

 

黒い犬として表現されている「鬱」は、飼いならしていくしかない。散歩には常についてくるくせに、ヤツはなかなか尻尾を振ってはくれない。だがいつか、あんなに苦しむ元となった黒い犬を慈しむ時が来る。必ず来る。そう思うことにしている。

1丁目のバーガーキング

前回ハンバーガーを食べたのは、 2019 年 2 月、サンディエゴの Burger Lounge だ。滅多に食べないこと、そして滅多に行かないアメリカで食べたのでよく覚えている。彼の地に住む中学時代の同級生が連れていってくれた。アメリカーンな美味しいものだった。 最寄り駅にバーガ...