2019年12月30日月曜日

The Hottest Band in the World KISS


You wanted the best, and you got the best, the hottest band in the world, KISS!

アメリカのロックバンド、KISSの最後の日本公演が終わった。これまで何度も「フェアウェルツアー」をやっていたが彼らの年齢を考えるとさすがに今回はホントに最後だ(と思う)。ベースのジーン・シモンズは70歳、ギターのポール・スタンレーも68歳なのだから。
END OF THE ROADと銘打った今回のツアーは20191月にバンクーバーでスタートした。202112月のニューヨークで終わると発表されたのは先日のことだ。
According to Ultimate Classic Rock, KISS have revealed that their final concert will take place July 17th, 2021 in New York City at an unspecified venue.
ようは、場所も決まっていないし、それまで続けられるかどうか・・・。
KISS LIVE at VIEJAS arena


日本での開催が明らかになったのは6月中頃。そうなるとは知らない2月、旧友が住むサンディエゴで行われた同ツアーを見に行った。見納めとなる前に、彼らの「ホームカントリー」でのパフォーマンスが見たい。その一心だった。

KISS1973年に活動開始のようで、初来日は1977年春。チケットをどうやって手に入れたのか覚えていないが、同級生T君と見に行った。花火が轟き、火柱が上がり、血反吐のパフォーマンはその時すでに確立していた。アップデートされながら今も続くそのスタイルはもはや「伝統芸能」と言える。

さてサンディエゴ。会場はVIEJAS arenaだ。
家族連れも多く、開演前は記念写真を撮りあったりして和やかだったが、ひとたび始まればそれはやはりロックコンサートだ。演出はド派手を通り越している。花火大会が目の前で行われているようなものだ。興奮した。友人が携帯で録った一曲目、デトロイトロックシティでは曲よりも火柱を吹き出す音のほうが大きく残っていて、イントロの演奏など聞こえないほどだった。オーラスのロックンロールオールナイトでは全席にまで紙吹雪の嵐が舞い降り、バルーンも会場中を飛び交った。大興奮で終わったLIVE。さすがホーム。もう思い残すことはない。

なのに、逡巡しながらも1211日の東京ドームコンサートチケットを入手した。楽しみで待ちきれなかった。ライブパフォーマンス再び。東京ドームのオープニングもデトロイトロックシティだ!来るぞ、火柱どーん!
「あれ?」
花火半分?テクニカル故障?
消防法により、火薬の使用量に制限があるらしい。イケてないねぇ。
サンディエゴへ行ったのは正解だった。
1977年の初来日、2019年の最終公演。どちらも見て大満足。

2019年12月21日土曜日

ウキウキする冬の曲は?

音楽①

もう何年もカラオケに行かなくなり、ギターもベースも処分した。500枚ほどあったCDは200枚以下になった。気づけば音楽は生活からほぼ失われていた。

今年はじめ、休暇を取っていた時に部屋を片付けていると、持っていたCDや気に入った曲がしこたま入った外付けHDDを見つけた。ほこりを拭い、パソコンにさしてみた。シュルシュルと静かな音を立てながら、フォルダが表示される。20ギガ以上ある。
何を聞こうかファイル名を見て迷っていると、14,5年前に作った「プレイリスト」があった。Yahooトピックスの中の音楽部屋でかけていたため、いろいろなジャンルの曲を集め、流す順番もそれなりに付けていた。そういう編集は好きだった。ダンサブルな曲を集めたり、インストだけを集めたり。「和洋中」などとリストにタイトルをつけ、中国の曲を混ぜたりもした。

「土曜の午後」というリストが複数あり、カシオペアのルッキングアップや、EPOのダウンタウンでスタートする明るい曲が続いている。その頃そういう志向だったのだろう。「ちょっとウキウキ」リストには、「土曜の夜はパラダイス」やDonald Fagen 「WALK BETWEEN THE RAIN DROPS」が。今聞いてもちょっとウキウキする。
「冬とクリスマス」には、ケミストリーの「My Gift To You」、ユーミンや大貫妙子、そしてマイケルフランクスの「Christmas in Kyoto」なんていう曲も。

70年代ディスコから志の輔らくごまでかなり雑多で膨大な音楽(?)ファイル。目移り(耳移り)してしまう。ずっとかけていても、一生かかっても聞ききれないだろう。

これから新しいウキウキ(曲)に出会えるだろうか。

2019年12月8日日曜日

できない自分を責めている限り、永遠に幸せにはなれない?(アドラー)


アルフレット・アドラー、「人生に革命が起きる100の言葉」(小倉広著)を読むと、いくつか気づかされることがある。「自己啓発の父」と言われるアドラー。世の「自己啓発本」には「成功するためのたったこれだけの習慣」といった類が多い。いとも簡単に見えるが結局、ほとんど誰にも成し得ない「習慣」が書いてあるのだ、というのは読書嫌いでひねくれ者の考えだろうか。


人生は過去に縛られているわけではない。あなたの描く未来があなたを規定しているのだ。過去の原因は「解説」にはなっても「解決」にはならないだろう。

そうかもしれない。
何でもかんでも後付けだ。自分が今ひねくれているのは小中学校の成績が劣等だったからだ、高校時代が灰色に見えるのは父が入学式の日に亡くなったからだ、仕事でうつになったのはおかしな先輩がいたからだ。過去の成績も、父が亡くなったことも、おかしな先輩がいたことも、それがなかった時には戻れないのだから、解決になるはずがない。
今この瞬間の、一瞬先の連続(=未来)は誰にも分らない。よって、過去も未来も解決には結び付きそうにない。
未来が自分を規定しているとはどういうことだろう。未来は自分でいかようにもできるということだろうか。ちょっと思慮が足りないか。


できない自分を責めている限り、永遠に幸せにはなれないだろう。今の自分を認める勇気を持つ者だけが本当に強い人間になれる。

そうかもしれない。
ずいぶん自分を責め続けてきたように思う。特に理由はない。だが今年は「できない自分を責めている自分」を大いに認めたと思っている。さてそれで強い人間になれるのだろうか。


「気づきを得る」という言葉をよく聞く。何かに当たるまで歩き続け、探し続け、考え続ける。仕事でよい結果をもたらした時は「もう死ぬ」くらい考えて考え抜いた後だった。今後はどうだろう。歩き続けて終わるかもしれない。だがそれはそれで意味のあることなのだ、と思いたい。

2019年12月1日日曜日

うつ病とうつの決定的な違い

明快な基準はないという。

「ちゅーとはんぱやなー」というギャグの漫才師を思い出すが、とても簡易に記してあるサイトがあった。
(日医ニュース健康プラザNo.464

自身でも経験上、明快な基準を持っている。「うつ病」と「うつ(状態)」の間にはおそらくマリアナ海溝のごとく深く大きな違いがあり、うつ病は決して「心の風邪」ではない。
マリアナ海溝(らしい)
それは「自死を感じるかどうか」だ。これは重い。
上記の日医ニュース健康プラザでは、「自分の体を傷つけたり、死んだほうがいいと思ってしまう」と記されている。また、神戸市医師会のうつの判断基準では「死についての反復思考、自殺念慮、自殺企図」とある。
http://www.kobe-med.or.jp/kobe_G-P_net/shindan.html うつ病の判断基準(神戸市医師会HP) 

他の項目が、食欲減退、体重減少または増加、不眠または睡眠過多、気力減退などと栄養ドリンクで何とかなりそうな気がするのに対し、自死は別格だ。

この別格が自分に訪れてしまったのが2000年の冬だった。大江戸線の線路に吸い込まれそうだった。

「ひょいと気軽に道路の白線をまたぐように、人は日常生活を投げだすこともありえないことではない」(「大河の一滴」五木寛之著・幻冬舎文庫)。

まさに白線をまたげば線路だった。今思うとぞっとするが、そういう感覚になってしまうのが「病」たる所以だと強く思う。風邪を引けばインフルエンザでも一週間で快復する。だがこっちはどうだ。
「心の風邪」などという「やわな表現」は絶対にやめてほしいのだ。

自分の中で最も苦しかった「2000年問題」から脱出できたのは幸いだった。それと比べればこの数年の落ち込みなど相対的には「ハッピー」とさえ思える。そう思えるのも、今現在が落ち着いているからに他ならない。あんなに悩んでいたことが実に馬鹿げて見える。「喉元過ぎれば熱さを忘れる」という。

そこまでカンタンではないにしろ、病も心もやはり厄介モノだ。

1丁目のバーガーキング

前回ハンバーガーを食べたのは、 2019 年 2 月、サンディエゴの Burger Lounge だ。滅多に食べないこと、そして滅多に行かないアメリカで食べたのでよく覚えている。彼の地に住む中学時代の同級生が連れていってくれた。アメリカーンな美味しいものだった。 最寄り駅にバーガ...