2019年12月30日月曜日

The Hottest Band in the World KISS


You wanted the best, and you got the best, the hottest band in the world, KISS!

アメリカのロックバンド、KISSの最後の日本公演が終わった。これまで何度も「フェアウェルツアー」をやっていたが彼らの年齢を考えるとさすがに今回はホントに最後だ(と思う)。ベースのジーン・シモンズは70歳、ギターのポール・スタンレーも68歳なのだから。
END OF THE ROADと銘打った今回のツアーは20191月にバンクーバーでスタートした。202112月のニューヨークで終わると発表されたのは先日のことだ。
According to Ultimate Classic Rock, KISS have revealed that their final concert will take place July 17th, 2021 in New York City at an unspecified venue.
ようは、場所も決まっていないし、それまで続けられるかどうか・・・。
KISS LIVE at VIEJAS arena


日本での開催が明らかになったのは6月中頃。そうなるとは知らない2月、旧友が住むサンディエゴで行われた同ツアーを見に行った。見納めとなる前に、彼らの「ホームカントリー」でのパフォーマンスが見たい。その一心だった。

KISS1973年に活動開始のようで、初来日は1977年春。チケットをどうやって手に入れたのか覚えていないが、同級生T君と見に行った。花火が轟き、火柱が上がり、血反吐のパフォーマンはその時すでに確立していた。アップデートされながら今も続くそのスタイルはもはや「伝統芸能」と言える。

さてサンディエゴ。会場はVIEJAS arenaだ。
家族連れも多く、開演前は記念写真を撮りあったりして和やかだったが、ひとたび始まればそれはやはりロックコンサートだ。演出はド派手を通り越している。花火大会が目の前で行われているようなものだ。興奮した。友人が携帯で録った一曲目、デトロイトロックシティでは曲よりも火柱を吹き出す音のほうが大きく残っていて、イントロの演奏など聞こえないほどだった。オーラスのロックンロールオールナイトでは全席にまで紙吹雪の嵐が舞い降り、バルーンも会場中を飛び交った。大興奮で終わったLIVE。さすがホーム。もう思い残すことはない。

なのに、逡巡しながらも1211日の東京ドームコンサートチケットを入手した。楽しみで待ちきれなかった。ライブパフォーマンス再び。東京ドームのオープニングもデトロイトロックシティだ!来るぞ、火柱どーん!
「あれ?」
花火半分?テクニカル故障?
消防法により、火薬の使用量に制限があるらしい。イケてないねぇ。
サンディエゴへ行ったのは正解だった。
1977年の初来日、2019年の最終公演。どちらも見て大満足。

2019年12月21日土曜日

ウキウキする冬の曲は?

音楽①

もう何年もカラオケに行かなくなり、ギターもベースも処分した。500枚ほどあったCDは200枚以下になった。気づけば音楽は生活からほぼ失われていた。

今年はじめ、休暇を取っていた時に部屋を片付けていると、持っていたCDや気に入った曲がしこたま入った外付けHDDを見つけた。ほこりを拭い、パソコンにさしてみた。シュルシュルと静かな音を立てながら、フォルダが表示される。20ギガ以上ある。
何を聞こうかファイル名を見て迷っていると、14,5年前に作った「プレイリスト」があった。Yahooトピックスの中の音楽部屋でかけていたため、いろいろなジャンルの曲を集め、流す順番もそれなりに付けていた。そういう編集は好きだった。ダンサブルな曲を集めたり、インストだけを集めたり。「和洋中」などとリストにタイトルをつけ、中国の曲を混ぜたりもした。

「土曜の午後」というリストが複数あり、カシオペアのルッキングアップや、EPOのダウンタウンでスタートする明るい曲が続いている。その頃そういう志向だったのだろう。「ちょっとウキウキ」リストには、「土曜の夜はパラダイス」やDonald Fagen 「WALK BETWEEN THE RAIN DROPS」が。今聞いてもちょっとウキウキする。
「冬とクリスマス」には、ケミストリーの「My Gift To You」、ユーミンや大貫妙子、そしてマイケルフランクスの「Christmas in Kyoto」なんていう曲も。

70年代ディスコから志の輔らくごまでかなり雑多で膨大な音楽(?)ファイル。目移り(耳移り)してしまう。ずっとかけていても、一生かかっても聞ききれないだろう。

これから新しいウキウキ(曲)に出会えるだろうか。

2019年12月8日日曜日

できない自分を責めている限り、永遠に幸せにはなれない?(アドラー)


アルフレット・アドラー、「人生に革命が起きる100の言葉」(小倉広著)を読むと、いくつか気づかされることがある。「自己啓発の父」と言われるアドラー。世の「自己啓発本」には「成功するためのたったこれだけの習慣」といった類が多い。いとも簡単に見えるが結局、ほとんど誰にも成し得ない「習慣」が書いてあるのだ、というのは読書嫌いでひねくれ者の考えだろうか。


人生は過去に縛られているわけではない。あなたの描く未来があなたを規定しているのだ。過去の原因は「解説」にはなっても「解決」にはならないだろう。

そうかもしれない。
何でもかんでも後付けだ。自分が今ひねくれているのは小中学校の成績が劣等だったからだ、高校時代が灰色に見えるのは父が入学式の日に亡くなったからだ、仕事でうつになったのはおかしな先輩がいたからだ。過去の成績も、父が亡くなったことも、おかしな先輩がいたことも、それがなかった時には戻れないのだから、解決になるはずがない。
今この瞬間の、一瞬先の連続(=未来)は誰にも分らない。よって、過去も未来も解決には結び付きそうにない。
未来が自分を規定しているとはどういうことだろう。未来は自分でいかようにもできるということだろうか。ちょっと思慮が足りないか。


できない自分を責めている限り、永遠に幸せにはなれないだろう。今の自分を認める勇気を持つ者だけが本当に強い人間になれる。

そうかもしれない。
ずいぶん自分を責め続けてきたように思う。特に理由はない。だが今年は「できない自分を責めている自分」を大いに認めたと思っている。さてそれで強い人間になれるのだろうか。


「気づきを得る」という言葉をよく聞く。何かに当たるまで歩き続け、探し続け、考え続ける。仕事でよい結果をもたらした時は「もう死ぬ」くらい考えて考え抜いた後だった。今後はどうだろう。歩き続けて終わるかもしれない。だがそれはそれで意味のあることなのだ、と思いたい。

2019年12月1日日曜日

うつ病とうつの決定的な違い

明快な基準はないという。

「ちゅーとはんぱやなー」というギャグの漫才師を思い出すが、とても簡易に記してあるサイトがあった。
(日医ニュース健康プラザNo.464

自身でも経験上、明快な基準を持っている。「うつ病」と「うつ(状態)」の間にはおそらくマリアナ海溝のごとく深く大きな違いがあり、うつ病は決して「心の風邪」ではない。
マリアナ海溝(らしい)
それは「自死を感じるかどうか」だ。これは重い。
上記の日医ニュース健康プラザでは、「自分の体を傷つけたり、死んだほうがいいと思ってしまう」と記されている。また、神戸市医師会のうつの判断基準では「死についての反復思考、自殺念慮、自殺企図」とある。
http://www.kobe-med.or.jp/kobe_G-P_net/shindan.html うつ病の判断基準(神戸市医師会HP) 

他の項目が、食欲減退、体重減少または増加、不眠または睡眠過多、気力減退などと栄養ドリンクで何とかなりそうな気がするのに対し、自死は別格だ。

この別格が自分に訪れてしまったのが2000年の冬だった。大江戸線の線路に吸い込まれそうだった。

「ひょいと気軽に道路の白線をまたぐように、人は日常生活を投げだすこともありえないことではない」(「大河の一滴」五木寛之著・幻冬舎文庫)。

まさに白線をまたげば線路だった。今思うとぞっとするが、そういう感覚になってしまうのが「病」たる所以だと強く思う。風邪を引けばインフルエンザでも一週間で快復する。だがこっちはどうだ。
「心の風邪」などという「やわな表現」は絶対にやめてほしいのだ。

自分の中で最も苦しかった「2000年問題」から脱出できたのは幸いだった。それと比べればこの数年の落ち込みなど相対的には「ハッピー」とさえ思える。そう思えるのも、今現在が落ち着いているからに他ならない。あんなに悩んでいたことが実に馬鹿げて見える。「喉元過ぎれば熱さを忘れる」という。

そこまでカンタンではないにしろ、病も心もやはり厄介モノだ。

2019年11月24日日曜日

限りない癒し・その3



一人飲み。

それは暗い、みじめだ、いけない、という人もいるが実に心地よい。
五年くらい前までは友人と飲みに行く機会が多かったので、一人で飲んでいる五六十代の人を見ると、なんだか寂しそうに見えた。

一人で食事をする人は鬱になりやすいといった統計もあるようだ。だがちょっと待ってほしい。高齢者が爆発的に増え、単身世帯も増え続け、2040年には単身世帯が40%を占めるという予測がある。何ということはない、みな「孤食」なのだ。

それなら、みじめなどと言わず、孤食も一人飲みも楽しみたい。
今や居酒屋に一人で入るのに何の躊躇いもない。一人客は案外多いものだ。(たまに常連客で埋め尽くされた店に入った時は若干構えるが)

何度か通うと店の特徴がわかってくる。
「あ、あの人この前もいたな」「みんな串モノから先に頼んでいる」「ハイボールと言っているのはこの店では焼酎だな」などいろいろ分かってくる。〇〇建設の服をきた鳶は色っぽい女性をいつも連れてくるし、飲みものと肴が決まっていて何も言わずに勘定をぴったり払う人もいる。厚揚げをいつも二人前頼む人には「厚揚げ先輩」と勝手にあだ名をつけた。

居酒屋だからと、無理やり店の人と話す必要もなければ、まして見知らぬ客同士で盛り上がる必要もない。(そうしたければもちろんそうすることもできる)

ちなみに、自分が思う居酒屋三要素は、①たたずまい、②客、③次にまた来られる価格だ。古びた店構えが良いとは限らないし、自分自身も「客」の構成要素となる。そして背伸びした金額だと気に入っても二度と来られない。これでは意味がない。お気に入りを少しずつ増やし、手持ちカードが増えていくのは大層愉快だ。

一人飲みは、自分の満足のためにある。


2019年11月17日日曜日

アドラーは言うけれど・・・


アルフレット・アドラー、「人生に革命が起きる100の言葉」(小倉広著)を読むと、いくつか気づかされることがある。「自己啓発の父」と言われるアドラー。今やコンサルから一般人までが書く「自己啓発本」には「成功するためのたったこれだけの習慣」といった類が多い。いとも簡単に見えることを皆が実践できれば成功者は世界中に溢れるはずだ。結局、ほとんど誰にも成し得ない「習慣」が書いてあるのだ、というのは読書嫌いでひねくれ者の考えだろうか。


最初にこうある。

人生が困難なのではない。あなたが人生を困難にしているのだ。人生は極めてシンプルである。

そうかもしれない。
現在の人生を決めているのは運命や過去のトラウマではなく、自分自身の考えだという。そう思えれば人生は極めてシンプルだ。
「あなたが人生を困難にしているのだ」。
悪いのは本当に自分なのだろうか。運命、過去のトラウマなどに振り回されることなく、生きていけるだろうか。

自分の意思とは関係なくこの世に生まれ、たった一人で死んでいくというシンプルな人生。
あれこれ考え、思い悩むのが普通だと思う。気持ちだけではない。人間は、一枚皮のその中に60兆個の細胞が働き、肉体を支える。仏教では人は四百四病を生まれながらに抱えているという。体の中のちょっとしたバランスの崩れで内在していた様々な病がその芽を出す。そしてそれこそ運が悪ければ平均寿命よりも早く死を迎える。生まれた瞬間から死に向かって歩き続けることを止めないのはなぜだろう。何よりも確実なゴールが見えているのに。

ラグビーでボールを受け取ったら、何度タックルされてももう一度立ち上がったり、ずるずる這いずって少しでも前に必死に進んだりする。きっと生きていくには「困ったこと」にぶち当たるようにできているのだ。もしそれらが無いとすると、一直線にゴール(=死)にたどり着いてしまう。そう思えば、「あなたが人生を困難にしているのだ」と言われても、「いやいや、これもまたいいもんですよ」などと余裕綽々、泰然自若でいられるし、むしろ困難にwelcomeと言えるかもしれない。

にんまりと笑って受け止めてみたい。


2019年11月14日木曜日

限りない癒しその2


限りない癒しその2

癒されるというか、忘れられる「スロージョギング」。
スロージョギングとは(日本スロージョギング協会)

月並みだがほどよい運動は確実に心身に良い結果をもたらす。
走っている間は何も考えずに済む、確実なダイエット、健康診断血液検査各種に有効というのが自分の感じたメリットだ。ビールもとんかつも我慢しないでOK。それと、走るだけなので一人で可能だし時間も問わず金もかからない。

こんなにかっこよくはない
スロージョギングを言葉で説明するのは難しい。
走らないジョギング、とでも言おうか。
     ニコニコペースで走る
     着地はフォアフットで
という二つが「お約束」。

ニコニコペースとは隣の人と話ができる程度、息が上がらない程度のこと。前を散歩する人を追い抜かない速さ(遅さ?)から始めるとわかりやすい。どれほどゆっくりかがわかると思う。

着地はフォアフットで、というのは、「その場ジャンプしたときに着地する部分」のことだ。普通のジョギングでは蹴りだして踵で着地するが、見た目はピョコピョコ上下運動しながら進む感じだ。若干、挙動不審な感じは否めない。

息が上がらない、上がらないから疲れない、疲れないから続けられる、そして基礎体力がつくという、いいことだらけ。始めた当初はついつい「ジョギング」してしまい、1キロでもゼーハーしていた。体力がつくので普通のジョギングも苦にならなくなる。今では週末5キロ程度は走らずにいられない。始めてから五年経った昨年、ハーフマラソンに挑戦するまでになった。(でもハーフはきつかった)

この時ばかりは、「黒い犬」はおとなしくどこかに隠れて待っているようだ。

2019年11月10日日曜日

言いにくいことを告げてくれた上司


言いにくいことを告げてくれた上司

「年齢的には昇格試験を受けられるタイミングだけど、他の(若い)人を優先させるよ。一二年変わったところでたいしたことないよ」

文字で書くとぶっきらぼうに見えるかもしれないが、上司はその時納得のいくように告げてくれた。こういう件は最も話しにくい内容のひとつだろう。嫌味なく、大げさでもなく、それでいて軽視することなくきちんと伝えてくれた。
後に別の上司は面接時に、「鬱だったから昇格が遅かったんだね、みんな(他の管理職)が言ってたよ」と今なら「危険球」のようなことを平気で言った。

入社後数年で希望していた部署に就き、多い時には月に三度も海外出張したこともあった。今のような「働き方改革」ではありえない深夜残業もあったが、全く苦にならなかった。(働き方改革=残業削減ではないのだが)
終電近くなってせっかく会社を出たのにそのまま飲みに行ったことも一度や二度ではない。それでも翌朝8時半には元気に出社していた。

うれしいはずだったし、頑張れるはずだった。だがいつしかぎくしゃくしてしまった。
うつ病社員は通常「腫れ物に触る」ような要らぬ気づかいを受けるか、さもなくば前述の「危険球」を投げつけられるかという頃、当時の上司の配慮と対応には今でも感謝している。

もし今、自分に部下がいたとして、同じような境遇になったら、本人の意思を尊重しつつも、職場の規則や厳しい現実や処遇を説明することができるだろうか。

危険球?


2019年11月3日日曜日

衝撃的な仏教


衝撃的な仏教

知らない、あるいは思い込みというのは恐ろしい。

別段何の宗教にも興味はないが、自分の中で身近だと勝手に思いこんでいた仏教。寺社仏閣何でもかんでもとりあえず「南無阿弥陀仏」と拝んでいれば心の平静は保たれ、「何かor誰か」が困った状況にある自分を救ってくれるあるいは救われるものだと思っていた。

一切皆苦、この世はすべて苦であり、自分を自分で変えられると思うのは勘違いであると、「禅僧が教える心がラクになる生き方」(南直哉著、アスコム)では、仏教を「ヤバい宗教」だとしている。なかなか衝撃的だ。

祖父母が「ナンマンダブ、ナンマンダブ」と、仏壇や近所の寺で祈っていた姿を思い出すが、仏教をそんなふうに「救いようのない」ものと分かっていたのだろうか。
実体がない自分なのに生きていかなければならないのが自分であり、悩みという諸問題に対しては対峙する以外解決の道はない、と断じている。(アドラー心理学的?)

押し寄せる憂いに対して敢然と立ち向かう力があればあまり困らないのだが。そう、少なくとも今は足りないから困っている。

この本を読むと、巷に言う「本当の自分」とか、いわゆる「自分探し」が馬鹿げて見える。自分を決めるのは他人。そうかもしれない。特に会社員の場合、自分の評価や給料を決めるのは他人だからな。

一方、何に苦しんでいるのかを、書き出して説明してみろと言われると「うっ」と詰まることがある。モヤモヤは続くのだ。
太古の時代も人間の苦しみの総量は現代に生きる我々と同じだと聞いたことがあるが、人間(の心)はかくも面倒なものだ。

ゴクラク行けるかね・・・


2019年10月27日日曜日

今日できることは明日に伸ばそう!


今日できることは明日に伸ばそう!

普通は逆で、「今日できることを明日に伸ばすな」という戒めだ。
Never put off till tomorrow what you can do today.
というらしい。

高校の頃、偶然聞いたラジオの深夜放送で「五木寛之の夜」という番組があった。これ以上暗い曲はないのではと思うほど物悲しい感じのテーマ曲が流れていた。女性アシスタントのトークはボソボソ声で、番組全体はかなり地味な印象だったがなぜかひかれるものがあった。その始まりのナレーションで、「今日できることは明日に伸ばして・・・」
というセリフがあったことを記憶している。(正確ではないかもしれないが)

もちろん当時は、なんてこと言っているんだ、早く片付けたほうがラクに決まっているじゃないか、と思っていた。

今はどうだろう。

明日どころのハナシではない。伸ばしまくっている。週単位はおろか、年単位で伸ばしているものもある。こういう時、人はその能力をいかんなく発揮し、後付けの理由を鮮やかに並べ立てることができる。

「今それに取り掛かるのは得策ではありません、なぜなら・・・」といったようにだ。特に仕事においてはこの時ばかりは明快な優先順位付けができる。(手を付けない、やらない、という順位)

Let me sleep it over.ちょっと(寝かして)考えさせて。

少なくとも一晩は放っておいても良さそうだ。

2019年10月25日金曜日

恐怖心と、すくむ感覚


勝手にやってくる「恐怖心」と「すくむ感覚」

自分の場合最も困るのは、まだ遭遇してもいない物事に対して勝手に生じる「恐怖心」とそれからくる「すくむ感覚」だ。何かをきっかけにして突如訪れ、まとわりついて離れない。

バカじゃないか?
そう思う。馬鹿げている。まだ当の心配の種(実体)はやってきていないのだから。まだ生じてもいないのに先回りしてこれという理由もなく一人沈んでいく。厄介だ。

どんな状況かと例えて言うなら、それは蟻地獄の罠(巣?)の壁面にへばりつく自分が、外へ逃れようとしてバタつくことで壁面が崩れてしまう感じでもあり、身長の何倍も深く、サイドが見えないほど巨大なプールのど真ん中にいて、どのサイドへ向かっても泳ぐ気力がなく、浮いて待つのも困難なほど呼吸が苦しくなってくる感じでもある。

また、水よりも若干粘土のある液体が入った大きなメスシリンダーにすっぽり入っていて、浮かび上がれない感じ(この場合なぜか呼吸はできる)でもあり、決して洗い落とすことのできないタールにまみれている感じでもある。絶望的だな。

ある時あっちから押しかけてきて、しばらく居続ける。時として豪雨、時として浸水。
時期も期間も程度も都度異なる。避難指示は自分で出すしかなく、タイミングもまた難しい。共通するのは「恐怖心」と「すくむ感覚」なのだ。
ただひたすら疲れる。

この壁面にいて、ずるずる落ちる感じ

2019年10月20日日曜日

限りない癒し・自分の場合その1


限りない癒しその1

癒されるというと、少し安っぽいか。

Keith Jarrett, The Melody at night with you

そこらの睡眠導入剤より確実に効果はあると断言しよう。自分の「ジャズの師匠」が教えてくれたアルバムだ。この師匠、小・中学校が一緒だったがその後は別々に。長じて後、何度もあったり飲みに行ったりしたが、いつしかジャズの師匠になっていた。

聞くべき名盤はもちろん、「聞いてはいけない」(自分にはまだ早い)アルバムまで教えてくれた。こんな雰囲気の曲はないか、とか、ピアノソロが美しいやつ、というぼやっとしたリクエストにもたちどころに回答してくれた。
20年近く前、香港駐在時には国際電話をかけてそうした掴みどころのない要求を投げかけた。必ず毎回軽快にそして的確にアーティスト、アルバム名を教えてくれた。オフィスからの帰りにはHMVへ直行し、すぐさまCDを仕入れた。

youtubeによくある、眠れる系、リラックス系は電子音音楽が多い気がする。そして、5分で眠れると書いてある割には2時間、3時間モノだったりする。
その点、このアルバムはピアノ(とキースジャレットの多少の唸り声)だ。どこまでも優しく安堵できる。

癒しからは少しそれるが、楽曲と風景が強い印象と共に完全にくっついて離れないものがいくつかある。
EaglesNew Kid in Town(アルバムホテルカリフォルニア全曲)と志賀高原スキー場。
Steely DanPegとアメリカ、フロリダ州の南端、キーウエスト。
Huey Lewis & The NewsThe Heart Of Rock & Rollと長距離バスのグレイハウンド。
Every Little ThingFor the momentと駐在時の香港オフィスから自宅までの車の中。
QueenBohemian Rhapsodyと中学校の音楽室。(これはそこで聞いたのではなく、イントロコーラスの練習をした)

それぞれの曲が、その場所にいたときにかかっていた、或いは練習していたと言えばそれまでなのだが、とりわけ印象が深い。キーウエストでその時あったベトナム人の顔も名前も覚えているし、香港の帰り道はカーブの順番まで頭に残っている。

「癒し」とは少し異なるが、音楽がもたらす心地よい思いに変わりはない。

2019年10月14日月曜日

吹っ切れるきっかけをくれた恩人



「もう、いいんじゃないですか?」

何度も何度もお世話になったカウンセラーの方がある時そう言ってくれた。

常に眠たそうな表情で、柳に風といった印象(スミマセン)のその方は、
「もうそんなに自分を責めたり、一生懸命やろうとしたり、積極的とか、キャリアがどうしたとか、そんなことは考えなくて、もういいんじゃないですか。好きなように生きていきましょうよ」

泰然自若とした感で、そんなふうに、ゆったり、じっくり、そして染み入るように話してくれた。

認知行動療法という言葉にも方法にも初めて出会った。匙を投げずに根気よく教えてくださった。今はその方のカウンセリングは卒業したが、個人的に「緩いおつきあい」をさせていただいていると勝手に思っている。

自分では気にしていないと言いながら、周りの評価に(一喜)一憂してみたり、まだ取り掛かってもいない仕事に過度な心配をしてみたり。いろんな懸念を自ら探しだし、小さなことでクヨクヨする。自分ではそんなに小さいとは思っていないのだけれど。他人から見たら「?」のようなことばかりなのだろう。
そんな自分の性格や考え方を理解してくださったうえで、投げかけてくれたアドバイス。

知らない間にがんじがらめに固く絡まった結び目の一番上がひとつ解け、
長年落ちることのなかったシミのようなものが、少し滲んでいった瞬間だった。

「ふぅーーーーーーーーーーーーー」と深呼吸をしてみた。
後から分かったことだったが、自分が飼っていた「黒い犬」はその時少し、だが確実に小さくなった。

2019年10月9日水曜日

X軸より上へ這い上がれ。


X軸より上へ這い上がれ。

キャリア開発講座や、書店にあふれるキャリア開発本などで、これまでの自分の来し方を振り返る、というのは必ず行われる項目だ。以前ある研修で学生時代(小学生時代含む!)からこれまでの歩みについて、気持ちの変化を示す曲線を描くというものがあった。
「部活の県大会に出場できた!」
「念願の海外駐在になった!」

そんな場面では曲線がグッと右肩上がりになる。完全な自己基準であまり悩まずに感覚的に描く線だ。

鬱屈した気分になって以降、実際に描いたわけではないがこの曲線がグラフのX軸の上をいったことがない。すなわち、ゼロ未満ということだ。

何がキャリアだ、と思う。

会社勤めを始めた1980年代後半。当時は少なくとも「ゼネラリスト養成」だった。おそらくほとんどの企業はそうだった。大学で何を学んだかは関係なく、入社後10年で数か所の部門、勤務地を経験すると人事部の説明があったことを覚えている。

時代は変わり、「スペシャリスト」がグローバル化対応の常識となっている。
Change or die!
それなら、自分は即死だ。
グローバルカンパニーで活躍するスペシャリスト人材は、dieする前に上手に、軽やかに他へ動いてく。die寸前だったなどとはおくびにも出さずに。大したもんだ。
ゼネラリストとして育ったつもりの、自身のフィールドは何だったのかと思う。
変われない者のひがみ?
そうだな。プロパーは全員死亡だ。

そんな中でも少しだけギラっと生きていたい。

2019年10月4日金曜日

線路が間近に見えた頃に出会った本

線路が間近に見えた頃に出会った本

ずっと浮かないどころか、絶望的なハナシをしていると、そんな自分にも疲れてくる。

どのように出会ったのかもはや全く記憶にないのだが、「大河の一滴」(五木寛之著、幻冬舎文庫)を手にした。ベストセラーだったから書店で目に入ったのだろう。買い求めたのは2000127日(木)午後三時過ぎだ。茶色に変色した書店のレシートが挟まっていた。平日じゃないか。きっと会社を午後半休でも取って、ほっつき歩いていたのだろう。読書嫌いの自分が何度も読み返した数少ない本だ。
何度も読み返した「大河の一滴」

「私はこれまでに二度、自殺を考えたことがある。最初は中学二年生のときで、二度目は作家としてはたらきはじめたあとのことだった」

と最初に目に飛び込んでくる。200012月は、「祝!大江戸線全線開通」した時で、線路わきのその看板が間近に見え、吸い込まれそうになったことを覚えている。

「人生は苦しみと絶望の連続」であり、「なにも期待しないという覚悟で生きる」というこのエッセイはその時の自分をしっかりと支えてくれた。

「人間はだれでも本当は死と隣りあわせで生きている」
「そう考えてみると、この<生きている>ということもまた、なかなかたいへんなことなのだなあ、と感じられてくる」
「物事をすべてプラス思考に、さっと切り替えることのできる器用な人間ばかりならいいだろうが、実際にはなかなかうまくいかない」
など、序盤から何の遠慮なく、死や孤独や生きづらさ、萎える心に触れられている。

「人生の苦しみの総量は文明の進歩と関係なく一定なのだ」
実感はできないが、そうだろうなという想像はつく。

今でも、そしてこれからも幾度となく読み返す本であることに間違いはなく、ベタな言い方だが、自分はこの本に救われた。

2019年9月28日土曜日

気分転換でもしてみたら?


気分転換でもしてみたら?

どんなことをすれば気分転換になるだろう。
どんよりした重たい気分の中、いろいろやってみた。

深呼吸してみる、市民プールで泳いでみる、いつもと違う道で帰ってみる、一駅前で降りて歩いてみる、ジョギングしてみる、めったに行かない銭湯へ行ってみる、映画を見に行ってみる、行ったことのない居酒屋にふらっと入ってみる、ラジオ番組に投稿してみる、同じ靴を二足買ってみる、ライブを見に行ってみる、遠くはないので実家に帰ってみる、たまには、と豪華な食事をしてみる、唸ってみる、日帰り旅行へ行ってみる、「行ってきます」と言って公園のベンチに座ってみる、午前休をとってみる、午後休をとってスパへ行ってみる、年休をとってみる。ブレインダンプをしてみる、6800円もするワインを買ってみる、拝んでみる、祈ってみる、般若心経を聞いてみる、妻に怒鳴ってみる(ごめん)。
スロージョギングは疲れない

大概はうまくいかない。
そんななか、5年前から続いていることがふたつある。ジョギングと日記だ。スロージョギングに出会ったことで体力維持には極めて有効だった。とにかく、とてつもなくのんびり走る。走らないといってもいい。だから疲れない。だから続けられる。休みは家でぼーーーーーっとすることが多かったのでこれに出会ったのは幸いだった。

日記は文具屋で普通に売っている「三年日記」帳。THREE-YEAR DIARYというやつ。黒くて、いっこうにしゃれっ気のないそれなりの厚さのノートだ。一日分の書くところが少ないのでこれにした。だが毎日これを埋めていくのは割としんどい。

継続は力なり。これでスッキリ!
とは残念ながらいかなかった。だが、これらがなかったら、きっとブログなど書こうとも思わなかったに違いない。


2019年9月25日水曜日

2月の雪の降る朝に


2月の雪の降る朝に

日付は忘れたが19952月、横浜で雪が降る朝だった。
どうしても会社に行けなくなった。よくある話だ。

なぜなのか、ずっと考えた。仕事で失敗をしたわけでもなく、まして上司や先輩から叱責されたわけでもなかった。
入社から何年か経ったのちに配属された希望の部署だった。日々海外とのやり取り。国際電話にFAX(古いね・・・)。販売にマーケティング会議。もちろん平気で夜中まで仕事をした。働き方改革?関係ないね、楽しいんだから。

だが上司の指示や先輩の指導は極めてあいまいだった。思うように仕事は進まなかった。これもよくある話だ。やりたいようにできない。でもたったそれだけか?

もしそうだとしたら、世の中やりたいように、なるようにならないほうが遥かに多いわけだから一生回復しないことになる。

なぜだったのだろう。寒かったからか、面倒だったからか。そうだったのかもしれない。

あの朝から急に、「黒い犬」が横にいたのだ。
理由は今でもわからない。

2019年9月23日月曜日

黒い犬に驚いた

「うつ」
厄介この上ない。波はあれどもう二十数年、悩み、苦しみ、心萎える日々を過ごしている。ぐっすり眠った記憶も遠い。爽快感などという言葉は忘れた。
だが驚いたことにこの間(長期休暇はしたけれど)仕事は続け、結婚もした。家族も増えたし海外駐在もした。

「なんだ、ちっとも鬱じゃないじゃん」
と言われそうだが、一時は線路がずいぶん近くに見え、「いっそのこと、楽に」と思ったことも複数回ある。
今はそこまで(底まで)ではないが、見えない物事への不安、恐怖、時として「すくみ」、ざわつき・・・何とも表現のしようもない感覚を覚えることがある。

長すぎる。疲れた。
そんな時、WHOのページにこんな動画があることをあるカウンセラーの方が教えてくれた。
「I had a black dog, his name was depression」
https://www.youtube.com/watch?v=XiCrniLQGYc

初めてみたときに、「そう、そう」と涙がぼろぼろ出てきた。
先ほどもう一度見てみたが、すでに950万回(※)以上再生されている。有名な動画のようだ。(※2021年3月現在、1000万回超)

絶対に困るのだが、「うつ」と二十年以上付き合ってきたということは、そう簡単に「さよなら」できそうにはない。

だがしかし、何とか、少しでも「喜怒哀楽」のバランスがせめて等分になればと思う。
自分の中の黒い犬に「さよなら」すべく、これまでの「せっかくの経験」を少しずつ記してみたい。



1丁目のバーガーキング

前回ハンバーガーを食べたのは、 2019 年 2 月、サンディエゴの Burger Lounge だ。滅多に食べないこと、そして滅多に行かないアメリカで食べたのでよく覚えている。彼の地に住む中学時代の同級生が連れていってくれた。アメリカーンな美味しいものだった。 最寄り駅にバーガ...