2020年6月1日月曜日

うつで会社を休んだ人はなぜ喫茶店のマスターにでもなろうと思うのか


だいたい、喫茶店のマスターに失礼である。「にでも」はないだろう。だがなぜかそう思う人は多い。

落ち着く香り

楽そうだから?
ひとりでもできそうだから?
複雑なことはなさそうだから?
好きな音楽を流しておけば良さそうだから?
ぼっとする時間が取れそうだから?
無口でもやっていけそうだから?
何となくやれそうだから?
あくせく感がないから?

全国の喫茶店店主に叱られそうだが、「なんとなくやれそう感」はずっとある。今の目の前のコトから逃れたいときに、想像するんだな、香りのよいコーヒー、好きな音楽、そんなに混雑しない店内、うるさい客はいないなどと勝手に。駅前ではなく、住宅街でも海に近い路地でも、山あいでもいい。自分の「小さな陣地」で空想の域内でどんどんイメージが広がる。そしてそれは大ごとには全く感じられない。ふわふわしながら希望が持てる感覚だ。

だがまたしても喫茶店に失礼である。「でもいい」とは何事だ。第一、自分の好きな場所に店を設けるなど、良い物件や資金がなければそもそも無理なハナシだ。それに客は選べないし、やることは(きっと)山ほどあるし、(きっと)想像とは違うだろう。

小さな陣地

客商売なのに、客を意識するところまで至らず、単なる「憧れ」のままだから「なんとなくやれそう感」が抜けないのだ。景色、香り、音など、もやっとした状況をイメージして悦に入っているだけなのだ。

「いらっしゃいませ」と声をかけないといけないとか、雨の日はびしょ濡れの傘で床が水浸しになるとか、禁煙だと言っているのにたばこを吸うやつとか、WiFi無いのかというやつがいるとか、会計の時に一万円札しかないというやつとか、カップを洗わないといけないとか、コーヒー豆の営業が気にくわないヤツだとか、テーブルに傷がつくとか、掃除とか。
そういうのは空想「外」。だから行けそうな気がするのだ。それもひどいね。

喫茶店はとても開けそうにはない。
でもなぜか魅力的だ。

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