もう何日会社に行っていないだろう。
3月25日の株主総会は自宅から出て自宅に戻ったからその週はすでに在宅だった。それまでは隔週出勤。少なくとも丸々三カ月以上は家にいる。
昨年の一月と二月は欠勤した。調子が悪かった。
その時家人には「定年で家にいるならいいが、病気で家にいるのは耐えられない」と泣きながら言われた。これはこたえる。自分だって出勤できないから休んでいるのだ。結局家にも居づらくなり恢復しないまま三月に出勤をはじめた。薬の量は変わらないまま、一年以上過ぎたところでこのコロナ在宅勤務が始まった。
仕事はしているが、通勤というオンオフ切り替えの儀式がないので気分はシャキッとしない。会社に行っても精彩に欠けるのだが家にいると本当に気分の起伏がない。
家人は在宅勤務を限りなく有給休暇に近い感覚で見ているようだ。
昨年の欠勤期間を優に超えた在宅勤務は定年生活の疑似体験もさせてくれた。三年遅れで大学生になった次男がいなければ本当に夫婦二人になるところだった。家人は仕事をしているので自分だけが家に取り残されることになる。小説に出てくるような「終わった人」の気分まで味わえた。
テレワークは全国で約3割、東京23区では55%が経験したという。この間会社のパソコンは利用状況が分析され、仕事ができない社員があぶり出されている。監視されこれから選別が始まるということだ。翻ってどの程度の人たちが理想的なアウトプットを出しているのか知りたいところだ。評価する側が出来ていないしわかっていないのだから、何か機械的な尺度が取り入れられることだろう。
それを無視するもよし、心を入れ替えて尺度に合わせて理想の働き方をするもよし。
どんな働き方であっても、何かにおびえながら、というのだけは避けたい。

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