やる気が出ない、だけならいい。
迫りくる見えない不安にボディプレスを食らい、呼吸も苦しい。立ち上がるどころか這い出す先さえわからない。先週片づけると上司に約束しておいたプレゼン資料が1ミリも完成していないとか、明日海外現地法人と英語で会議をしなくてはいけないといった期限付きの具体的恐怖。また、鬱々たる気分の果てに陥る自分の無力さ、非力さが増幅して津波のように自分に押し寄せる、つかみようのない不安もある。ぬるっとした粘着質な何かが目や口や鼻や耳にまでまとわりつき、窒息しそうなほどの苦しみを感じる時もある。
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| I had a black dog, his name was depression. |
そしてどう対処しようとしても、逃れられない時がある。日時が決まっている恐怖はそれが過ぎるまで待つしかない。それまでどんなに落ち着かなくても、飯が食えなくても、心配で眠れなくても他に方法がない。そのかわり、その1時間なり、半日なり、当日が過ぎてしまえば、仮に多少の叱責(例えば資料ができていなかったとか)はあるにしても、跡形もなくなる。あれだけ思い煩っていたのが全く信じられないほど、滑稽なほど何も残らない。
では時限的でない、慢性的な苦しみにはどう対処すべきだろう。
①
対峙
②
気分転換
③
共存
④
逃避
これまでの経験上、その苦しみや恐怖を克服する場合は、対峙するしか道はないことはわかっている。拝んでいれば救われると思っていた仏教でさえ、「自分の問題から逃げず、しっかり困ったり、悩んだりすること」(禅僧が教える
心がラクになる生き方:南直哉著)とある。なかなか手厳しい。
気分転換もいろいろやってはみるが、たいがいはうまくいかない。不安や苦しみと共存する、すなわちうち勝とうとか、克服してやろう、などと思わない方法がある。現実にはこのパターンを結果的に選択せざるを得ないのだが、これにはテクニックを要する。ネガティブ要素がそこにいるのに、それが無いかの如く暮らすのは実に難しい。
黒い犬として表現されている「鬱」は、飼いならしていくしかない。散歩には常についてくるくせに、ヤツはなかなか尻尾を振ってはくれない。だがいつか、あんなに苦しむ元となった黒い犬を慈しむ時が来る。必ず来る。そう思うことにしている。

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