放り出すのは結局大人の流儀か
伊集院静著「ひとりで生きる」を図書館で借りてきた。「大人の流儀9」とある。もう9冊も出ていたとは知らなかった。たまたま広告でみたこともあり、買ってすぐに読みたい気もする一方、慌てることもないかと思い、予約からずいぶん日が経ったが順番が回ってきた。
読書嫌いの自分がすぐに読み終わるのだから、平易な部類だし、作家の武骨さを押し出したようなカラーを楽しみながら読める。その中で、不安への対処に関する記述があった。
「不安好き」な自分のセンサーが動く。何か新しいことを始めようとしたときに不安を感じるものだがこれには年齢に関係がないこと、そして、「少しだけ先のほうにある時間の中にあるもので考えてもしかたがないことなのだ」とある。
その不安を解消するために最もよくないのは、「やろうとしていることを放り出すこと」だそうだ。放り出すことで不安よりもさらに辛いことに追い込まれる、と容赦ない。自己嫌悪を感じるとまで言っている。
またか。「やはり困難には対峙するしかない」ということなのか。
マルクス・アウレリウス著、自省録で読んだばかりだ。ブッダもアドラーも似たようなことを言っている。
だが一転、「それもあり」だと記している。どっちだよ。
逃げる、放り出す。そうすることができたら以前より少し進むし、少し自分が強くなれるのではないか、そういうことも生きていく中で必要なのではないかというのだ。
子供の頃は、擦り傷にはオキシフルをかけて赤チンというのが定番だった。だが今どちらも見ない。オキシフルは悪い菌と同時に皮膚に常在するよい菌も殺菌してしまうというのだ。皆殺ししていたわけだ。
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| こっちが「赤チン」 |
酒は百薬の長、体に悪い、コーヒーはがん予防だ、いや反対だ。早寝早起き、規則正しい生活が必要だという人もいれば、作家の五木寛之サンのように、長い間昼夜逆転の生活を送りながらも間もなく90歳になろうかという健康な方もいる。こうした「良し悪し」の類はいくらでもある。
結局バランスだということになる。
ブッダによれば人間は四百四病を生まれながらに持っているという。一枚皮膚で覆われた身体の内外のバランス、そして精神のバランスをいかに保っていくか。常に平均台の上を歩いているようなものだが、10センチよりは幅がありそうだ。
少し安心する。



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