2020年1月10日金曜日

アニバーサリー?はじめての心療内科から25年。


アニバーサリー?はじめての心療内科から25年。

2020年になった。

小学生のころ、自分が二十歳まで生きることはないだろうと結構真剣に思っていた。あまりに遠く、想像できなかったからだ。だからといって死んでしまうかもしれないと想像していたわけでもなかった。

いま、何のことはない、50代も後半になり、気分が沈んだの、鬱っぽいだの、ごたごた言いながら生活している。ある時期は自らせっせと医者に通い、調子が悪いことを一生懸命訴えていたがその時の不快が治ったことはなかった。

中学時のクラス仲間で医師がいる。彼は「日常生活に支障をきたすことになったら医者に行け」と言う。著しい困難があったと感じたからこそ、受診したのだが今思えば日本の医療費を押し上げるだけの無駄な行為だったと気づく。そう、その時はそうした判断ができないのだ。だからやはり、病なのだ。

はじめて心療内科へ通って25年になる。
「アニバーサリー」は楽しげな記念日と思いきや、英語では良いことも悪いことも「周年」をそう呼ぶらしい。

あるクリニックの待合室に「気は病から」と書いてあった。本家である「病は気から」というのは精神論、根性論という語感があるが、気は病から、には極めて説得力があると感じる。

自分にとって本当の巨大な波は2000年頃だったが、地味に少しずつ良くなっている。時間はかかるのだ。ゆっくり回復している。だから本当に死にそうな頃にはうつの「う」の字もなくなっているだろう。いいね。

気にかかること、嫌なこと、したくないこと、これから訪れる(であろう)不安。全てから逃れたいがそれは不可能であることもよく分かった。大人になった。
(ジジィがいまさら何をいっているんだ)

「黒い犬」を飼い慣らし始めている。そんな風に思える。
I had a black dog, his name was depression.
World Health Organization (WHO)



2020年1月4日土曜日

年賀状をやめた!


年賀状をやめた。

やめてメールにした。どうしても・・・の大先輩や年賀状をやり取りすることに意義を感じる人とは継続。ちょっと緩い断捨離だ。そういう幅はあっていい。やめると言ったら100%やめる、では疲れる。(という言い訳)
 
年賀はがきは10枚以下に
【やめてわかったこと】
年賀はがき代+印刷代が浮いた。(せこい)
年末ギリギリまで制作を延ばせる。(ぐうたら)
写真をぶち込めば何とかなる。(ずぼら)

何も突然やめたわけではない。昨年の年賀状でメールにするという予告を送り、今年から移行。周到な準備の上での実行である。

メールを送ったらデザイナーの方からの返信で「綺麗なデザインの年賀状ですね。この手法なかなか良いですね。さすが長年XXXにお勤めの人ですね」とお褒めの言葉をもらった。素直にうれしい。デザイナーから言われたというのがいい。それほど凝ったわけではなかったが楽しみながら作ったことが伝わったのかもしれない。

そんな「メール賀状」だが、これをBCCで送ったのでは印刷年賀状と変わらない。
結局メール本文に一人ひとり挨拶やら近況を記していくという手間は同じだった。よって、次回はもう少し早めに作り出さねば、と思った次第。

結局、手間は同じか?


2020年1月3日金曜日

三年日記、七年目に突入!


三年日記が三冊目に突入した。

以前カウンセラーの方に勧めていただいたジャーナリング。三年日記という形で丸六年が終わった。2017-2019版は二冊目だった。黒い表紙が少し重たく感じられたので2020年からの一冊はブラウンの表紙のものに替えてみた。一日分たった5㎝×6㎝のスペースに記していくのは当初たやすいことだと考えていたがとんでもなかった。
三冊目に突入したが・・・

一行どころか一文字も書けない日は結構な頻度で起こった。そもそも心が萎えた日々を送りながら、何を書けというのか。でもまあ何とか「埋めて」きた。
本棚の端にだるい感じで斜めに収まっていた一冊目の11日(2014年)を開いてみた。

31日より実家
●●神社初詣
夕方、兄弟たちと正月

ひどいね。
小学生の三文作文にすらなっていない。その日のスペースいっぱいに書き始めたのは17日以降だった。いや、欄を埋めたに過ぎない。だがこれを続けてきた。継続は力なり。

はて、何の力になったのだろう。空白を作らない、何かを感じるようにする、手先を動かし続ける、書くためのネタを考え続ける、心情吐露の場を作る?人に見せないのに?

まあいい。
これまで一日の空白もなく続けてきたこと自体にちょっとした充足感がある。「人は生きている、ただそれだけで大きな価値があるのだ」(「大河の一滴」五木寛之著)にわずかながらプラスアルファの活動ができたと思うことにする。

偉そうなことを書いたところで、一日の空白を見つけた。入院して手術を受けた日だった。これはしかたないか。その後、この日の欄を埋める気にはなれなかった。

2019年12月30日月曜日

The Hottest Band in the World KISS


You wanted the best, and you got the best, the hottest band in the world, KISS!

アメリカのロックバンド、KISSの最後の日本公演が終わった。これまで何度も「フェアウェルツアー」をやっていたが彼らの年齢を考えるとさすがに今回はホントに最後だ(と思う)。ベースのジーン・シモンズは70歳、ギターのポール・スタンレーも68歳なのだから。
END OF THE ROADと銘打った今回のツアーは20191月にバンクーバーでスタートした。202112月のニューヨークで終わると発表されたのは先日のことだ。
According to Ultimate Classic Rock, KISS have revealed that their final concert will take place July 17th, 2021 in New York City at an unspecified venue.
ようは、場所も決まっていないし、それまで続けられるかどうか・・・。
KISS LIVE at VIEJAS arena


日本での開催が明らかになったのは6月中頃。そうなるとは知らない2月、旧友が住むサンディエゴで行われた同ツアーを見に行った。見納めとなる前に、彼らの「ホームカントリー」でのパフォーマンスが見たい。その一心だった。

KISS1973年に活動開始のようで、初来日は1977年春。チケットをどうやって手に入れたのか覚えていないが、同級生T君と見に行った。花火が轟き、火柱が上がり、血反吐のパフォーマンはその時すでに確立していた。アップデートされながら今も続くそのスタイルはもはや「伝統芸能」と言える。

さてサンディエゴ。会場はVIEJAS arenaだ。
家族連れも多く、開演前は記念写真を撮りあったりして和やかだったが、ひとたび始まればそれはやはりロックコンサートだ。演出はド派手を通り越している。花火大会が目の前で行われているようなものだ。興奮した。友人が携帯で録った一曲目、デトロイトロックシティでは曲よりも火柱を吹き出す音のほうが大きく残っていて、イントロの演奏など聞こえないほどだった。オーラスのロックンロールオールナイトでは全席にまで紙吹雪の嵐が舞い降り、バルーンも会場中を飛び交った。大興奮で終わったLIVE。さすがホーム。もう思い残すことはない。

なのに、逡巡しながらも1211日の東京ドームコンサートチケットを入手した。楽しみで待ちきれなかった。ライブパフォーマンス再び。東京ドームのオープニングもデトロイトロックシティだ!来るぞ、火柱どーん!
「あれ?」
花火半分?テクニカル故障?
消防法により、火薬の使用量に制限があるらしい。イケてないねぇ。
サンディエゴへ行ったのは正解だった。
1977年の初来日、2019年の最終公演。どちらも見て大満足。

2019年12月21日土曜日

ウキウキする冬の曲は?

音楽①

もう何年もカラオケに行かなくなり、ギターもベースも処分した。500枚ほどあったCDは200枚以下になった。気づけば音楽は生活からほぼ失われていた。

今年はじめ、休暇を取っていた時に部屋を片付けていると、持っていたCDや気に入った曲がしこたま入った外付けHDDを見つけた。ほこりを拭い、パソコンにさしてみた。シュルシュルと静かな音を立てながら、フォルダが表示される。20ギガ以上ある。
何を聞こうかファイル名を見て迷っていると、14,5年前に作った「プレイリスト」があった。Yahooトピックスの中の音楽部屋でかけていたため、いろいろなジャンルの曲を集め、流す順番もそれなりに付けていた。そういう編集は好きだった。ダンサブルな曲を集めたり、インストだけを集めたり。「和洋中」などとリストにタイトルをつけ、中国の曲を混ぜたりもした。

「土曜の午後」というリストが複数あり、カシオペアのルッキングアップや、EPOのダウンタウンでスタートする明るい曲が続いている。その頃そういう志向だったのだろう。「ちょっとウキウキ」リストには、「土曜の夜はパラダイス」やDonald Fagen 「WALK BETWEEN THE RAIN DROPS」が。今聞いてもちょっとウキウキする。
「冬とクリスマス」には、ケミストリーの「My Gift To You」、ユーミンや大貫妙子、そしてマイケルフランクスの「Christmas in Kyoto」なんていう曲も。

70年代ディスコから志の輔らくごまでかなり雑多で膨大な音楽(?)ファイル。目移り(耳移り)してしまう。ずっとかけていても、一生かかっても聞ききれないだろう。

これから新しいウキウキ(曲)に出会えるだろうか。

2019年12月8日日曜日

できない自分を責めている限り、永遠に幸せにはなれない?(アドラー)


アルフレット・アドラー、「人生に革命が起きる100の言葉」(小倉広著)を読むと、いくつか気づかされることがある。「自己啓発の父」と言われるアドラー。世の「自己啓発本」には「成功するためのたったこれだけの習慣」といった類が多い。いとも簡単に見えるが結局、ほとんど誰にも成し得ない「習慣」が書いてあるのだ、というのは読書嫌いでひねくれ者の考えだろうか。


人生は過去に縛られているわけではない。あなたの描く未来があなたを規定しているのだ。過去の原因は「解説」にはなっても「解決」にはならないだろう。

そうかもしれない。
何でもかんでも後付けだ。自分が今ひねくれているのは小中学校の成績が劣等だったからだ、高校時代が灰色に見えるのは父が入学式の日に亡くなったからだ、仕事でうつになったのはおかしな先輩がいたからだ。過去の成績も、父が亡くなったことも、おかしな先輩がいたことも、それがなかった時には戻れないのだから、解決になるはずがない。
今この瞬間の、一瞬先の連続(=未来)は誰にも分らない。よって、過去も未来も解決には結び付きそうにない。
未来が自分を規定しているとはどういうことだろう。未来は自分でいかようにもできるということだろうか。ちょっと思慮が足りないか。


できない自分を責めている限り、永遠に幸せにはなれないだろう。今の自分を認める勇気を持つ者だけが本当に強い人間になれる。

そうかもしれない。
ずいぶん自分を責め続けてきたように思う。特に理由はない。だが今年は「できない自分を責めている自分」を大いに認めたと思っている。さてそれで強い人間になれるのだろうか。


「気づきを得る」という言葉をよく聞く。何かに当たるまで歩き続け、探し続け、考え続ける。仕事でよい結果をもたらした時は「もう死ぬ」くらい考えて考え抜いた後だった。今後はどうだろう。歩き続けて終わるかもしれない。だがそれはそれで意味のあることなのだ、と思いたい。

2019年12月1日日曜日

うつ病とうつの決定的な違い

明快な基準はないという。

「ちゅーとはんぱやなー」というギャグの漫才師を思い出すが、とても簡易に記してあるサイトがあった。
(日医ニュース健康プラザNo.464

自身でも経験上、明快な基準を持っている。「うつ病」と「うつ(状態)」の間にはおそらくマリアナ海溝のごとく深く大きな違いがあり、うつ病は決して「心の風邪」ではない。
マリアナ海溝(らしい)
それは「自死を感じるかどうか」だ。これは重い。
上記の日医ニュース健康プラザでは、「自分の体を傷つけたり、死んだほうがいいと思ってしまう」と記されている。また、神戸市医師会のうつの判断基準では「死についての反復思考、自殺念慮、自殺企図」とある。
http://www.kobe-med.or.jp/kobe_G-P_net/shindan.html うつ病の判断基準(神戸市医師会HP) 

他の項目が、食欲減退、体重減少または増加、不眠または睡眠過多、気力減退などと栄養ドリンクで何とかなりそうな気がするのに対し、自死は別格だ。

この別格が自分に訪れてしまったのが2000年の冬だった。大江戸線の線路に吸い込まれそうだった。

「ひょいと気軽に道路の白線をまたぐように、人は日常生活を投げだすこともありえないことではない」(「大河の一滴」五木寛之著・幻冬舎文庫)。

まさに白線をまたげば線路だった。今思うとぞっとするが、そういう感覚になってしまうのが「病」たる所以だと強く思う。風邪を引けばインフルエンザでも一週間で快復する。だがこっちはどうだ。
「心の風邪」などという「やわな表現」は絶対にやめてほしいのだ。

自分の中で最も苦しかった「2000年問題」から脱出できたのは幸いだった。それと比べればこの数年の落ち込みなど相対的には「ハッピー」とさえ思える。そう思えるのも、今現在が落ち着いているからに他ならない。あんなに悩んでいたことが実に馬鹿げて見える。「喉元過ぎれば熱さを忘れる」という。

そこまでカンタンではないにしろ、病も心もやはり厄介モノだ。

1丁目のバーガーキング

前回ハンバーガーを食べたのは、 2019 年 2 月、サンディエゴの Burger Lounge だ。滅多に食べないこと、そして滅多に行かないアメリカで食べたのでよく覚えている。彼の地に住む中学時代の同級生が連れていってくれた。アメリカーンな美味しいものだった。 最寄り駅にバーガ...