一月なのに少しだけ湿り気を帯びた夕方の暖かい空気は、なんだか懐かしいような、季節感をやや狂わせるような匂いがした。それはまた、どこかアジアの都市の匂いでもあるような気がした。
まだそんな嗅覚が残っていたか。いや、戻ってきたのかもしれない。
気持ちのメリハリなく、味気のない日々。みかんを食べて、「味がしない」と言ったら家人が席を立ち、熱を計れと真顔になった。「みかんとしての味」であって、味覚を感じなくなるというコロナの症状ではない。
気分が正常でないと、身体各所に影響を及ぼす。2019年1月から3月にかけての大きな鬱を最後にしたい。何事もバランスだからまたそうなるであろうことは覚悟するが、それならせめて楽しく明るいプラスの時を過ごしたい。いや、変化のない平らでもいい。まっ平らでいい。マイナス象限はもう勘弁してもらいたい。
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鬱に陥ると、全く何もしたくなくなり、食事や睡眠すらどうでもよくなる。生気を失い、正体のない不安に怯え、苛まれる。浮上するきっかけも気力も、何もつかめぬまま、長い時を過ごす。1日は24時間のはずなのに、これを超越し、よどんだ時空に放り出され、もがきあがく。だがそうする気力体力も消耗しきってくると、わずかながらに摂取したものもエネルギーに変換されない。こうした絶望に陥る時のスピードは総じて早いと感じられ、その後生体反応がほぼなくなる時期は極めて長く感じられる。光の届かない大海の底で大きな錨に固定された感じだ。
そんな深淵から、動力をもぎ取られた自身を浮上させるのは容易ではない。しかも自力でしか浮上できないことがわかっている。「蜘蛛の糸」は決して降りてこないのだ。ではどうする。
親兄弟家族は心配はしてくれるだろうが、いくら声をかけてもらったところでそれを素直に吸収する力を失っているのだから、意味がない。医者やカウンセラーは、心配など微塵もしない。目の前の物体(患者)の睡眠、食欲を回復させる(であろう)薬を処方するだけだ。
時間だ。時間だけが助けてくれる。身も蓋もない、にべもない、と思うかもしれないがこれに尽きる。大きな錨は朽ちて崩れ始める。陥り始めた時間、底にいる時間、それと同じ時間、あるいはそれ以上の時間はかかるが必ず1ミリは浮上する。底からの1ミリはかなり大きい。そうすると、ある日、ぽかんと水面から顔を出す時が来る。そうなると今度は呼吸ができる。酸素が入って血液中に流れる。細胞が蘇る。感覚が戻ってくる。そして生きることが普通に感じられ、「黒い犬」の姿は小さくなっている。
ほっとする。
https://www.youtube.com/watch?v=XiCrniLQGYc&feature=emb_logo
I had a black dog; his name was depression.

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